○全巻録音が全巻拝読に
今から二十八年前の平成二年、三十二歳の時、霊界物語第六十九巻からの拝読に際し、併せて録音することを始めた。第六十八巻まで一回りしたのが平成二十年で、五十歳の時である。十八年を要している。
霊界物語は、音読で一巻拝読するのに八時間、天祥地瑞は十二時間かかる。何度もこの膨大な巻数の音読を行うのは大変だと思ったのが録音のきっかけである。しかし、次第に録音自体が目的のようになって行き、結果的に全巻の録音が全巻拝読へとつながった。
○拝読ノートでペースアップ
私は、平成十五年十月に拝読ノートを作り、その日拝読したページを記入するようになった。それは、第十六巻の拝読からである。
これで拝読のペースを知ることができた。今日は多く拝読できたとか、一巻の拝読に何日要したとかなどが拝読の励みになった。
この拝読ノートをつけだして格段に拝読のペースが上がり、以前の年間二巻が月一巻になっている。おそらくその頃から、自分の拝読熱が急に上がったのであろう。
○講話担当で物語の勉強が進む
この拝読ノートが始まった平成十五年、私は四十五歳である。その五年前の四十歳の時から、大本山口本苑月次祭の午後に行われる講話の担当を、年一回担うようになっていた。
当時の私の講話は、自分の前回の講話以降に拝読した物語の内容をまとめて、皆さんにお話するという方法をとっていた。従って、講話をするためには、どうしても拝読を進めなければならなかった。また、物語の内容もしっかりつかむ必要もあった。つまり、講話をすることが、私の物語の勉強を進めることとなった。
○末期ガンの叔父がデジタル化の背中を押した
平成十九年八月、肺ガンにかかっていた叔父が、私の録音テープのコピーが欲しいと言った。しかし、テープからテープへのコピーは、テープ一本ごとの長さが微妙に違うため、つきっきりの作業を要した。
その後、叔父のガンが末期であることがわかった。しかも白内障が進んで字が見えない状態で、叔父はテープを聞くことだけが楽しみになっていた。もっと聞きたいと言うので、録音のコピーが容易になるデジタル化に取り組むこととなった。
しかし、当時、私にはまだ、五巻分の拝読が残っていた。その拝読もしつつ、すでにテープに録音されたもののデジタル化の作業を進めた。
デジタル化が済めば、直ぐコピーして叔父の家に運ぶということを繰り返した。それは、どんどんと残りが少なくなって行く叔父の命との競争であった。叔父の命が、録音のデジタル化の背中を強く押し続けた。
結局、叔父に物語全体の半分を聞かせることができた。我が家の霊界物語は、叔父が養子に行く時に残したものである。また、私を青年部に誘い、信仰の道に導いたのも叔父である。叔父は私に、録音を聞いて信仰が霊界物語中心になったと語った。瑞霊を固く信じて昇天したことは間違いない。叔父にいくぶんか恩返しができたと思う。
○高熊山での録音時に大きな猿が
拝読の録音は、我が家の御神前で行ったが、天恩郷の万祥殿や月の輪台でも録音した。また、秋に高熊山で虫の音とともに録音していた時には、大きな猿が下の道から突然現れた。ガマ岩の上で何かをむしゃむしゃと食べ、そして宝座の上から下の私をのぞき込んだ。たいへん驚いたが、いい思い出となった。
今年は、聖師さまの高熊山ご入山より百二十年の節目の年になる。昨日一月二十八日、雪が薄く覆った道を高熊山に登り、第三十四巻の一部を再録音した。
○霊界物語を耳で聞く
デジタル化した物語録音のコピーを、これまで十名近くに差し上げている。今回、長谷川洋吉さんに、録音データーへ新たに章別の区切りを入れていただき、より聞きやすくしていただいた。
私も年をとったせいか、物語の拝読には相当のエネルギーが必要であることを実感しているが、物語を目で追いながら、併せて耳で物語を聞いていくという方法が、拝読を進めるとともに、物語をより理解していくことになるのではないかと長谷川さんと話した。その一助にこの録音がなるのであれば幸いである。
(平30・1・29記)
〔『愛善世界』平成30年3月号掲載〕
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