藤井 盛
私は、自分で拝読した霊界物語を録音しているが、第六十七・六十八巻のタラハン国の物語を聞いてみた。一度聞いて面白かったので、再度、少し丁寧に聞いてみた。何が面白かったのか、感想をまとめた。
○勧善懲悪的な物語
わかりやすいストーリーである。
邪霊に憑依された王妃の乱行や国政改革を訴える民衆の蜂起により、タラハン国内は大いに乱れる。
一方、この国の太子スダルマンは、窮屈な王宮生活を嫌い、山奥育ちのスマナー姫と恋に落ち、隠遁生活に出る。
こうしたなか、混乱に乗じて右守サクレンスや女中頭シノブが太子を暗殺して、国政を握り自らの栄達を企てるが、梅公別の働きもあり失敗に終わる。
そして、王宮に戻った太子が王位に就き、国が安泰に治まったというわかりやすい勧善懲悪的な物語となっている。
○『改心劇』も『宣伝使の活躍』もなく
霊界物語には、このタラハン国の物語を含めて王家の物語が八つ【註】あるが、私は、このタラハン国の物語が、他の王家の物語と異なる点が二つある。
一つ目は、『改心劇』 がないことである。
例えば、第三十六巻シロの島の物語では、王妃に取り入った妖僧竜雲が改心し宣伝使となり、また、第五十三巻では、ビクの国に攻め込んだバラモン軍鬼春別将軍が改心し比丘となり、三五教を宣伝している。
二つ目は、『宣伝使の活躍』が見られないことである。
第二十八巻台湾島の物語では、真道彦命が政治的野心を疑われながらも国政改革に奔走し、また、第七十巻トルマン国の王妃千草姫の肉体に入り込んだ千草の高姫を梅公が追い詰め、金毛九尾の悪狐へと還元させている。
確かに、タラハン国の物語においても、梅公別宣伝使が太子を監禁から救うが、前術ほどの『活躍』とは言えない。また、自愛に溺れ栄達を企てた者たちは、宣伝使から諭されることもなく、『改心』とは無縁のままである。
『改心』と『宣伝使の活躍』は霊界物語の大きな柱であるが、タラハン国の物語が、これらがない単なる勧善懲悪劇ではないはずである。一体、私の感じた面白さとは何だろうか。
【註】 第二十八巻(台湾島)、第三十六巻(シロの島)、第四十一・四十二巻(イルナの国)、第五十三・五十四巻(ビクの国)、第六十七・六十八巻(タラハン国)、第六十九巻(珍の国・ヒルの国)、第七十巻(トルマン国)、第八十一巻(イドムの国)
○対話の面白さ
霊界物語はその全般が多くの会話に満ちているが、このタラハン国の物語においても、それは特徴的である。とりわけ一対一の対話では会話の面白さが一層引き出されている。
人が話すことで、その考えや心情のみならず、人格や人間性、ひいては霊性もにじみ出てくるものではないだろうか。
面白く感じた対話をいくつか紹介したい。
註・( )内は、 霊界物語第六十八巻・愛善世界社版の該当ページ
【悪人同士の腹の探り合い】(175~184頁)
太子を暗殺し、太子そっくりの左守の息子アリナを、自分の夫とし王位に就けんと企む女中頭シノブ。右守サクレンスもまた、太子を暗殺し、自分の弟を王女バンナ姫の婿とし王位に就けんと企てる。これら二人の悪人が腹を探り合う。
【恋愛論をめぐる父と娘との論戦】(15~26頁)
左守の職を追われた父シャカンナに、十五歳の娘スバール姫が自由恋愛論で挑む。「蔭裏の豆も時節が来れば花を開き果を結」んだ娘に、父は烟にまかれ、やがて娘は太子のもとに走る。
【茶の湯の宗匠のしたたかさ】(137~144頁)
スバール姫を自宅にかくまい、太子との密会を助けた罪で茶の湯の宗匠タルチンは捕縛される。しかし逆に、大目付を言いくるめて放免されるしたたかさは、さすが世渡りに長けた「茶坊主」と感心してしまう。
【恋するスダルマン太子】(全般)
「余は…」で始まる太子の言葉には、いつも「気品の高さ」を感じる。お供のアリナとの対話での落ち着きや賢明さ。スバール姫との恋の逃避行での太子の伸びやかさ、純粋さ、情熱、そしてさわやかさ。世事に超然としていた太子は、王位に就くと仁政を布く。
○皇神(すめかみ)の化身スダルマン太子
重ねて言うが、スダルマン太子の「気品の高さ」がずっと気になっていた。王の息子たる太子とは、そういうものだろうと思っていた。
しかし、この物語を二度目に聞いた時、最後の梅公別の宣伝歌に驚いた。
「 皇神の化身とあれますスダルマン太子」(286頁)
さらりと詠み込まれてあった。ああ、これが主の神の「気品の高さ」かと納得した。
(平28・3・1記)
〔『愛善世界』平成28年4月号掲載〕
コメント