〇十和田湖の神秘
月鏡の最後に「十和田湖の神秘」がある。弥勒出世大願の「男装坊」が十和田湖に入定せんとし、湖の主たる竜神「八郎」を戦いの末、追いやる物語である。 一方、霊界物語三十五巻には、スッポンの湖の竜神を三五教の宣伝使が「言向和す」物語がある。竜神は解脱し、天国に救われ女神へと御霊を向上させる。しかし、この時の男装坊は八郎との戦いに必死で、残念ながら、八郎を改心・帰順させるまでには至っていない。
なお、昭和三年、出口聖師が十和田湖で弥勒出現の神示を宣ると、男装坊の英霊は天に昇り、再び現界に生まれて、弥勒神政の神業に奉仕すると「十和田湖の神秘」にある。
現界に出生後の男装坊は、出口聖師の予言どおり弥勒神政の神業に奉仕し、言霊により「言向和す」みろく様の御教えを広めたものと信じる。
〇最初の投稿の続編
かつて、三十五巻のスッポンの湖の竜神の話に至る発端部分を文章にしたことがある。九年前の『愛善世界』誌平成二十五年四月号に掲載された。同誌に、私が初めて投稿した文章である。その内容。
◆三年に及ぶ病気からの回復を願い、自分が録音した霊界物語を聞いたところ、人が生き埋めになる場面(34巻18章「三人塚」)であった。◆救いどころか恐怖を感じ、霊界物語をもう二度と聞くまいと思った。◆しかし、病気回復後にその続きを聞くと、生き埋めになった者らが救われる(19章「命の親」)のを知った。◆「霊界物語に示された苦しみと救いが、自分にとってリアルで現実味のあるものになった」と結んだ。
実は、この場面だけに限ったものを、インターネット(YouTubeチャンネル 藤井盛)で配信している。お愛「童子の救い」と題し、高熊山で録音した箇所もある。
なお、その後のストーリーは、埋めた側と埋められた側とが和解(35巻5章「案外」)し、竜神の言向和しが始 まる(14章「空気焔」)。そして、竜神が女神の姿となって天国に救われている(18章「浮島の花」)。
○霊界物語に直(じか)に触れる
ところで、このスッポンの湖の竜神に関係する話は、二十四の章にわたっている。また、愛善世界社版『霊界物語』では二百五十五ページに及ぶ。拝読一ページに二分要するとすれば、八時間を要する。
霊界物語の中では、いくつもの話が重なって進んでいる。その中で、こうしたまとまった一つの話を拝読するのも、なかなかたいへんなことである。しかし、拝読で直に触れないと、霊界物語を十分に味わうことはできない。
この文章の中でもあらすじを説明しているが、それは、料理のメニューやレシピのようなものである。料理のおいしさは、口に入れてみなければわからない。
特に思うのは、登場人物の滑稽な会話の繰り返しである。人間味がページ上に溢れている。これを抜きにしては霊界物語の面白みを感じることはできないし、みろく様の心情に触れることはできないのではないかと思う。
私は、全巻の膨大なページを、二度も拝読することはできないと思ったから、録音を始めた。また、こうした文章を書く時には、まず録音を聞くことから始める。その中で必ず、耳に止まるところがある。
〇大蛇(おろち)の解脱
では、大蛇、竜神はどのように解脱したのであろうか。生き埋めとなった「お愛」の夫「虎公」が、天津祝詞の生言霊で大蛇を解脱させるとみなに話す。
「三五の教は喜ばれて仇を討つといふ教だから…大蛇の霊を、天津祝詞の生言霊に依つて解脱させ、天国に救ひ上げ」〔35巻9章「分担」〕
しかし、実際に虎公が宣伝歌を宣ると、「前非を悔い詫びろ」とか「おれの名で驚け」、「善の大道に帰れ」(15章「救いの玉」)などの命令口調で、大蛇には何の効果もなかった。
一方、宣伝使の「玉治別」は、「神にうけた魂を洗ひ清めて、元の姿に立ち帰れ」とか、「神に帰りし霊ならば、皇神は汝が罪を赦しまし」(16章「浮島の花」)と歌った。魂は、もとより神様からいただいたものだと諭し、大蛇らは救われて行く。
「湖にひそみし巨大なる三頭の大蛇、神の霊徳に依つて三寒三熱の苦をのがれ、忽ち美はしき女神の姿と化して、天国に救はれたるなりき」〔16章「浮島の花」〕
なお、大蛇へ宣伝歌を宣り始めた一四章「空気焔」から大蛇が解脱する一六章「浮島の花」までを、まとめて配信している。ぜひ、宣伝歌を「言霊」で聞いていただきたい。
また、他の巻にも宣伝歌により大蛇を解脱させる場面がある。これらも配信している。
◆竜の解脱(霊界物語27巻12・13章)
「言霊の幸はひ助ける国。国依別の言霊に怪物竜若彦は、降雨を調節し給ふ天の水分神となる」
◆言霊の妙(霊界物語30巻9~11章)
「醜の大蛇も、捨子姫の清明無垢の万有愛護の至誠より出でたる言霊には抵抗する余地なく」
〇ストーリーの具体性
霊界物語の面白みは、そのストリーの具体性にある。今回の舞台の「スッポンの湖」が、アフリカのヴィクトリア湖だと『愛善世界』誌令和四年十月号(新屋三右衛門氏「ナイル川とシナイ山 霊界物語第十二巻の謎」)にあった。国々の配置状況も示してある。これらが、霊界物語の現実性を高めている。
夫婦となった「お愛」と「虎公」は、それぞれ火の国、豊の国の国主の子。また、「大蛇の三公」はエジプトにいた三五教宣伝使の子で、両親を呑み込んだスッポンの湖の大蛇退治を企てる。これらを、この地図に当てはめると、位置関係がよくわかる。
また、大蛇は、「大蛇の三公」の両親が沢山の財産を持ちながら、助けてもらえなかった者らの執着心が産み出したものであった。
◆お愛…天教山から天使として「火の国」に降った八島別、後の建日向別の総領娘の愛子姫。貴族生活を嫌い家を出る。自分を救ってくれた虎公の妻となる。 〔35巻8章「心の綱」〕
◆虎公…火の国にいた虎天別、後に「豊の国」の豊日別命の総領息子の虎若。下女と駆け落ちをしたが、親子とも亡くなる。〔35巻8章「心の綱」〕
◆大蛇の三公…両親は「エジプト」にいた三五教宣伝使。スッポンの湖の大蛇を言向和さんとし大蛇に呑まれる。両親は財産が沢山あるにもかかわらず難儀な者を助けず、大勢の者の執着心が重なって大蛇となる。〔35巻9章「分担」〕
◆お梅…虎公が妹として保護。上の姉がお松で中の姉がお竹。黄泉平坂の桃の実になった松、竹、梅の宣伝使の生まれ変わりとの言あり。〔35巻9章「分担」〕
○竜女の実在
さらに竜神の話が続く。竜女が実際にいたという。それを聞かれたのは、大本の女性信徒さんである。信徒さんの同僚が、ある女性と職場旅行で風呂に入ったとき、魚の鱗のようなものを見ている。鱗のようなものがあるその女性は、当初いっしょに風呂に入るのを嫌っていたという。
信者さんも竜女と思われる女性と同じ職場だったとのこと。色白の美人で、目は切れ長。背が高くスタイルがよく、仕事もできて、当時は三十前で未婚であったという。霊界物語一巻(一七章「神界旅行の四」)に竜女の特徴が出ている。
「竜女といふものは男子との交りを喜ばず、かつ美人であり、眼鋭く、身体のどこかに鱗の数片の痕跡を止めてゐるものも偶にはある」〔1巻17章「神界旅行の四」〕
竜女は、「海に極寒極熱の一千年を苦行し、山中にまた一千年、河にまた一千年を修業して、三千年を経てようやく人間界に生れ出づる」とある。
しかし、「竜体より人間に転生した最初の一生涯は、尼になるか、神に仕へ、男女の交りを絶って、聖浄な生活を送らねばならず、この禁断を犯せば、三千年の苦行も水の沫となつて、再び竜体に堕落する」という厳しいものである。
なお、信徒さんは、霊界物語に出て来る「竜女」が実在することに恐怖を感じ、それ以上踏み入らなかったと言われた。
〇動物からの転生
竜女から人間への転生とともに、動物から人間への転生もあることが霊界物語に示されている。
「人間には直接天国より天人の霊子を下して生れしめ玉ふたものもあり、或は他の動物より霊化して生れたものもある」〔56巻「総説」〕
「そもそも人は色々と 輪廻転生の門を越え
禽獣虫魚の境涯を 渉りて現世に人間と
生れ来たりし者もあり 高天原の天人が
男女情交のその結果 霊子となりて地に蒔かれ
因縁ふかき男子女子 陰と陽との水火の中に
交はり入りて生るあり」〔20巻「霊の礎(七)」〕
「帰幽するや、直に其霊は天国に上り、再び人間として地上に生れ来る」〔32巻13章「平等愛」〕
「禽獣虫魚としての卑しき肉体を保ち、此世にあるは、人間に進むの行程である」〔32巻13章「平等愛」〕
また、如是我聞ではあるが、『水鏡』などにも霊界物語の内容と同様に、動物からの転生が示されている。
「生まれ代るというても、人間から生まれ代ってきているのもあり、犬や猫から生まれ代っているものもあり、竜から生まれ代っているものもある」〔水鏡「人間は種々の前世をもつ」〕
「進化論のいうがごとき、人間は決して猿から進化したものではない。初めから神は、人は人、猿は猿として造られたものである。
動物が進化して人間になるということ、すなわち輪廻転生の理によって、動物が人間になるというのは、霊界において進化して、人間の性をもって生まるるのである」〔玉鏡「進化論」〕
これらから見ると、動物もまた霊的な存在として、一旦帰幽し向上した後、人間へと転生するということである。また、竜神も同様ということになる。
これらは、生き物をはじめ森羅万象が、みな主の神から生まれた同根の存在であるがためと示されている。
「何れも其根本は天御中主大神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神の陰陽の水火より発生したるものなれば、宇宙一切の森羅万象は皆同根にして、何れも兄弟同様である」 〔32巻13章「平等愛」〕
〇御霊の因縁と御用
ところで、竜神や動物も転生を願う「人間」というのはそもそも何か。人間は、天人となって天国を益々円滑にするために、大神様から造られたものだと説いてある。
「天国の天人は人間が善徳の発達したもの…人間は現界の生を終へ天国に復活し…天国の円満をして益々円満ならしむべく活動せしむる為に、大神の目的に依つて造りなされた」〔48巻12章「西王母」〕
前述のとおり、「宇宙一切の森羅万象は皆同根、何れも兄弟同様」とのお示しがある一方で、霊には因縁性来・経緯があるので、区別なく同じ天帝の分霊だとは言えないとも示されている。
「同じ人間の形体を備へ、同じ教育をうけ、同じ国に住み、同じ食物を食しながら、正邪賢愚の区別あるは、要するに霊の因縁性来のしからしむる所以である。
…或理窟屋の中には、総ての人間は同じ天帝の分霊なれば、霊の因縁性来、系統、直系、傍系などの区別ある理由なしと論ずる人がある。斯の如き論説は、只一片の道理に堕して、幽玄微妙なる霊魂の経緯を知らざる人である」〔32巻13章「平等愛」〕
これと同じことが、「お愛」の素性が、建日向別の総領娘「愛子姫」であることがわかる場面でも示されている。「種のよさ」を言う神諭の言葉である。
「昔からの胤の吟味を致すは今度のことぞよ。種さへよければどんな立派な花でも咲くぞよ……と云ふ三五教には教があるといふことだが、本当に種といふものは争はれぬものだなア……」 〔35巻8章「心の綱」〕
ここで、三五神諭(60巻)にある「霊の因縁」に関する箇所をあげてみる。
「元の種、吟味致すは今度の事ぞよ。種が宜ければ、何んな事でも出来るぞよ」〔明治三十七年旧八月十日〕
「今度の二度目の天の岩戸開は、因縁のある身霊でないと、御用には使はんぞよ。神の御役に立てるのは水晶魂の選抜ばかり、神が綱を掛けて御用を致さす」〔明治三十二年旧七月一日〕
「因縁のある身魂は截りても断れん、如何な辛い目をいたしても左程苦しい事は無いぞよ。因縁性来と申すものは、エライものであるぞよ」 〔大正元年旧八月十九日〕
同じ趣旨のものが、五巻(二六章「艮坤の二霊」)にもある。根底の国に落ち、種々の艱難辛苦をなめて天授の真霊魂に立替わった神々が、世界改造の神業に参加するとある。
「野立彦命は世の立替へ、立直しの先駆として、まづ世に落ちたる正しき神を一度に岩戸を開き、地獄の釜の蓋を開いて救ひたまひ、世界改造の神種と為し給うたる最も深遠なる御経綸である」〔5巻26章「艮坤の二霊」〕
そして、五十世紀において、不言実行で労苦を楽しみにする三五教信者の系統が、「ミロク人種」として活躍している。我々は、因縁ある身魂との自覚のもと、大神様の御用を果たしてまいりたい。
「十九世紀の終りから二十世紀にかけて芽を吹き出した、三五教の教を信じ不言実行に勉め、労苦を楽しみとしてゐる人間の系統に限つて、夫れ(二尺ばかり)と反対に六尺以上の体躯を保ち、現幽神界に於て、神の生宮として活動してゐるミロク人種もありますよ」〔15巻20章「五十世紀」〕
○人間に生まれる
私は、車の中で、自分が拝読した霊界物語の録音をよく聞いている。そんなある日、「霊の礎」に、動物から人間への転生が示してあることに、初めてのように気がついた。これが、今回の文章のきっかけである。
「輪廻転生の門を越え 禽獣虫魚の境涯を 渉りて現世に人間と 生れ来たりし者もあり」 〔20巻「霊の礎(七)」〕
天人の霊子が下って人間に生まれ、また、動物も、霊的に進化して人間に生まれて来る。竜神も三寒三熱の試練を経て人間に生まれて来る。人間に生まれるには、少なくともこの三通りがある。
さて、「人間」に生まれて来た我々は、はたして「人間」相応の「人間」であろうか。神様が造られた目的どおりの「人間」になりたいものである。
(令4・10・16記)
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