○文章は書けないと思っていた
『愛善世界』誌に初めて投稿したのは平成二十五年で、四月号に「霊界物語と私」【注1】が掲載された。それから今年がちょうど十年目になる。
私が病気で伏せていた時、自分が録音した霊界物語を聞いた。すると、お愛が生き埋めになる場面(三十四巻一八章「三人塚」)であった。生き埋めのような自分の状態と重なり、霊界物語はもう聞きたくないと思ったのを書いた。
それまで文章など書けないと思っていたが、それ以来、約七十の文章を『愛善世界』誌に投稿している。また、現在それらを私のホームページ「霊界物語勉強室」https://reikaimonogatari.jpにアップロードしている。 【注1】霊界物語勉強室 ①霊界物語と私〔『愛善世界』
○出口聖師五十二歳「弥勒最勝妙如来」
改めて十年前の平成二十五年の『愛善世界』誌を開いてみた。十一月号に、出口信一先生の四年祭の報告がある。また、九月号には、出口信一先生が始められた熊本県山鹿市の弥勒最勝妙如来像を祀る瑞霊苑での「平和祈願祭」のレポートがある。「平和祈願祭」は昨年が二十回目で、私はほとんどに参拝している。
大正十二年(一九二三)八月二十三日(旧七月十二日)、熊本県の杖立温泉で出口聖師が御手代を出されたのが、満五十二歳の時。
山鹿に移動されて、入蒙記(八章「聖雄と英雄」)にあるとおり、「五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)とな」られた出口聖師が霊をかけられた観音像が「弥勒最勝妙如来像」【注2】である。それから今年が百年目に当たる。
ところで、第一回目の平和祈願祭が行われた前年、杖立温泉の白水荘で研修会があった。妻たちは出口聖師がお泊まりになった「桃源の間」で夜休んだ。私もその部屋で霊界物語の拝読を録音したが、杖立温泉での妻に関する不思議な思い出がある。
何回目かの平和祈願祭に向かう途中、杖立温泉で昼食をとった時、スプーンを配っていた妻が言った。「お父さん、スプーンが曲がった」。今もそのスプーンを大事に持っている。
○弥仙山岩戸開き(百十年・百二十年)
今年は、弥仙山岩戸開き百二十年に当たるが、十年前の『愛善世界』誌に、弥仙山岩戸開き百十年に関する文章が七つある。これらを並べてみる。
平成二十五年・弥仙山岩戸開き百十年
①一月号 「弥仙山岩戸開きの意義」(平成十五年岩戸開き百年記念講話 出口榮二先生)
②三月号 「弥仙山岩戸開き110年の意義を思う」(三輪光佳氏)
③四月号「弥仙山岩戸開き〈短歌〉」(出口聖師)
⑤ 〃 「大本経綸の歴史観―天の岩戸開きの意義―」(小野田元氏)
⑥六月号「弥仙山岩戸開き百十年記念祭典ごあいさつ」(出口直子様)
⑦ 〃 「連合会ニュース 岩戸開き110年記念祭典」(長谷川洋吉氏)
また、今年の『愛善世界』誌四月号には、弥仙山岩戸開き百二十年関係の文章が並んだ。
令和五年・弥仙山岩戸開き百二十年
⑧四月号「大本神諭」明三六・旧四・二八(岩戸開きのおんしるし)
⑨ 〃 「弥仙山」(出口聖師)明三六・九・二七(本文及び末尾「山道の案内」)
⑩ 〃 「弥仙山岩戸開き〈短歌〉」(出口聖師)平成二十五年〔③の再掲〕
⑪ 〃 「弥仙山詣で」(二代様)平成二十五年〔④の再掲〕
⑫ 〃 「弥仙山岩戸開きの意義」(出口榮二先生)平成二十五年〔①の再掲〕
二年分の弥仙山岩戸開きの文章を並べて、②と⑦と⑨は他とのトーンの違いを感じた。出口聖師について、特に触れてあった。
○⑧「大本神諭」と⑨「弥仙山」を比べる
⑧「大本神諭」明三六・旧四・二八(岩戸開きのおんしるし)と⑨「弥仙山」(出口聖師)明三六・九・二七(本文及び末尾「山道の案内」)の本文とを比べてみた。
〇 木の花咲耶姫について、和合させるおん役(⑧「大本神諭」)と仲立ち(⑨「弥仙山」)という似た表現。
〇 また、四魂(⑧「大本神諭」)と四柱神(⑨「弥仙山」)も似た表現。
〇 ただし、直日と稚姫岐美神は、⑨「弥仙山」のみに出て、⑧「大本神諭」には出て来ない。
ところで、④「弥仙山詣で」(二代様)には、「木の花咲耶姫の御霊の宿られる女の子が産まれると言伝がありまして、生まれたのが直日でした」との記載がある。しかし、⑧「大本神諭」や⑨「弥仙山」には、こう断定した文言はない。
○「山道の案内」による解読
出口聖師が書かれた⑨「弥仙山」には、本文の他に末尾に「山道の案内」がある。「山道の案内」は、⑨「弥仙山」の本文に隠された文章を探り出す指示文書である。
⑨「弥仙山」の本文と⑧「大本神諭」とのトーンは同じように感じる。しかし、「山道の案内」により解読された文章は、⑨「弥仙山」の本文とは全く違う。
実は、⑨「弥仙山」は、本来ひらがなである。今年四月号掲載は、漢字が当ててあるが、原文はひらがなである。末尾の「山道の案内」の原文もひらがなで、次のとおりである。
なお、「め」と「つか」を〇で囲ってある(○でなく赤マーカーのみ)が、本文の解読に用いるために、私が付けた。
これに漢字を当てたものが、『愛善世界』誌四月号掲載の次の文章である。
「山道の案内 目を上げて、山を見上げると、山の頂上に、塚がある」
次に、⑨「弥仙山」の本文(ひらがな)である。
これを「山道の案内」(やまみちのあんない)で解読して行く。
まず、「め(目)を上げて」とある。本文のめが出発点。そして「山を見上げると、山の頂上に、塚がある」との指示。確かに、左上につか(塚)があった。
そして、めとつかに線を引いてみると言葉が浮かんで来た。「めいち三しうよねんくかつのはつか」である。嬉しかった。まるで出口聖師が作られた謎解きクイズである。
「山道の案内」(やまみちのあんない)はこの後も続く。「山」とか「谷」とかに従って、上がったり下がったりして、とうとう全文の謎解きができた。クイズはあまり得意ではないが、何とか解答にたどり着くことができた。
○謎解きで浮かんだ文章
実は、この解答を昔『愛善世界』誌で見たことがあった。三輪光佳さんの文章である。当時も謎解きに取り組んだが、皆目わからなかった。
今回、十年前の『愛善世界』誌を見るなかで、三輪光佳さんの文章に再会できた。②三月号「弥仙山岩戸開き110年の意義を思う」である。ひらがなの解答に漢字が当ててあった。私の解答は合っていた。
※1〔謎解きで浮かんだ文章〕「明治三十四年九月の二十日には、この世が暗闇になると申して、種油を沢山に買い置きして、又信者にまで油を買わして偉そうに言うておりたが、そんなことは無いと茂頴が申したら、神に敵対うたと言うて怒りて、よその国へ出ると言われた故、上田が弥仙の神に教祖を預けるしるしに、前つに畏き世にせんと変性女子が先がけて」
これに、⑨「弥仙山」の本文(漢字を当てはめたもの)を並べてみる。
※2〔本文〕「艮の大金神、稚姫岐美命のみたまが、神界では、変性男子の、天地の神と定まり、世に出でて、三千世界を立替へて、むかしの神代の安く、平らけき現世に、ひるがへさんと、この世に現はれ給ひ…」
※2〔本文〕の中に組み込まれているのが、※1〔謎解きで浮かんだ文章〕であるが、二つの文章はどちらも無理がなく、整然と意味をなしている。これはもう人間技ではない。神技である。
同じように、一つの文章へ別の文章を組み込んだ例が他にもある。
霊界物語五十五巻「序文」では、行の冒頭の文字をつなぐと「明治三十一年如月九日高熊山の修業より今年大正十二年正月十八日まて…」という別の文章が浮かんで来る。
また、第二次大本事件大審院判決書(昭和二十年九月八日)に明記された「十二段返ノ宣伝歌」では、「綾部に天子を隠せり、今の天子偽物なり」というきわどい文言が浮かぶ。ただ、公判中、自分の歌ではないと出口聖師は言われているが。
整然とした文章の中に、別の文章を整然と組み込むことができるのは、出口聖師として下生されたみろくの大神のみである。
〇真実は短く組み込まれる
霊界物語六十八巻に登場するスダルマン太子は皇神の化身である。これを『愛善世界』誌に投稿したことがある【注3】。
実は、このスダルマン太子の説明が、霊界物語資料篇(大本教典刊行会・昭四六)や霊界物語神名備忘(窪田英治編・平九)にある。しかし、「恋愛はますます熱を加え…スバール姫のところに通いつめ」「タラハン国を改革した名君」というに留まり、最も肝心なことを見落としている。
六十八巻の一番最後の梅公別の宣伝歌の中に、「皇神の化身とあれますスダルマン太子」という十七文字がある。本文中の展開ではまるで予想できないことが、さりげなく最後の宣伝歌に三行に分けて組み込まれている。
「轟きわたる恐ろしさ 時しもあれや皇神の 化身とあれますスダルマン 太子の君は逸早く」 (六十八巻二一章「祭政一致」)
スダルマン太子が出口聖師と重なる。恋愛に熱を上げるただの太子であるのと、大神の化身であるのとでは、ストーリーの意味するところが百八十度違う。
霊界物語資料篇や霊界物語神名備忘は、霊界物語についてとても詳しく書かれており、私が文章を書く上でお世話になっている書籍である。こうした書籍のいずれも気がつかず、真実は短く組み込まれている。
【注3】『愛善世界』誌平成二十八年四月号〔霊界物語勉強室 ⑪タラハン国の物語を聞く〕
○⑨「弥仙山」に組み込まれた真実
⑨「弥仙山」に組み込まれた文章を再掲する。
「明治三十四年九月の二十日には、この世が暗闇になると申して、種油を沢山に買い置きして、又信者にまで油を買わして偉そうに言うておりたが、そんなことは無いと茂頴が申したら、神に敵対うたと言うて怒りて、よその国へ出ると言われた故、上田が弥仙の神に教祖を預けるしるしに、前つに畏き世にせんと変性女子が先がけて」
この文章から読み取れるのは、暗闇の世になるとして、種油の買い置きをするような信仰姿勢に対して出口聖師が意見したところ、開祖様が怒られて、よその国へ出ると言われたので、出口聖師が弥仙の神に開祖様を預けたということである。開祖様の弥仙山こもりの真実を、出口聖師が示されている。
また、本文には、岩戸が開かれた折の「雅の神の仲立ちで、岩戸が無事に開かれ、四方の国に平和の旗が翻る」という穏やかな様子が記されているが、一方、この組み込まれた文章にある開祖様が岩戸に籠もられた折の経緯は、なかなか激しいもので、しかも、岩戸に籠もられたのは開祖様の意思ではなく、弥仙の神に預けるという出口聖師のはからいであったことがわかる。
さらに、この⑨「弥仙山」が書かれたのと同じ時期の⑧「大本神諭」にも、明治三十六年四月二十八日に和合ができたとある。しかし、現実は違っている。
明治三十六年と三十八年に出口聖師の著書が焼かれ、歌集「百千鳥」にも「明治三十八年は最大困苦を嘗めた」とある。また、「蛆虫のあやまり言葉を信じまし吾れに反抗の筆先書かすも」というお歌もある。当時の出口聖師にとって、現実はとても厳しいものであった。
こうした状況について、三輪光佳さんは、②「弥仙山岩戸開き110年の意義を思う」でこう述べておられる。
○ 「神界では岩戸が開かれたとしても現界はまだその時期に無かったと見るべき」
○ 「開祖聖師共々人間の限界を超える苦渋の年月を過ごされ」ており、「開祖聖師が散らした火花に思いを馳せる必要がある」
〇 「神は吾々一人ひとりの努力に寄り添って下さる」ので、「その努力は常に開祖聖師のご努力を反芻してされるべき」
○皆が悟る時期を待つ
ところで、⑨「弥仙山」の日付けは、明治三十六年九月二十七日である。しかし、実際に掲載されたのは、『神霊界』大正九年七月二十一日号である。明治三十六年の文章が、大正九年まで世に出ていないのは、なぜだろうか。
前述したように、明治三十六年当時の出口聖師は苦難の中にあり、③四月号「弥仙山岩戸開き〈短歌〉」(出口聖師)にもこうある。
「吾が言葉聞く者あれば悉く悪魔と言ひて排斥なすなり」
一方、出口聖師の御霊が、みろくの大神だと開祖様をはじめ皆が知るのは、大正五年になってからである。
「みろくさまの霊はみな神島へ落ちておられて、坤の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊がみろくの神のおん霊で、結構なご用がさしてありたぞよ。みろくさまが根本の天のご先祖さまであるぞよ。国常立尊は地の先祖であるぞよ」(『大本神諭』大正五年旧九月九日)
自分を悪魔だと思っている相手に、いくら正しいことを言っても聞いてはくれない。出口聖師が、開祖様が待ち焦がれていた天のみろくさまだとわかって、皆がはじめて聞く耳を持つものである。真実を伝える文章の公表時期を、そこまで待ったということである。
ただ、それでもなお、出口聖師を信じない者たちがいたのであろう。公表は、開祖様御昇天の大正七年以降という徹底ぶりである。そうまでして、真実を信徒に伝えたいという出口聖師の強い御意思、御配慮を吾々は知らねばならない。
○木花咲耶姫は瑞霊・出口聖師
平成二十五年六月号の⑦「連合会ニュース 岩戸開き110年記念祭典」で、長谷川洋吉さんが「弥仙山頂上の金峯山神社の祭神木花咲耶姫は、瑞の御霊のご顕現」と記されている。根拠の一つとして次を上げておられる。
・「瑞霊…三拾歳にして弥仙山に再臨し、三十三相木花咲耶姫と現じ」 (入蒙記八章「聖雄と英雄」)
この入蒙記(八章「聖雄と英雄」)によると、出口聖師の御霊たる瑞霊が、弥仙山で木花咲耶姫と現れられたのは、三十歳とある。
先に、出口聖師が満五十二歳の時、同じく入蒙記(八章「聖雄と英雄」)にあるとおり、「五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)とな」られたことを示した。
では、出口聖師の三十歳はいつか。御誕生が明治四年(一八七一)旧七月十二日であるので、満三十歳は、明治三十四年(一九○一)旧七月十二日である。
この明治三十四年は、先に「○⑨「弥仙山」に組み込まれた真実」で示した組み込み文章に出て来る明治三十四年に一致する。
「明治三十四年九月の二十日には、この世が暗闇になると申して」
つまり、この世が暗がりとなると開祖様が言われた時点で、出口聖師は、弥仙山で木の花咲耶姫として御顕現されており、出口聖師が開祖様を預けられた「弥仙の神」とは、出口聖師御自身となる。
また、長谷川さんも取り上げられているように、木の花咲耶姫も天のみろく様である。
「木花姫の神様も矢張り五六七大神様の一部又は全部の御活動を遊ばすのだよ。又天照大御神と顕現遊ばすこともあり、棚機姫と現はれたり、或は木花咲耶姫と現はれたり」(四十巻六章「仁愛の真相」)
つまり、弥仙山岩戸こもりの一件は、天のみろく様として、出口聖師が開祖様の信仰姿勢を注意したところ、怒って他国に行こうとされた開祖様をなだめて、弥仙山の自らの懐で、親が子をみるように保護をされたということではないか。そういう温かみを感じる。
そして、⑨「弥仙山」の本文では、開祖様は岩戸から無事出られたということになっている。ただこの明治三十六年の時点では、開祖様は、出口聖師を天のみろく様だとはわかっておられない「未顕真実の境遇」(七巻「総説」)だが。
○三代様と木の花咲耶姫
先に、④「弥仙山詣で」(二代様)に「三代直日様の御霊が、木の花咲耶姫だと言伝があったこと」を取り上げた。しかし、前述のとおり、木の花咲耶姫は出口聖師である。
なお、「錦の土産」に、三代様が、木の花咲耶姫の精霊が下る肉宮だとある。
「三代直日は天教山木花姫の精霊下り給ふ肉宮なり」(大正癸亥(十二年)十月十四日)
「円満具足なる平和と愛の女神木花咲耶姫命の精霊の宿れる二度目の観世音最勝妙如来の肉の宮と顕現し玉へる直系の御霊直日」(大正癸亥旧十月十四日)
ただし、次の厳しい言葉とセットである。五六七の世の宝(霊界物語)を大事にしてくれという親心だと思う。
「三代の御用が辛くて勤まらぬならば遠慮は要らぬ好きな様に致すが宜いぞよ。五六七の世の宝を暗い穴へ陥れようといたすやうな悪の身魂はモウ此上は神界の帳を切りて万古末代の悪の鏡といたすぞよ」 (大正癸亥旧十月十二日)
〔令和5・4・20記〕
〔『愛善世界』誌令和5年7月号掲載〕
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