平成二十六年から大本山口本苑で始まった八雲琴の研修会が今年十一年目に入り、六月七~九日で開催された。
この研修会の発端は、山口本苑で八雲琴の研修会をしたいという、柴田和子さんの強い思いである。その思いを託された私は、東京の葛目苑子さんに講師をお願いして研修会が始まった。
替手の入った演奏が初めて、今年の山口本苑の春季大祭で行われた。天界の柴田さんはさぞ、喜ばれていることと思う。
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入蒙のパインタラ事件八十年目の平成十六年六月二十一日、神島及び亀岡、綾部、冠島・沓島の聖地などの上空を、台風六号が通り過ぎた。パインタラ事件の記憶を、天地に刻まんとされる大神の強い思いではなかったか。
さて、今年の六月二十一日は平穏に過ぎた。こんな梅雨時期に、よく台風が来襲したものだと改めて驚いてしまう。
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六月二十五日(火)の勉強会は、入蒙記十七章「明暗交々」から十九章「仮司令部」まで。
出口聖師が、蒙古の人々の病気を治しておられる。
「日出雄は…病人の額に軽く手をのせ『悪魔よ、去れツ』と一喝した。忽ち大熱は醒め」(一八章「蒙古気質」以下も同)
「白凌閣の…顔面脹れ上り…日出雄は…白の顔に焼酎を吹きかけてやり、且鎮魂を施した処、三十分間程の間に脹は直り」
この白凌閣は、出口聖師の弟子になる強い思いゆえに、顔面を殴られている。また、そうした心掛けで「神の保護を受けたものか」、パインタラで銃殺されなかった。
「銃殺の場に立たされた一刹那、参謀長が出て来て、『こんな子供を殺した所が仕方が無い』と云つて白を逃がしてやつた」
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みろく下生たる出口聖師の御神格が示されている。出口聖師への思いが、益々強くなる。
「坂本は熱心な日蓮宗の信者であつた…坂本は暗夜に日出雄の身体から黄金色の光が放射してゐたのを霊眼で認めて、日出雄の神格を知り、俄に大本信者となつた」(一九章「仮司令部」以下も同)
「四月二十日神勅により、日出雄、真澄別は左記の如き蒙古人名を与へられた。
出口王仁三郎源日出雄
弥勒下生達頼喇嘛
素尊汗(言霊別命)
『蒙古姓名』
那爾薩林喀斉拉額都」
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蒙古気質の面白い描写がある。他に、天真爛漫、子供の如く、神代の人の如くとの表現もある。
「其女は日出雄の望遠鏡でもつて覗いてゐるとは少しも気がつかず、忽ち裾を捲つてウツトコを現し、無造作に道の中央でシエスアンテイナをやりプイプイと二三度尻を振つて、着衣の裾でウツトコをこすり、平然として日出雄の前にやつて来た」
(令6・6・26記)
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