(59)入蒙とトルマン国の物語―現界で最善を尽くす―

「愛善世界」誌掲載文等

○白鷺の歌

 父親の跡を継いで米作りを始めて、今年で四年目になる。二年目の夏、家族の中で私だけがコロナにかからず、九日間田んぼの中でヒエ取りをした。その結果か、三年目の昨年はよくお米ができた。

 また、田んぼに入るようになって、その風景を短歌に詠むようになった。そして、三年続けて、白鷺の歌が朝日歌壇に入選した。選評と合わせて紹介したい。 

「朝早く田んぼにいるのは白鷺と雉子と()()(さぎ)吾とカルガモ」  (四・八・一四 佐佐木幸綱選)

評 第三首、広々とした早朝の田が()に浮かぶ。

()()(さぎ)がじっと見ており白鷺がくわえた小鳥を飲み込めぬのを」  (五・七・二 馬場あき子選)   

評 第二首の五位鷺が面白い。落とすのを狙っているのか。

「春耕に出でし野ねずみ白鷺が丸呑みにせりまたたくうちに」  (六・五・二六 馬場あき子選)

田起しに来た白鷺(4.12.20)

 一首目は、早朝に見る鳥たちへの賛歌である。

 一方、二首目と三首目は、白鷺の生々しい生態の描写で、トラクターの上から見たものである。田起しや代掻き、また稲刈りの時には、カエルや虫を捕るために白鷺やカラス、小鳥が来る。その折、白鷺が、カエルではなく小鳥や野ねずみを食べた、あるいは食べようとしたということである。

今年の田植え(6.5.25)

○鷺と鴉(からす)

 外見は優美な白鷺であるが、その内なる性質はなかなか獰猛である。人間も同じだろう。外見は善人そうでも、内面は悪意に満ちているかもしれない。

 この内面と外見について、六十三巻(一○章)「鷺と鴉」で示してある。まさに白と黒、善と悪を表徴したかのような章題である。 まず、直ちに地獄に(おちい)る精霊についてこうある。表面は鷺の白、内心は鴉の黒。

「現界において表面にのみ愛と善とを標榜し、且つ偽善的動作のみ行ひ、内心深く悪を蔵しをりしもの、いはゆる自己の凶悪を糊塗して人を欺くために、善と愛とを利用したもの」(六十三巻一○章「鷺と鴉」以下も同)

 つまり、詐欺師である。最も悪質な者は、逆さまになって地獄に落ちて行く。

「中にも最も詐偽や欺騙(ぎへん)に富んでゐるものは、足を上空にし頭を地に(さかさま)にして投げ込まれるやうにして落ち行く」

 自民党議員が、政治資金を裏金にして国民を欺いていた。不十分な法律改正で、なお国民を欺くようであれば、彼らの死後はどうなるのだろうか。

「人間各自の精霊には外面的、内面的の二方面を有し」ているが、その内面は直ぐには現れない。黒い内面を白い外面が覆ったままである。

「如何に凶悪無道なる精霊にても、外面的真理を()く語り善を行ふことは、至誠至善の善霊と少しも相違の点を見出すことが出来ない」

 しかし、やがて内面が暴露される。その期間は一年を超えることは稀とある。

「一定の期間を経たる後に彼等の精霊が内面的状態に移る時において、その内分の一切が暴露する…外面は眠り且つ消失し、内面のみ開かるる…外面的情態は、或は一日、或は数日、或は数ケ月…一年を越ゆるものは極めて稀有

 四十七巻(一○章「震士震商」)には、内面の悪を外面の善で隠した例がある。次の一万円札の顔となる渋沢栄一である。慾野深蔵で出て来る。

新1万円札の渋沢栄一

 「日本の資本主義の父」として讃えられ、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬ」と立派なことを言っているが、慾界地獄へと落ちて行っている。

 また、大本の信者に対しても厳しい。

「偽善者の境遇にあるものは、高天原の経綸や死後の世界や、霊魂の救ひや聖場の真理や国家の利福や隣人の事を語らしておけば、(あたか)も天人のごとく愛善と信真に一切基づけるやうなれども、その内実には高天原の経綸も霊魂の救ひも死後の世界も信じないのみ…現代の三五教の中には十指を折り数へたら、最早残るは外面的状態にあるものばかりで、天国に直ちに上り得る精霊は少ない

 しかし、その一方で励ましもある。

「真に高天原の経綸を扶け聖壇の隆盛を祈り、死後の安住所を得むことを思はば、如何なる事情をも道のためには忍ぶべき…神様の御用にたて得らるるだけの余裕を与へられたのも、皆神様のお蔭である」

 さて、元より人間の内面は神界にある。

「その善は皆内面的想念より流れて外面に出て、それが言説となり行動となるのは、人間はかくのごとき順序のもとに創造せられ…人間の内面は凡て高天原の神界にあり、神界の光明中に包まれてをる。その光明とは、大神より起来するところの神真で、いはゆる高天原の主なるもの」

 そして、最後にこう締めくくられている。

「永遠の生命に入りたる時自有(じいう)となるべきものは、神の国の栄えのために努力した花実ばかりで、其他の一切のものは、中有界において剥脱される」

 我々の外面も内面も鷺のような白さにして、神の国の栄えのため一生懸命努力してまいりたいものである。

村山浩樹氏所蔵
(令6.6.15撮影)
雅号「忠勝」は大正十年六月から。出口聖師「王仁の分霊菅原道真が書いている」
 (「新月の光」上)

○現実界で最善を尽くす

 この「鷺と鴉」の章に高姫の名前が出て来る。高姫の霊肉脱離の経緯が五十六巻(五章「鷹魅」)にあるが、自分が死んだことを自覚しない者の例としてである。

「自己は最早一箇の精霊だといふことを想ひ起さなかつたなれば、その精霊は依然高姫のごとく、現界に在つて生活を送つてをるといふ感覚をなすの外はない」(六十三巻一○章「鷺と鴉」)

  中有界にいても、自分は死んでいないと高姫は思っていたのだが、その高姫の霊魂が、気絶し昇天したトルマン国王妃の千草姫の肉体に乗り移る物語が七十巻にある。鷺のように白い王妃千草姫の霊魂と鴉のように黒い高姫の霊魂が、千草姫の肉体の中で入れ替わってしまう。

 王妃千草姫は、バラモン軍からトルマン国を守るため、軍使として乗り込んで来たキューバーをその美貌で籠絡させた。その過程で千草姫は霊国へと昇天している。その霊国を、第一霊国の天人言霊別のエンゼルが案内する。

此処(ここ)は第二霊国において有名なる花鳥山(くわてうざん)でございます。御覧なさい、緑の(はね)を拡げ、(くれなゐ)(かむり)を頂き、美しい鳥が四方八方に翺翔(かうしよう)し、美妙の声を放ち、又この通り地上の世界にないやうな麗しき花が咲き乱れ香気を放つてをります。ここは貴方がたの千代の住家でございますよ。食べたい物は何でも望み次第、この麗しき樹木の枝に臨時に熟します」(七十巻五章「花鳥山」以下も同)

 私も出張先で「お花畑があって」という臨死体験を直接聞いたこともあるが、死後、こうした美しい風景の霊国を亡き妻と千代の住家としたいものである。しかし、霊国は宣伝使の行くべき世界である。これに言霊別命が答える。

霊国は(すべ)て宣伝使や、国民指導者の善良なる(れい)の来たるべき永久(えいきう)の住所でございます…あなたは生前において宣伝使ではなかつたが、現実界の人間としての最善を尽くされました。これは要するに表面的神を信仰せなくても、あなたの正守護神はすでに天界の霊国に相応し、(しん)(せき)をおいてゐられたのです」

 また、ここにおいても宣伝使に対する言葉は厳しい。宣伝使は、その役割を果たしていないという我々に対する言葉である。

「今日の現実界において、宣伝使や僧侶や神官牧師などは一人として霊国へ昇り()る資格を()つてをりませぬ。また天国へは猶さら昇る者なく、何れも地獄に籍をおき、地獄界において昏迷と矛盾と、射利と脱線と暗黒との実を結んで、互ひに肉を削り合ひ、血を(すす)り合ひ、妄動を続けてをりまする」

 一方、王妃千草姫の肉体に入った高姫は、得意の「底津岩根の大みろく、日の出神の生宮」と叫びつつ妄動の限りを尽くす。トルマン国の現状を憂慮し、この高姫に立ち向かうジャンクを言霊別が(たす)ける。

(なんぢ)トルマン国の現状を憂慮し、心胆を悩ませゐる段、実に感服の至りだ。汝の至誠天に通じ、今やエンゼルとして汝の神業を(たす)べく(くだ)り来たれり」(七十巻二二章「優秀美」)

 このジャンクは、元は印度デカタン高原トルマン国のタライの村の里庄である。それが「国王の命に依りて、トルマン国の首府バルガン城を守るべく義勇軍を起し」(六十六巻総説)、「第一軍の司令官」となりバラモン軍の「大足別(おほだるわけ)の大軍を殲滅(せんめつ)すべく」(七十巻八章「大勝」)「民間より国難に殉じて起てる英雄」(七十巻「総説」)となった。高姫に立ち向かった時には、トルマン国の「教務総監」(七十巻二二章「優秀美」)として国を支えている。

 至誠が行動となってはじめて天の主の神に通じ、エンゼルの言霊別の輔けを得るに至っている。このジャンクの行いは、まさに次の歌に通じる。

「心のみ誠の道にかなふとも行ひせずば神は守らじ」(入蒙記五章「心の奥」)

○宣伝使照国別の参軍

 ジャンクとともに、バラモン軍に立ち向かった中に、三五教の宣伝使照国別と照公がいる。

「トルマン国の太子チウインは…武勇のほまれ高きジヤンクを第一軍の司令官と仰ぎ、三五教の宣伝使照国別および照公司殿(しんがり)となし…二千五百騎を従へ、吾が居城を攻め囲む(おほ)(だる)(わけ)の大軍を殲滅(せんめつ)すべく」(七十巻八章「大勝」以下も同)

 軍の殿(しんがり)となった照国別が宣伝歌を歌う。戦うのは本意ではないが、トルマン国の窮状を見捨てるわけにはいかないと言う。

「三五教の宣伝使吾は照国別司 人の命を奪ひ合ふ(いくさ)(のぞ)むは本意(ほい)ならず…トルマン国の窮状を見すてて通るも 大神の道に仕ふる吾として心苦しきこの場合 止むを得ざれば御軍(みいくさ)に加はりながら…神は吾等と共にあり…素より(やいば)()(しほ)ぬり敵を(たお)さむ心なし…仁慈の(むち)を下すのみ」

 そうして、(おほ)(だる)(わけ)を敗走に追い込んだ。

「城内よりはガーデン王の兵数百人、砲を揃へて一斉に射撃を開始し、大足別は前後左右に敵を受け、四方八方に、馬をすて武器をすて、命からがら散乱した。この戦ひによつて、死する者バラモン軍に十八人、城内には二人の死者を出したのみであつた」

○入蒙での銃撃戦

 この照国別の戦いの場面によく似た場面が、出口聖師の入蒙時に詠まれたお歌にある。出口聖師が、戦いを(うれ)いながらも銃撃戦の指揮をされている。

「喇嘛寺の塔上に立ちて指揮すればわが軍兵はよく戦へり」

「四五十の戦死者残して敵兵はあなたの谷に退却をなす」

「愛善の道説く身ながら戦の庭に立つよを憂しと思へり」

折伏の剣は阿弥陀も持てるてふこと思い出して自ら戦ふ」

「左手には摂受の玉をかかへつつ右手に折伏の剣握りて立てり」(第十一歌集『山と海』(昭和八年六月発行)昭和七年九月「蒙古の月」)

 この入蒙(大13・2・13~11・1保釈)の後、入蒙記を経て口述されたのが、トルマン国の物語が始まる六十六巻(当初六十八巻、大13・12・15~18)である。以下の「序文」を見れば、六十六巻が入蒙の体験を色濃く反映したものであることがわかる。

「本巻よりは照国別のいよいよ活動となり、やや軍事的趣味を帯ぶることとなりました。無抵抗主義の三五教が軍事に関する行動を執るのは、少しく矛盾のやうに考へる人もあらうかと思ひますが、混沌たる社会においては、ある場合には武力を用ふるの止むなき場合もあります」

「三千世界の父母ともいふべき阿弥陀如来でさへも、慈悲を以て本体としながら、右の手にて折伏の(けん)()ち、左手(ゆんで)には摂受の玉を抱へて、衆生済度の本願を達せむとしてゐるのです」

回々(フイフイ)(けう)の教祖マホメットも右手(めて)(つるぎ)を持ち、(ゆん)()経典(コーラン)を抱へて、アラビヤ広原に精神的王国を建設した事を思へば、人智未開の時代においては、三五教の宣伝使といへども軍事に関係せないわけには行かないでせう。読者はこの間の消息を推知して神の意の在るところを諒解せられむことを希望します」  (六十六巻「序文」)

○「吉岡発言」へ

 入蒙では、王国の建設が強く意識されている。

「蒙古の大原野に一大王国を建設し」(入蒙記四章「微燈の影」)

「蒙古王国の建設より()いて(しん)(きゃう)西(ちべ)(っと)、印度、支那の全土を宗教的に統一し、東亜聯盟の実行を成就し、次いでロシア、西()()()()にその教勢を拡め、パレスチナのエルサレムに再生のキリストとして現はれ、欧米の天地に新宗教的王国を建設し」(王仁蒙古入記「神か(きちがひ)か」)

 この王国の建設も入蒙後の霊界物語の口述に引き継がれるように、入蒙記を経て、トルマン国及びタラハン国(六十七・六十八巻、大13・12・19~14・1・30)の王国の物語が続く。

 トルマン国は「混沌たる」なかの「武力を用ふるの止むなき状況」が終わり、「首陀(しゆだ)向上運動」家を入れた民衆参加の政治体制へと変化している。その次のタラハン国も同様に、「民衆救護団長」を加えた民衆参加の政治体制となった。

 現実の日本においても、昭和十年の大本への当局からの弾圧が型となったかのように、軍事国家であった日本帝国が崩壊し、戦後昭和二十年、民主国家に生まれ変わった。

 そうして、軍備撤廃を示した霊界物語の御示し(六十四巻上五章「至聖団」)を、出口聖師自らが吉岡発言として世に出された。

「先づ第一に神の子神の生宮たる吾々は、世界にあらゆる有形無形この二つの大なる障壁を取り除かねばなりませぬ。有形的障害の最大なるものは対外的戦備《警察的武備は別》と国家的領土の閉鎖とであります。又無形の障壁の最大なるものとは、即ち国民及び人種間の敵愾心だと思ひます。又宗教団と宗教団との間の敵愾心だと思ひます」  (六十四巻上五章「至聖団」)

「いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者としての尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある」(「吉岡発言」朝日新聞・昭和二十年十二月三十日)

村山浩樹氏所蔵(6.6.15撮影)

「錦の土産」にある日付は正月三日。これは正月五日。強く押されたのか、拇印に爪の跡。

推倒全身之智勇。開 拓万里之荒原。神竜 雖潜淵。曷池中物。 天運茲循環来而。 代天地樹立鴻業。 嗚呼北蒙之仙境。山河 草木凝盛装。歓呼而 待望我神軍到矣。 英雄之心事亦々非壮快哉。(入蒙記六章「出征の辞」)

「全身の智勇を権倒し 万里の荒野を開拓す 神竜淵に潜むと雖も  いやしくも地中の物に非ず 天運ここに循環し来りて 天功を樹立す ああ北蒙の天地 山河草木盛装をこらし 歓呼して吾の到るを待望す 英雄の心事亦々快に非ずや」(出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 王仁DB)

(令6・6・23記)

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