(55)入蒙を考える(その二)―キリストの聖痕―

「愛善世界」誌掲載文等

○三朝別院の歌碑

 昨年十二月一日、鳥取県三朝温泉にある大本三朝別院の大祭に参拝した。その別院の玄関先に、昭和二年十一月に詠まれた出口聖師の歌碑がある。

「三四年前から来てみたいと思ふていた三朝温泉にやっと来ました」                                       

 

大本三朝別院の歌碑(R.5.12.1)

 お歌を詠まれた昭和二年の四年前は大正十二年である。この大正十二年の三月から四月に、出口聖師は皆生温泉で霊界物語の口述をされている。この頃、皆生温泉からそう遠くない三朝温泉に行ってみたいと思っておられたということだろう。

 しかも、三朝温泉には昭和二年十一月に続いて、翌昭和三年三月にも行かれている。みろく下生たる出口聖師が、五十六歳七ヶ月になられた三月三日からまもない十四日から三十一日までである。「三朝」とは、三度朝廷が立ったからという話も聞いたが、出口聖師が三月三日を挟んで二度も行かれ、また、出口聖師御昇天後に別院も建てられている。三朝は、どういう神縁の地だろうか。

○不思議な黄金の夢

 大正十二年、皆生温泉で口述されたのは五十七巻から六十巻までである。その中の五十九巻(「総説歌」)に、出口聖師御自身が、紫磨黄金の弥勒菩薩になられた不思議な夢の話がある。

59巻には大山にまつわる話も(R.5.12..2(他も同日))
「海潮園」(口述の浜屋旅館一部)
出口聖師の歌碑(大本島根本苑) 
「出雲路の旅にし立てば時じくを吾が眼引かるる雪の大山」
「皆生八大龍神」60巻に八大竜王「タクシャカ竜王」の話

「黄金の翼に乗せられ金剛不壊の山に降りると、弥勒菩薩と呼ばれた自分が紫磨黄金の肌となっていた。(かう)(せい)(しゆ)と呼ばれ、世界の人に苦・集・滅・道を説けば、天地が震動し道法礼節も治まり、一天一地一神の治世を見た」というものである。

「弥勒菩薩と呼ぶ声に ハツと気がつき我身を見れば 紫磨黄金の肌となり…更生主と仰がれながら(だう)(しやう)(たい) 完全(うまら)委曲(つばら)に説き出だす」(五十九巻「総説歌」)

 これによく似た話が、回顧歌集「霧の海」にある。第二回目の高熊山修業においてだが、黄金(こがね)の雲に包まれ、女神の身体(からだ)に変わった出口聖師に、木の花姫が合掌している【註1・註2】。

「わが身体(からだ)たちまち女神とかはり…木の花姫は…われに合掌し…わが身を見れば…黄金(こがね)の雲に包まれて」

 また、()()()(めの)(かみ)現身(うつせみ)身体(からだ)を持った神であることが示されている。

「伊都能売神と顕現し、大宇宙の中心たる現代の地球(仮に地球といふ)の()()()()に現れ、現身(うつせみ)をもちて、宇宙更生の神業に尽し給ふ世とはなれり」(七十三巻一二章「水火の活動」次も)

 なお、伊都能売神は厳瑞二霊の接合した神であるとともに、瑞の御霊となるとある。つまり、瑞の御霊は、厳の御霊を含んだ御霊ということになる。

「厳の御霊、瑞の御霊二神の接合して至仁至愛(みろく)神政を樹立し給ふ神の御名を伊都能売神」

「伊都は(いづ)にして火なり、能売(のめ)は水力、水の力なり、水は又(みづ)(はた)(らき)(おこ)して(ここ)に瑞の御霊となり給ふ」

 このことは、瑞の御霊の大神に一切の神権が集まるということにつながる。

「瑞の御霊の大神は大国常立大神を初め日の大神、月の大神其外一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまふ」(四十七巻九章「愛と信」)

 さて、瑞の御霊たる出口聖師は、現身を持った伊都能売神ということであるが、天眼通【註3】を有する人には、出口聖師の肌が紫磨黄金に見えたのではないだろうか。

 また、六十七・六十八巻には、主神が一国の太子スダルマンに化身して王政の改革を行うタラハン国の物語がある【註4】。

 スダルマン太子は、スマナー姫と恋に落ちて隠遁生活に入るなど一見遊び人風である。そのスダルマン太子が主神の化身であることが、見落としそうな六十八巻最後の宣伝歌の一節に示してある。    

 (あり)()(がわの)(みや)(たる)(ひと)親王を父とし、三界の大革正を進められた出口聖師がスダルマン太子と重なることを、私は見落としたくない。

「時しもあれや(すめ)(かみ)の 化身とあれますスダルマン 太子の君は(いち)早く」(六十八巻二一章「祭政一致」)

【註1】『愛善世界』誌平成二十七年十一月号「聖師の二回目の高熊山修行―歌集『霧の海』より―」

【註2】YouTubeチャンネル藤井盛「出口聖師の二回目の高熊山修行」

【註3】一巻「発端」

【註4】『愛善世界』誌平成二十八年四月号「タラハン国の物語を聞く」

○みろく様の御(み)手(て)の代わり

 皆生温泉での口述は、大正十二年三月二十四日から四月七日までである。また、夢で出口聖師が紫磨黄金の肌となり、弥勒菩薩と呼ばれたのは四月三日である。  

 その年の八月二十三日(旧七月十二日)、出口聖師五十二歳の誕生日に杖立温泉で出されたのが御手代(みてしろ)である。この日がちょうど、出口聖師が伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となられた日であることが、入蒙記に示してある。

「五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり」(入蒙記八章「聖雄と英雄」)

 現身(うつせみ)、つまり身体(からだ)を持たれた伊都能売御魂=弥勒最勝妙如来=瑞霊である出口聖師の御手(みて)の代わりが御手代である。御手代お取次により、現身の伊都能売御魂、つまりみろく様たる出口聖師の御手から発せられる御神徳をいただくということになる。

 福島県の草野一也さんから、病気の母親に御手代お取次をした時、御手代から黄金の光が出たという話を聞いたことがある【註5】。まさに、紫磨黄金の肌たる出口聖師の御手から発せられた黄金の光である。

【註5】参考『愛善世界』誌令和二年三月号「御手代お取次のご神徳」

御手代

○キリストの聖痕

 御手代を出された翌年の大正十三年二月十三日、入蒙のため出口聖師は綾部を発たれ、下関から関釜連絡船で大陸に渡られた。

 二月十五日に奉天着。盧占魁の公館に滞在され、御自身の伊都能売御魂たるの御神格とともに、その身体的特徴を明かにされている。

「五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり」(入蒙記八章「聖雄と英雄」以下同じ)

「掌中に()(だい)(てん)(もん)(かい)(りう)(もん)固く握りて(くだ)る救世主」

基督(キリスト)の聖痕迄も手に(しる)し天降りたる救世(ぐぜ)の活仏」

 また、盧占魁は、観相学者にその身体的特徴を確認させ、盧自身も釘の聖痕や、背中のオリオン星座の形をした黒子(ほくろ)等を見て驚喜している。

出口聖師の背中の黒子(ほくろ)

「掌中四天紋=乾為天…指紋皆流=坤為地」(入蒙記九章「司令公館」)

 さらに桃南を出て三月二十六日、出口聖師の(てのひら)に聖痕が現れ、出血している。

「日出雄の左の(てのひら)から釘の聖痕が現はれ、盛んに出血し淋漓(りんり)として(かひな)(したた)つた」(一五章「公爺府入」)

三界唯一の大救世主として両掌に五天紋と右拇指の⦿の印、十指の階流紋のある聖師の手

 この様子を、入蒙に同行した合気道の始祖植芝盛平氏が語っている。

「私はそれを見ていよいよこれはえらいことになるぞと思った」(『救世(ぐせい)(みふね)に』二○○頁)

 なお、出口聖師は、五十九巻では夢の話としたものを、入蒙では、御自身が「弥勒下生」【註6】であることを名詞に(しる)して、ストレートに伝えておられる。

出口聖師の名詞「弥勒下生」

【註6】参考 三柱の御子を引連れ降りたる達頼は弥勒の下生なりけり(八章「聖雄と英雄」)

〇親指の跡

 私は、出口聖師のお茶碗を持っている。昭和七年七月から東京で開催された「満州国大博覧会」のお手伝いをされた方が、出口聖師から御礼にといただかれたものである。

 お茶碗の裏に、出口聖師の親指の跡が等間隔で三つある。親指を当てるとみろく様のお力がいただける気がする。残念ながら、親指の跡から出ているに違いない黃金色を、私は見ることができないが。

出口聖師のお茶碗(陽光)。 右下に親指の跡

【追記】

 一月三十日にこの原稿を書き上げてまもなく、私は帯状疱疹にかかった。二月一日の夜から五日の夜までの五日間、その痛さに眠ることができなかった。そのことが原因か、私は「うつ」に陥った。十五年前の平成二十一年七月、災害対応で十日間まともに眠らせてもらえない中、上司の激しい叱咤を受けるなどしてうつ病を患って以来であった。当時、その回復に三年を要した。

 ああ、また「うつ」か、三年はもう耐えられない…と打ちひしがれていたところ、同居の娘が自分たちの部屋で一緒に寝ようと言ってくれて、暖かい部屋で六日ぶりに眠ることができた。明け方四時に目覚めた時、頭が暖かくすっきりして、気持ちにわくわく感が出ていた。うつが抜けていた。 

 前回三年かかったものが、一夜で抜けた。まるで奇跡だった。日本で年間二万人が自殺するというが、うつ病の苦しさは、なった者でしかわからない。

 私が十年ほど前から、神様に関する文章を『愛善世界』誌に投稿し始めたのは、三年にわたるうつ病が治ってからである。病気という試練がなければ、おそらく私は文章を書くということにはならなかっただろう。

 今回うつになって、お茶碗の出口聖師の指跡に自分の指を当てて、天の数歌をひたすら唱えた。そして、うつが治ったことで、出口聖師の指跡から黄金色が出ているという(あかし)をなすことができたのだと確信した。

「お茶碗の聖師の指跡に指を当て天の数歌何度も唱える」

(令6・2・19記)

 

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