藤井 盛
一月二十九日、愛善苑の塩津晴彦さんが兵庫県たつの市で開催されている「霊界物語たつの研修会」の第三十五回に参加した。
第四十八巻の勉強をしていた時に、特にその場で話題になった訳ではないが、第一〇章「天国の富」(下記に掲載)のところで、「天人」や「ミロクの世」の語句が私の目についた。第四十七巻「跋文」にある「黄金世界」が連想され、これは出口なお開祖との関係がたどれるのではないかと思い、まとめてみることにした。
○霊より体を重んじる獣類(けもの)の世
国祖国常立尊の大神が
『今日は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの世であるぞよ‥神国の世に致すぞよ【註1】
と出口なお開祖に神懸かりされて地上霊界の主宰神として再出現をされ、また、国祖の大神の輔佐神として
『現代人は‥体を重んじ、霊を軽んじ物質的慾念に駆られ易く‥かかる現界の不備欠陥を補はむ【註2】』
と天祖ミロクの大神が出口王仁三郎聖師として降臨されている。
つまり、現代が「霊より体を重んじた獣類の世」となったために、「ミロクの世」へのご経綸が行われることとなったのである。
【註1】霊界物語第六十巻第二〇章「三五
神諭その一」明治二十五年旧正月‥日
【註2】第四十八巻第一二章「西王母」
〇天人たる開祖
さて、この「ミロクの世」へのご経綸が、「予言者なる媒介天人」をもって行われると示してある。
『茲に予言者なる媒介天人を設けて之を地上に下し、其神人をもつて天界の根底及び基礎となし、又之によつて天界と人間とを和合せしめ、地上をして天国同様の国土となさしめ給ふべく、甚深なる経綸を行はせたまうたのである。
この御経綸が完成した暁を称して、松の代、ミロクの世、又は天国の世と云ふのである』
〔第四十八巻第一〇章「天国の富」〕
予言者なる媒介天人が天界の根底・基礎となって天界と人間を和合し、地上を天国化するとあるが、次のお示しを重ねると、この予言者なる媒介天人が開祖であるということになる。
『大本の神諭は、国祖大国常立尊、厳霊と顕現し、稚姫君命、国武彦命等の精霊に其神格を充し、さうして天人の団体に籍を有する予言者なる出口開祖の肉体に来し、大神の直々の御教を伝達された』
〔第四十八巻第九章「罪人橋」〕
つまり開祖は、天界の根底・基礎となって天界と人間を和合する天人として、地上を天国化するために地上に下されたということである。
〇黄金時代への復帰
さて、現代が霊より体を重んじた獣類の世であると冒頭で述べたが、現代は泥海世界・泥土世界だと示してある。
『現代は遠き神代の黄金時代は何時しか去り、白銀時代、赤銅時代、黒鉄時代と漸次堕落して、今や混沌たる泥海世界となつて了つた』
〔第四十八巻第九章「罪人橋」〕
『現今の時代は‥泥土世界と堕落し、善も真も其影を没して了つた暗黒無明の地獄である』
〔第四十七巻第二一章「跋文」その二〕
『今や泥海時代と堕落し‥地上一切の民は仁慈無限の大神の恩恵を忘却し、自己愛的行動を敢てなし‥地獄餓鬼畜生修羅の惨状を現出することとなり』
〔入蒙記第二章「神示の経綸」〕
善も真も影を没し、大神の恩恵を忘却し、自己愛的行動をなす泥海・泥土世界と化した現代を、理想たる最初の黄金世界に復帰させることが、今回の大本のご経綸であって、この黄金世界を松の代、ミロクの世というのである。
『最初の御理想たる黄金世界を地上に完全に建設し玉ふ』『常暗の世をして最初の黄金世界に復帰せしむる御神業』
〔入蒙記第二章「神示の経綸」〕
『惨澹たる世界をして松の代、三五の代、天国の代に復活せしめむ』
〔第四十七巻第二一章「跋文」その二〕
○相応の理
では、復帰すべき黄金世界とはどういうものであろうか。
『太古に於ける現世界の住民は何れも、清浄無垢にして、智慧証覚にすぐれ、愛の善と信の真をよく体得し、直接天人と交はり、霊界も現界も合せ鏡の如く、実に明かな荘厳な世界であつた』
〔入蒙記第二章「神示の経綸」〕
太古の住民は、清浄無垢で智慧証覚に優れ、直接天人とも交わったとあるが、天的人間で相応そのものによって思索し、また、天界と世間の和合がこれらの住民によってなされたとある。
『地上に於ける最太古の人間は即ち天的人間であつて、相応そのものに由つて思索し彼等の眼前に横たはれる世間の自然的事物は、彼等天的人間が思索をなす所の方便に過ぎなかつたのである。
太古の人間は天人と互に相交はり相語り、天界と世間との和合は彼等を通して成就したのである』
〔第四十七巻第二一章「跋文」その二〕
主神からも直接教えを受けている。
『主神をも相見るを得て、其教を直接に受けたものも沢山にある』
〔第四十七巻第二一章「跋文」その一〕
ところで相応とは何か。自然界は霊界と相応があり、自然界の源泉は霊界にあるということである。
なお、前文でも引用している第四十七巻第二一章「跋文」は、スエデンボルグの「天界と地獄」(鈴木大拙訳)を底本としており、使われている語句もほぼそのままであるが、難しい文章である。
『自然界は‥悉く霊界と相応がある。故に何事たりとも自然界にあつて其存在の源泉を霊界に取るものは之を名づけて、其相応者と云ふのである。そして自然界の存在し永続する所以は霊界による』
〔第四十七巻第二一章「跋文」その一〕
また同様の趣旨の記述で、「現界・自然界・人間」と「霊界・天界」に相応があると示してある。
『現界即ち自然界の万物と霊界の万物との間には、惟神の順序によりて相応なるものがある。又人間の万事と天界の万物との間に動かすべからざる理法があり、又其連結によつて相応なるものがある』
〔第四十八巻第一〇章「天国の富」〕
しかし、黄金時代以降、相応の理から次第に遠ざかる。その後の時代別の説明が第四十七巻第二一章「跋文その二」にあるので、表にしてみた。
《時代別の説明》
〔第四十七巻第二一章「跋文」その二〕
図のように、黄金時代を離れるに従って相応による思索も知識もなくなり、天人との関わりや人を通した天界と世間の和合もなくなり、そして善徳が霊的から自然的になり、ついに善も真も影を没する「泥土世界」の現代に至っている。
この「泥土時代」にある現代人は、霊界と人間に相応があるということを知らないため、吾と世間に執着し、外的感覚を喜ばせる世間的事物のみに関心を持ち、内的心霊を喜ばせる霊的事物には関心を持たないとある。
『現代人は霊界一切の事物と、人間一切の事物との間に一種の相応あることを知らず‥無智の原因には‥『我』と世間とに執着して自ら霊界殊に天界より遠ざかれるに由る‥吾と世間とを愛するものは只外的感覚を喜ばし、自己の所欲を遂げしむる所の世間的事物にのみ留意して‥即ち内的感覚を楽まし心霊を喜ばしむる所の霊的事物に至つては彼等の関心せざる所である』
〔第四十七巻第二一章「跋文」その一〕
また、外的感覚「外分」の詳しい説明があるが、これは我々の常日頃の感覚である。
『人間の知識や学問等より来る悦楽及び快感の総て世間的趣味を帯ぶるもの、又肉体の感官に属する諸々の快感及び感覚、言語、動作を合せて之を人間の外分となすのである』
〔第四十八巻第一〇章「天国の富」〕
○人間は和合の媒介者
主神は目的を持って国土を創造されたとある。
『主神の国土は目的の国土である。目的とは用そのものである。故に主神の国土を称して用の国土と云うても可なる訳である』
〔第四十七巻第二一章「跋文」その二。以下同じ〕
その目的・用は、まず天界で発揮され、そして終局点たる自然界・現界でも発揮される。
『故に主神は神格の始めに宇宙を創造し、形成し給ふや、初めは天界において‥次は世界に於て到る処、動作の上即ち結果の上に用を発揮‥次第を逐うて自然界の終局点に迄も至らなければ已まない』
よって、この目的・用によって、自然界たる世間と天界とが相応している。
『故に自然界事物と霊界事物即ち世間と天界の相応は用に由つて成就する』
そして、その「和合の媒介」が人間である。
『人間なるものは自然界をして霊界に和合せしむる方便即ち和合の媒介者なることである』
人間は、自然界を霊界に和合させる「媒介」、なかだち、「方便」、手だてということである。
その和合の媒介者となるには、国土創造に当たって主神の抱いた目的・用、つまり、「主神に対する愛と隣人に対する仁」を、人間自らの中に抱いておく必要がある。これが「用の形態」、「用を遂ぐる」と表現してある。
『人間にあつては神の法則に従つて生活する限り、即ち主神に対して愛、隣人に対して仁ある限り、かれの行動は用の形態に現はれたものである。これ天界と和合する所の相応である。主神と隣人を愛するといふのは要するに用を遂ぐることである』
なかなか難しい内容であるが、これは、死後、天国へ昇ることについて、神を愛し信じて、身内に天国を作っておかなければ、身外にある天国は流れ込んでは来ないということと似ている。
『天国に上るものは、地上にある時其身内に愛と信との天国を開設し置かなければ‥身外に在る天国は決して其人に流れ来るものでは無い‥神を愛し神を信じ無限絶対と合一しておかねば成らぬ』
〔第十七巻 霊の礎(三)〕
○和合の役を開祖が果たす
これまで、人間が天界と自然界の和合の媒介であることを述べてきたが、同様の趣旨が第四十八巻第一〇章「天国の富」にもあり、「媒介」が「神様の根底・基礎」と表現されている。また、神格の内流の窮極が人間であるため「神様の根底・基礎」だと示してある。
『神的順序の窮極する所は所謂万物の霊長、神の生宮、天地経綸の主宰者、天人の養成所たるべき人間なのである。故に人間は総て神様の根底となり、基礎となるべき事を知るべきである』
『神格の内流が通過する中間は高天原にして、其窮極する所は即ち人間に存する‥天界と人類と和合し連結するや、両々相倚りて継続存在する』
〔第四十八巻第一〇章「天国の富」〕
なお、これに関係する平明な文書を見つけた。神界の天人と現界の人間が、それぞれの世界での「基礎」であり、持ちつ持たれつの関係にあると述べてある。
『霊界によって現界は保たれ、現界によって霊界はひらかれてゆく‥現界と霊界とは一つのものの両面、または相表裏している‥現界の基礎たる人間の霊は神界から下され、神界の基礎たる天人は現界から送り出され‥霊界と現界との間には‥人間の生死往来を通じて‥共に持ちつ持たれつの形において成立し発展し』
〔『愛善世界』平成二十九年三月号〕
しかしながら、現代の人間は、内分を神に背け、自愛や世間愛の外分のみに向かい、「和合の媒体」や「神様の根底・基礎」のお役を果たしていないのである。
『斯の如き尊き人間が、其内分を神に背けて、高天原との連絡を断絶し、却て之を自然界と自己とに向けて、自己を愛し、世間を愛し、其外分のみに向ひたるにより、従つて人間は其身を退けて再び高天原の根底となり、基礎となるを得ざらしめたるによつて』
〔第四十八巻第一〇章「天国の富」〕
そこでやむを得ず、大神は地上に開祖を下して「天界の根底・基礎」とし、ミロクの世の経綸を行わんとされたのである。
『大神は是非なく、茲に予言者なる媒介天人を設けて之を地上に下し、其神人をもつて天界の根底及び基礎となし、又之によつて天界と人間とを和合せしめ、地上をして天国同様の国土となさしめ給ふべく、甚深なる経綸を行はせたまうたのである。
この御経綸が完成した暁を称して、松の代、ミロクの世、又は天国の世と云ふのである』
〔再掲―第四十八巻第一〇章「天国の富」〕
難しい内容であるが、以上のことを私なりにイメージしてみた。
○開祖の前身初稚姫
さて、このようにミロクの世へのご経綸のため、天界の根底・基礎となり、天界と人間を和合させるお役を果たされる開祖であるが、その前身は、霊界物語の主人公である初稚姫である。
『此物語の主人公たる初稚姫は再び天の命を受け、地上に降誕して大本開祖となり』
〔第五十巻第二章「照魔燈」〕
初稚姫は、内分が黄金時代の天的天人と向上し大神の直接内流を受け、また、天人ともよく語る優秀な神格者、宣伝使であるが、大神の意思により予言者の開祖として降臨されている。
『初稚姫は‥純粋無垢なる霊魂‥黒鉄時代に生れながら、其本体即ち内分的生涯は、黄金時代の天的天人と向上‥故に宣伝使としても又地上の天人としても、実に優秀な神格者であつた』
〔第五十巻第一章「至善至悪」。以下同じ〕
『大神の神善と神真とを能く体得し、無限の力を与へられ、神の直接内流を其精霊及び肉身に充せ‥能く天人と語り、或は大神の御声を聞き、真の善よりする智慧証覚を具備』
『初稚姫の神霊は再び大神の意思を奉戴し、地上に降臨し、大予言者となつて綾の聖地に現はれ、其純朴無垢なる記憶と想念を通じて、天来の福音を或は筆に或は口に伝達し‥殆ど三十年に及んだ』
○初稚姫の活躍
ところで、初稚姫は霊界物語の第二十一巻から第六十五巻までに登場している。霊界物語の主人公というのは、その登場回数だけではなく、我々人間がめざすべき黄金時代の天的人間の有り様を示しているからではないかと考える。以下、霊界物語での初稚姫の活躍を追ってみた。
なお参考に、霊界物語資料編(天声社)や霊界物語電子ブック版(八幡書店)の「概要」を用いた。
〔第二十一巻〕
◇六歳。父杢助の金銀への執着を取り、盗人も改心させる。
◇神懸かりによる作戦計画の宣示。
◇鷹依姫を改心させ、高姫、黒姫を救い出し、高姫の飲み込んだ如意宝珠などの玉を吐き出させる
〔第二十二巻〕
◇玉能姫とともに、言依別から二個の玉を神島へ埋蔵する御用を命じられる。
〔第二十五巻〕
◇オーストラリアでの神教宣布。
◇諏訪湖の玉依姫から五つの玉「麻邇宝珠」を授かる。
〔第二十七巻〕
◇杢助らとフサの国の斎苑の館に向かう。
〔第四十九巻〕
◇十七歳。神素盞嗚尊から宣伝使として派遣される。
〔第五十巻〕
◇スマートとともに肉体的精霊の妖幻坊を遁走させる。
◇悪霊に憑依された高姫を憐れみ、和光同塵の気持ちで教導しようと努める。
〔第五十二巻〕
◇祠の森の聖場の難を救い、インドのハルナの都を指して出発する。
◇浮木の森で、ガリヤ、ケース、ランチ、片彦、初、徳を救い、真理を説きさとす。
〔第五十八巻〕
◇テルモン湖でワックスらに襲われた玉国別一行を救出する。
〔第五十九巻〕
◇岩窟の玉国別らと倉の中のチルナ姫らを救う。
〔第六十三巻〕
◇中有界で高姫に責め苦を受けていた伊太彦、ブラヴァ―ダらを救出する。
◇玉国別一行らに「宣伝使は一人旅」と言い渡す。
〔第六十五巻〕
◇生命の瀬戸際にあった玉国別と真純彦を救う。
○宣伝使たる初稚姫
宣伝使の初稚姫が、十七歳で神素盞嗚尊から命じられ、大黒主を言向和す旅に出て行くところである。
『聖地伊祖の館より、印度国ハルナの都の大黒主を言向和し‥五六七の神政を地上に布かむと瑞の御霊神素盞嗚尊数多の宣伝使を派遣し給ふ内にも、最も有名なる女宣伝使初稚姫が未だ十七歳の花の姿甲斐々々しく‥大神の御前に復命せむと征途に上り玉ふ』
〔第四十九巻「総説」〕
初稚姫は、前記のとおり人々や宣伝使を救い、また、宣伝使の指導役も担っている。ことに、肉体的精霊妖幻坊を初稚姫の父杢助と思い込んでいる高姫を、高姫に憑依した悪霊も併せて救わんとしているところが印象的である。
『彼高姫には金毛九尾の悪狐の霊憑依せり‥吾は和光同塵の態度を極力維持し‥暫く吾は猫を被つて彼と交際し、何時とはなしに高姫と精霊とを天国に救ひやらむ』
〔第五十巻第三章「高魔腹」〕
○稚姫君命と開祖
ところで、初稚姫は稚姫君命の裔、あるいは稚桜姫命の再来である。
『稚姫君命の御霊の裔なる初稚姫』
〔第三十三巻第一七章「感謝の涙」〕
『あの初稚姫は稚桜姫命の再来なれば』
〔第五十巻第三章「高魔腹」〕
また、稚桜姫命は、国祖の気吹からお生まれになっている。
『神様が人間姿となつて御活動になつたその始は、国大立命、稚桜姫命が最初であり、稚桜姫命は日月の精を吸引し、国祖の神が気吹によつて生れたまひ、国大立命は月の精より生れ出でたまうた人間姿の神様である』
〔第二巻「総説」〕
国祖の気吹から生まれられた稚桜姫命(稚姫君命)の再来である初稚姫が、地上に開祖として降られたという関係があるなかで、国祖が、稚姫君命の精霊に神格を満たして開祖の肉体に懸かられたということである。
しかしながら、次のとおり国照姫や国武彦命、惟神真道弥広大出口国直霊主命などのご神名の他、聖霊や精霊、霊身、また三神一体など、さらに昇天時も「稚姫君と復帰」や「稚姫君の御霊と共に」などと、その表現も一様ではない。
《間接内流》
『教祖国照姫命に懸らせ玉ふた神様は、宇宙の創造者、天地の祖神大国常立尊でありまして‥心身共に浄化したる教祖は稚姫君命の精霊を宿され、‥聖教を‥伝達された‥主の神様は厳霊稚姫君命の御精霊に其神格をみたされ、地上の神人たる清浄無垢の霊身三五の教祖の肉体を終局点として来らせ玉ひ、間接内流の形式に仍つて、大地の修理固成の神業を‥伝達すべく』
〔入蒙記第二章「神示の経綸」〕
『大本の神諭は、国祖大国常立尊、厳霊と顕現し、稚姫君命、国武彦命等の精霊に其神格を充し、さうして天人の団体に籍を有する予言者なる出口開祖の肉体に来し、大神の直々の御教を伝達された』
〔再掲―第四十八巻第九章「罪人橋」〕
『その根元を開かれたのが変性男子の身魂である。すなはち大国常立尊と稚姫君命と、惟神真道弥広大出口国直霊主命の三神一体の厳の御魂の大活動であります』
〔神霊界 大正九年一月十五日号〕
《昇天時》
『国照姫は地上に肉体を以て生存すること八十余年、‥昇天し、其聖霊は稚姫君命と復帰し、天界に於て神政を行ひ、其遺骸は天王平の奥津城に永眠してゐる』
〔入蒙記第二章「神示の経綸」〕
『現世のあらゆる苦患を受け、厳の御霊は奥津城に隠れ給ひ、稚姫君の御霊と共に天津国に上りまし、地の上の総てを憐れみ恵ませ給ひ』
〔第六十二巻(讃美歌)第四七七〕
○霊界物語と現実世界
開祖の三女福島久子は、高姫と同じように義理天上日出神と自称する肉体的凶霊に憑依されており【註3】、また、初稚姫の前身稚桜姫の三女の常世姫命は、再来して高姫となっている。
『汝は常世姫命の身魂の再来だ』
〔第五十巻第三章「高魔腹」〕
このように、霊魂の由来が明らかにされることで、霊界物語の世界が、そのまま大本の現実の世界へと延長していることがわかる。また、そうであるから、霊界物語が、現幽神・過去現在未来に一貫した救いの御教えであることを、我々は実感することができる。
そうしたことを、開祖は自らの身をもって証されているわけで、霊界物語口述開始日の前夜、神影で聖師の枕頭に立たれ、指示棹を打って口述の催促をされる【註4】ほどの強い思いを、開祖が霊界物語に注がれていることを、我々は改めて心すべきである。
【註3】第五十巻第二章「照魔燈」
【註4】第八巻「総説」
○宣伝使として(締めくくり)
人間は、神人合一し天地経綸の主体となるよう作られたにもかかわらず、神を愛し神を信じ、また、隣人を愛するという内分には関心を持たずに、専ら自愛や世間愛の外分にのみ心を向けているため、神様の根底・基礎となって天界と自然界の和合の媒介となるべき本来の役を果たせないところを、その役をやむなく天人の開祖が担われることとなったのである。
では、我々はどう本来の役を果たせばいいのだろうか。神を愛するなどもっと内分に関心を持たなければならないが、開祖の前身初稚姫が宣伝使であったということに、一つの方向があるように考える。
第五十七巻に示された太古の宣伝使は、我々のあるべき姿である。宣伝使は黄金時代の天人のごとくにあったと示されている。
『三五教は大神の直接内流を受け、愛の善と、信の真をもつて唯一の教理となし、智愛勇親の四魂を活用させ、善のために善を行ひ、用のために用を勤め、真のために真を励む。
ゆゑにその言行心は常に神に向かひ、神と共にあり、いはゆる神の生宮にして天地経綸の主宰者たるの実を挙げ、生きながら天国に籍をおき、あたかも黄金時代の天人のごとく、神の意志そのままを地上の蒼生に宣伝し実行し、もつて衆生一切を済度するをもつて唯一の務めとしてゐたのである』
〔第五十七巻第一章「大山」〕
(平29・3・19記)
〔『愛善世界』令和2年10月号掲載〕
”
で九ちなお めじ三十六ね 九がつ十八にち
うしとらのこんじんの きかいにかなう
じんみんわ うわつらわ おとなしうて
しかりはらのそこに どのすわりた じ
んみんでないと まにわ あわんぞよ
いつもかわらん まつ五ころの じんみ
んてないと きかいにわ かなわんぞよ
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