⑲地軸の傾き

「愛善世界」誌掲載文等

~傾きがなくなる五十世紀~ 

                   藤井 盛

 日本に四季の移り変わりがあるのは、地球の地軸が二十三・四度、太陽の公転面に対して傾いているからである。

 つまり、太陽の周りを地球が傾いて回ることで、夏と冬とでの、日の高さと昼の時間の違いが生じ、太陽エネルギーの照射量と日照時間が変化するからである。

 さて、この地軸の傾きが、どうしてできたのか。月が衝突したとか、巨大隕石が衝突したとかの説があるが、霊界物語には、その経緯を説明するかのようなお示しがある。

○ノアの箱舟

 旧約聖書の「ノアの箱舟」とよく似た話が、「神示の方舟」として霊界物語にある。

 旧約聖書には、悪を地にはびこらした人間を絶滅させるため、神が大洪水を起こした【註1】とあるが、霊界物語では、その人心悪化と大洪水の関係が、より詳しく説明されてある。

 【註1】旧約聖書・創世記第六章五~一七
 「人の悪が地にはびこり…すべての人を絶やそう…わたしは地の上に洪水を送って」

『大洪水』 ミケランジュロ
箱舟は中央左上奥  

〔第六巻第一五章「大洪水」(一)〕

①『宇宙(・・)()変事(・・)は、宇宙(・・)()縮図(・・)たる人心(・・)()悪化(・・)によつて』

②『地上神人の精神の悪化は、地上一面に妖邪の気(・・・・)を発生(・・・)し、宇宙を溷濁(ごんだく)せしめ、天地の霊気を腐穢し、かつ空気を変乱せしめたるより、自然に天変(・・)地妖を発生(・・・・・)するに至る』

③『天変地妖の襲来したのも、全く地上の人類が、鬼や大蛇や金狐の邪霊に憑依(・・・・・)されて、神人たるの天職を忘れ(・・・・・)体主霊従の行動(・・・・・・・)を敢てし、天地の神恩を忘却(・・・・・)したる自然的の結果』

         (丸数字①等は筆者。以下同じ)

 つまり、宇宙の縮図である人心の悪化が、天変地妖を発生させるというのである。また、悪化した人心には邪霊が憑依し、人たるの天職や神恩を忘れ、体主霊従の行動をとるのである。

 そして、霊界物語では、大洪水などの天変地妖により大地が傾くとあるのだが、旧約聖書に「洪水は四十日…山々は全くおおわれ…すべての生き物は…みな地からぬぐい去られ」(創世記第七章)とあるのに比べ、その描写は詳しく、かつ凄まじい。

○大地が傾く

①『雨は頻りに降りきたり、前後を通じて五百六十七日の、大洪水(・・・)大地震(・・・)、彗星処々に出没し、日月光を押し隠し、御空は暗く大地の上は、(たひら)一面の泥の海、凄まじかりける次第なり』

(第六巻第一五章「大洪水(一)」)

②『世は焼劫(せうごふ)に瀕せるか、酷熱(・・)()太陽(・・)数個一時に現はれて、地上に熱を放射し、大地の氷山(・・)()溶解(・・)したる水は大地中心の凹部(あふぶ)なる地球に向つて流れ集まり、地球は冷水刻々に増加して、さしもに高き山の尾上も次第々々に影を没するに至りける。

 このとき()はその位置(・・)()変じ(・・)太陽(・・)は前後左右に動揺(・・)し、地は激動して形容し難き大音響に充されたりぬ。太陽は黒雲に包まれ、地上(・・)()暗黒(・・)と変じ、咫尺(しせき)を弁ぜざる光景とはなりぬ』

(第六巻第一六章「大洪水(二)」)

③『見渡す限り地は一面の()()()彼方(あなた)此方(こなた)の高山は僅かにその()()水上(・・)に現はすのみなりき』

     (第六巻第一七章「極仁極徳」)

④『この大変乱に()柱砕け(・・・)地軸(・・)裂け(・・)宇宙(・・)大地(・・)の位置は、激動の為やや西南(・・)()傾斜(・・)し、(したが)つて天上の星の位置も変更するの已むを得ざるに致りける。

 さて大地の西南に傾斜したるため、北極(・・)()および北斗(・・)()は、地上より見て、その位置を変ずるに至り、地球の北端なる我が国土の真上に、北極星あり、北斗星またその真上に在りしもの、この変動に依りて(やや)我が国より見て、東北(・・)に偏位するに致りける。

 また太陽(・・)の位置も、我が国土より見て(やや)北方(・・)に傾き、それ以後気候(・・・)()寒暑(・・)()相違(・・)を来したるなり』

 (第六巻第一八章「天の瓊矛」)

 これらの異変は、旧約聖書の大洪水どころではない。大洪水に加え大地震なども起こり、酷熱の太陽が数個現れて氷山が溶け、そして、大地は泥海、暗黒となり、高山も頂を残すのみとなったというのである。

  さらに、星が位置を変え、太陽が動揺するなどの大変乱で天柱が砕け、地軸が裂けて大地が西南に傾くこととなったとある。

  そのため、国土の真上にあった北極星や北斗星が、東北に、また、太陽の位置も北方へと傾き、「気候に寒暑の相違」が生じることとなったというのである。

○大地の傾きと四季との関係  

 さて、「大地の傾きで気候の寒暑の相違が生じた」ことを、「地軸の傾きで四季」があることに置き換えることができるだろうか。

【註2】

第4巻第46章
「神示の宇宙」その1
『地球は大地表面の中心』

 一方、我々の知る地球は球形で、我々が見る北極星は、二十三・四度傾いた地軸の延長上にあるので、夜空で静止した位置にある。もしも、地軸に傾きがなければ、北極星は天の真上を中心に回転することとなるが、我々から見れば、天の真上から下がった位置になる。

 つまり、二者のいずれにおいても、北極星は天の真上の位置にある状態ではないということが言える。

 苦しいところであるが、このことから、大地が傾き地球の「気候に寒暑の相違」が生じたことと、地球に「四季」が生じていることの関連付けをしたい。ただ実は、「大地の自働的傾斜運動で、昼夜や四季がある」ことが霊界物語にはあるが。

 ちなみに、この「大地の傾き」が念頭にあると思われるが、立替えで北極星が元の「日本の真上」に戻るのかと聞かれた聖師が、そうはならないと答えられている。【註3】

 【註3】新月の光 昭二○・冬

○厳瑞二神の犠牲的慈愛

 さて、この大洪水が起きるのは、国祖ご隠退後に、常世神王、盤古神王両陣営の争いにより世の中が乱れるなかで、国祖が野立彦命に、また、妻神豊国姫が野立姫命と現れて、月照彦神などの宣伝使らが、救いの基本宣伝歌を唱え広めるなかにおいてである。

 なお、善人は「神示の方舟」や金銀銅の三橋より垂下する救いの綱、亀と化した琴平別により、大洪水から救われている。

 しかし、この惨状から森羅万象を救うため、野立彦命、野立姫命は、宇宙の大原因神大国治立命に救いを祈願されるとともに、地上万類の罪の贖いのため、天教山の噴火口に身を投げられるのである。

 この犠牲的仁慈の徳のもと、大国治立命の命を受けた伊邪那岐尊と伊邪那美尊が、天の()(ほこ)を用いて「国造り」を行われることで、泥海の水が減じて元の陸地となり、全滅せんとした万物は残らず救われている。また、祓戸四柱の神により陸地の祓い清めが行われている。              

淡路島「伊弉諾神宮」祭神:伊弉諾大神・伊弉冉大神 (28.12.23撮影) 淡路島は「国生み」最初の島

 このように大洪水の話を共通として、世間によく知られた旧約聖書にある「ノアの箱舟」と記紀神話の「那岐・那美二神の国生み」の二つの話が、霊界物語のなかで一つの連続したストーリーになる。

 そして、この二つの話をつなぐのは、天教山の噴火口に身を投じられた野立彦命、野立姫命の厳瑞二神の犠牲的慈愛のご活動である。

○三五教の誕生

 さらに、厳瑞二神のあとを追って、月照彦らの諸神人も噴火口に身を投じられるが、その後地上世界に転生し、釈迦や達磨、イエス、孔子などとなって人類の救済に当たっていかれる。

 一方、野立彦命は埴安彦神と現れて五大教を、また、野立姫命は、埴安姫神から、さらに三葉彦命と現れて三大教を開き、両者は統一し三五教が誕生することとなる。 

 このように、厳瑞二神の犠牲的仁慈のご活動が基となって、今日(こんにち)我々が知る世界の各宗教につながっており、まことにスケールの大きな話である。

 これまで述べた大洪水発生から、最後に万物が救済されるまでの流れを、〔図表①〕でまとめてみた。

○蒼生絶滅の話も

 しかしながら、霊界物語には一方で、蒼生、つまり人々がすべて絶滅してしまう話もある。

 金竜・国祖大国常立尊と銀龍・坤の金神のご活動で大地の形成が始まるが、やがて、神のご意思を実行する機関として人間が登場してくるものの、弱肉強食となった人間に邪霊が憑依し、世の中が悪化してしまう。 

 そして、国祖の大神が人間に警戒を与えるも改まらず、再び天地の修理固成が行われて、地球は大変動を起こし、叢生は全く滅びてしまうのである。

 この大変動がノアの洪水で例えてあり、また、この後にできたのが、国祖のご肉体たる日本の国土である。

 『そのさまあたかもノア(・・)()洪水(・・)当時に彷彿たるものであった』

(第一巻第二一章「大地の修理固成」)

 また、第十五巻では曲津の島が沈められている。

 『曲津神の棲む黄泉島(よもつじま)はどうしても、海中に沈めてしまはねばならぬのだ』
   (第十五巻第二七章「航空船」)

 ちなみに玉鏡や新月の(かげ)には、黄泉島が「ム」大陸だとあり【註4】、霊界物語に書かれてあることが、俄然、現実味を帯びてくる。

 【註4】新月の光は、昭一九・四・九/昭二一・三

 なお、もとより人は、神のご意思の実行機関として、また、天国を円満ならしむべく【註5】神より作られたものであるが、その基礎となるこの世界がたとえ暗黒界になろうとも、それを憤り泥海としないよう、天地万有を創造された国祖の大神さまが忍耐を重ねておられる【註6】ご苦労を、我々は忘れてはならない。

 【註5】第四十八巻第一二章「西王母」

 【註6】第四巻第一八章「隠忍自重」

○大地の傾斜が消滅

 さて、この傾いた大地が元に戻ることが、第十五巻に書かれてある。今から三千年後となる五十世紀においてである。

 『大地(・・)()傾斜(・・)()()復し(・・)てより、今は御覧の如く低地は残らず湖水となり、唯高山の頂きのみ頭を現はし』

 (第十五巻第二一章「帰顕」)

  その経緯は示されてはいないが、大地の傾斜が元に戻って、低地が湖水に没している。

 ところで、この場面は、五十世紀の神界におけるものであるが、時間についての観念が述べてある。

 『神界に時間はありません。これも現界(・・)より(・・)見て(・・)()年数(・・)です』    

 (第十五巻第二一章「帰顕」)

 時間のない神界で、現界から見た年数とあり、理解できそうで、できない感じが残るが、この第十五巻(第二○・二一章)に示されたことを〔図表②〕で整理してみたところ、実に整然としていた。

 ここの場面は、言依別命らが、三十五万年前の現界から五十世紀の未来の神界の高天原に行き、神素盞嗚大神や国祖国治立命と対面するとともに、松彦から、五十世紀の世のありさまを知らされるところである。

○顕幽一致

 さて、大地の傾きがなくなった五十世紀の状態が、次のようにも示してある。

 『地上(・・)()世界(・・)炎熱(・・)甚しく(・・・)相成りたれば、今は()軽き(・・)神人(・・)は残らず、()()御国(・・)移住(・・)をすることになつてゐます』    (第十五巻第二一章「帰顕」)

 この日の御国とは天国であろうから、移住とは帰幽になる。罪軽き者が天国へ、罪重き者が、炎熱甚だしい地上に残るということになる。

 また一方で、顕幽一致により、現界と神界との行き来が自由であることも示されており、日の国への移住も、帰幽というほどに重く受け止める必要はないのかもしれない。

 『顕幽(・・)一致(・・)、現界に住まってゐる人間の霊体が此高天原に遊びに来てゐるのだ』

 (第十五巻第二○章「五十世紀」)

 さらに、今、我々が使っているEメールが、未来の神界において使用されるかのような記述もある。ここにも、現界と神界とが入り混じった様子が見られる。

  なお、その開始が「二十一世紀初期から」とあり、まさに我々が生きている現在で、その記述の細かさにも驚く。

『指先を以て空中に七十五声文字を記せば、配達夫は直に配達して呉れますよ。‥この交通機関は廿一世紀の初期から開始されたのですよ』

              (第十五巻第二一章「帰顕」)

○ミロク人種

 また、五十世紀の人間は、労苦を厭い、電車や自動車ばかりに乗って手足を使わなかったため、身長二尺で弱々しくなっているとある。また一方で、身長六尺以上の「ミロク人種」がいて、神の生き宮として活動していることが紹介してあり、しかもその活動は「現幽神界」の境を越えたものとなっている。

 『(しか)(なが)ら、十九世紀の終りから二十世紀にかけて芽を吹き出した、三五(・・)()()()()信じ(・・)不言(・・)実行(・・)に勉め、労苦(・・)()楽しみ(・・)としてゐる人間の系統に限つて、夫れと反対に六尺以上の体躯を保ち、現幽神界に於て、神の生宮として活動してゐるミロク(・・・)人種(・・)もありますよ』

 (第十五巻第二〇章「五十世紀」)

 また、この第十五巻では、二十世紀を「幼稚な時代」「魂の小さい人間が住まって居た時代」など厳しく指摘されているが、まさに、今の世は、われよし、つよいものがちの末法の世、泥海時代で、そうであるからこそ、国祖の大神さまや天祖の大神さまが、立替え立直しにより、みろくの世、黄金時代を開かんとされたところである。

 そのご神業への奉仕、あるいは、神の生き宮たるの活動が、五十世紀の「ミロク人種」へとつながるとすれば、教えを信奉する者にとって、未来に対する大いなる希望であり、現在への揺るぎない自信ともなる。

 今回、大洪水などの天変地妖が、人心悪化によることの整理が改めてできたが、『教えを信じ、不言実行で労苦を楽しめ』という神さまのメッセージは、我々の大いなる励みとなるものである。

 なお、これと同様、人のあり方について、天地経綸の主体たることのお示しが、第五十六巻にある。私の好きな一節である。

 『神様が人間を世界に創造し玉ふた使命は、決して人間が現界に於ける生涯(・・)()安逸(・・)を計らしむるが如き浅薄(・・)なものではない、人間は神様(・・)目的(・・)経綸(・・)をよくよく考察して、何処までも善徳を積み信真の光を顕はし神の生宮、天地(・・)経綸(・・)()御使(・・)となつて三界の為に大々(・・)()活動(・・)せなくては成らないものである』
              (第五十六巻 総説)

        

《追記》

○宣伝歌【註7】に、「思想の洪水(・・)氾濫し…ノア(・・)()方舟(・・)尋ね()び…三五(あなない)(けふ)御諭(みさと)しは最後の光明(とど)めなり」とあり、現代の思想の洪水に、御教えで救われる。     

【註7】最後の光明(第十巻 総説歌)

○ノアの箱船が示された「旧約聖書」はユダヤ教の教典であるが、それを信奉するイスラエルの民の遺跡が、「記紀神話」の国生み最初の淡路島にあると聞き、昨年十二月二十三日、そこを訪れた。

 なお、この遺跡の調査を、白山義高氏が出口王仁三郎聖師の命で行ったという。そうであれば、ここにも旧約聖書と記紀神話、そして、それらをつなぐ出口王仁三郎聖師の世界がある。        

        (平29・1・22記)
  〔『愛善世界』平成30年8月号掲載〕

出口王仁三郎聖師
イスラエル遺跡
〔淡路洲本温泉〕
(28.12.23撮影)

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