昭和五十七年(一九八二)五月二十六日、大本本部は、出口直美様の教主継承者変更を決定した。
その後、全国青年部長会議が亀岡の天恩郷で開催されることとなっていた。そこで配布する資料のホッチキス止めを、結婚したばかりの妻とした。当時私は二十四歳。妻の実家は未信徒だった。妻は資料の意味もわからなかっただろうし、へんな人と結婚したと思ったかもしれない。一体どう思ったか、亡くなった今となっては聞きようもないが。
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資料の表紙は、教主継承者変更に反対する全国信徒大会の決議書。また、「あなたのお陰で正しい神観を学んだ」という本部青年部長森良秀氏を皮肉る文章もあった。森氏を目の前にした会議でその資料を配ると、当然のことながら直ぐに回収を命じられた。ずいぶん乱暴なことをしたが、あれからもう四十年が経つ。
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事の本質は、本部が出口聖師の御意思に背いたことである。四代教主は直美様だと出口聖師は決めておられる。
三代の長女直美の生れしより大本四代の基礎固まれり
四代なる直美の生れし今日よりは蘇生るなり大本内外
会議で森氏は、三代直日様は「現界的主神」という珍妙な神観を語り、三代様が発表した教主継承者変更の正当性を、全国の青年部長たちに納得させようとした。その珍妙な神観は、戦後、愛善苑発足時から行われた「出口聖師の御神格隠し」と一対のものである。
聖師伝から昭和三年三月三日の「みろく下生」を削り、出口聖師の御神格である「伊都能売御霊」を三代様とすり替えて、三代様を神格化する一方で、出口聖師の御神格を表に出さないようにした。「大本教法」もその流れにある。
それは、出口聖師の「みろく下生」を口実に、再度国家弾圧を受けることへのおそれからであったろうが、結果的に、珍妙な神観により正しい信仰が奪われるという実質的な弾圧となった。しかし、迷わされた信者こそいい迷惑である。
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その後も本部は、直美様は四代教主ではないとして、要荘・掬水荘からの明渡訴訟を起こしたが、本部の敗訴となった。この控訴審判決の「愛善世界」誌掲載が平成三十年(二〇一八)三月号で、奇しくも、本部が隠そうとした出口聖師の御神格たる「みろく下生」があった昭和三年(一九二八)三月から九十年目であった。
しかも、判決には「(直美様が)四代教主となることが確定したとみなされていたとみる余地がないとは決していえない」とあった。直美様の四代教主は確定されていたのではないかという、素敵なオマケまで裁判所は添えてくれた。
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一月二十三日の勉強会。五十四巻九章と一○章で、王子アールとハンナの結婚式を祝う謡曲と長歌が歌われ、ビクトリア国の物語が終わる。
ハルナの歌に「黄金時代」が出て来る。白銀、赤銅、黒鉄、そして泥海・泥土と堕落した現今の時代を、最初の黄金世界に復帰させるのが、今回の御神業(入蒙記二章「神示の経綸」)とある。
一一章から豪農テームス家の話が始まる。今後、特別な霊を持った万公が養子に入り、テームス家が救われるのは五十五巻一四章のこと。
(令5・3・3記)
〔『愛善世界』令和5年4月号掲載〕
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