⑮応対盗人 ~第五十二巻第二四章から~

「愛善世界」誌掲載文等

()                           藤井 盛

 霊界物語には、実在の人物がモデルとなって、中有界で裁かれる様子が描かれている。

 実在の人物がモデルであるだけに、その善悪について、社会の評価と神様の目との違いを、我々は如実に知ることができる。

○原敬と山県有朋がモデル

 今回取り上げるのは、第五十二巻第二四章「(おう)(たい)(ぬすみ)」から、敬助と片山狂介、高田悪次郎の三人。また、第四十七巻第一〇章「震士震商」から慾野深蔵。敬助ら三人は、伊吹戸主神様の裁きの場に送られ、また、慾野深蔵は、慾界地獄へと落ちて行く。

 まず、第五十二巻の敬助であるが、名前にある「敬」とか、「停車場で胸に行き当たった」、「エルサレムの宮を叩き潰した」などから、そのモデルは、第一次大本事件当時、平民宰相と言われた(はら)(たかし)である。「胸に…」とあるが、原は、実際、大正十年十一月、東京駅で暗殺されている。

原 敬

 また、片山狂介についても、名前の「狂介」や「軍閥でバリつき」「幾万の精霊を幽界へ送っている」などから、狂介と名乗ったことがあり、そして、陸軍大将から元帥となり、また、兵部卿有栖川宮熾仁(たるひと)親王の下で兵部(ひょうぶ)少輔(しょうゆう)となり、その後、徴兵制度を施行し、日露戦争で参謀総長であった山県有朋がモデルである。

 なお、物語は、山県が、第一次事件で大本の弾圧を指示した主犯だと明らかにしている。

山県有朋

○渋沢栄一がモデル

 残りの高田悪次郎と慾野深蔵のモデルは、経済人である。

 第四十七巻の慾野深蔵の幼名が「渋柿泥右衛門」とあるので、渋沢栄一がモデルではないかと調べてみたところ、父の名が渋沢市郎右衛門であった。また、慾野の「傷死位(しやうしゐ) 窘死等(くんしとう) 死爵(ししやく) 鬼族婬(きぞくゐん)偽員(ぎゐん)」という言葉遊びのような履歴と渋沢のそれとを比較してみた。

 「傷死位(しやうしゐ)」について、渋沢は明治三十三年に「正四位」を受け、また、「窘死等(くんしとう)」は、明治二十五年に「勲四等瑞宝章」。「死爵(ししやく)」は、大正九年に「子爵」。「鬼族婬(きぞくゐん)偽員(ぎゐん)」は、明治二十三年に「貴族院議員」と、それぞれ見事に一致していた。それにしても、物語の表現はすごい。

 なお、「傷死位」などに使われている漢字の傷、死、窘(苦しむ)、鬼、婬(みだら)、偽は、みな悪い意味ばかりである。これらの漢字で表現された官位、勲章などは、「泥棒会社」(第五十二巻の敬助の発言)が与えるにふさわしいものであったということだろうか。

 また、慾野の「殺人鉄道嵐脈(らんみゃく)会社の社長兼取締役」は、渋沢が韓国の京仁鉄道の取締社長であったことに一致する。「殺人嵐脈」会社だったのであろう。

渋沢栄一

 渋沢は、現在もある大企業を含む五百社以上の企業の設立に関わり、「日本の資本主義の父」として讃えられている人物である。しかし、物語で慾野は、「優先株などを金も出さずに吾物にし」ている。

 優先株は、利益などを他の株よりも優先的に受け取ることができる低リスクの株であるが、これを、ただで貰っているのである。渋沢に関する本を少し当たってみたが、株取得に関する話にたどり着くことはできなかった。

 しかし、渋沢は、会社の設立総会で議長となり、発起人の意思を通すよう取締役等の指名を行い、また、当時、たびたび株主総会が混乱するなかで、渋沢がその調整、仲裁を行っている。そこで重要であったのは、渋沢栄一の存在やその名前であったとのことである。

 このように、設立総会などを、経営者側に有利となるよう渋沢が取り仕切っていたのであれば、経営者から優先株を得ていたことが容易に想像できる。

 一方、渋沢は、「道徳経済合一説」を唱え、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することはできぬ」と立派なことを言っているが、それを行うのは難しいということになる。

 なお、渋沢の没年は昭和六年で、物語口述時点では存命である。よって、他の者のようにすぐに名前が思い当たることのないよう、慾野深蔵の名前の中に、渋沢栄一の漢字を入れなかったのだろう。

 ところで、渋沢をはじめ、関係者の年表である。

大正7年9月  原内閣発足
大正10年2月  第一次大本事件
大正10年9月  安田善次郎暗殺
大正10年11月  原敬暗殺
大正11年2月  山県有朋病死
大正12年1・2月霊界物語 第47・52巻口述
昭和6年11月  渋沢栄一死去

○安田善次郎がモデル

 第五十二巻に戻って、高田悪次郎である。年表に出した安田善次郎がモデルである。

安田善次郎

 物語で高田は「不慮の災難」に遭っているが、安田も暗殺されている。また、高田の鉄棒には「二億円」の価値があると物語にあるが、事実、安田が亡くなった大正十年当時の資産が二億数千万円あったとのことである。安田は、当時の国家予算十六億円の八分の一もの莫大な資産を、一代で築いている。

 安田は四大財閥の一つ、「安田財閥」という金融財閥を作り「銀行王」と呼ばれた。安田銀行は、その後、富士銀行になってからも日本最大の資金量を誇り、金融界に君臨し続けた。

 しかし、私は、安田善次郎の名前を知らなかった。よって、高田が物語で、「銀行会社を叩き壊し、皆一つに集めて巨万の富を積んだ」「表善裏悪の張本人」と厳しく指弾されているが、一体どういうことなのか、わからなかった。

 なお、東京大学の「安田講堂」は安田の寄付によるものである。

○銀行支配のカラクリ

 調べてみて、安田は、確かに、十二の旧国立銀行を自分の安田銀行に統合していた。これが悪いことなのかどうか、安田に関する本を四冊読んだが、三冊は、安田を優れた銀行家と誉め、寄付などを表にしない「陰徳の人」とも讃えていた。

 しかし、一冊だけは、「その金儲けの方法には一定の形がある」と記し、非難していた。少しわかりにくいが、その金儲けの事例は次のとおりである。

 一つ目。財政不足に苦しむ明治政府が発行した正貨準備のない紙幣(太政官札)を、安田は将来の価値上昇を見込んで大量に保有した。

 そうしたなか、太政官札の価値が四割となったため、政府は新たに貨幣を発行し、兌換(だかん)券として額面通り通用させることとしたが、安田はその発表の前日にそのことを知り、猛然とさらに買いあさり、大儲けをしている。

 二つ目。家禄を失った貧窮士族救済のため発行された秩禄(ちつろく)公債等が武士の手を離れ、額面の七、八割で売買されていたものを、安田は買い集めた。

 そして、公金を扱う立場を利用し、公債を額面十割で政府へ担保として入れ、公債の利息を稼ぎ、加えて、引き出した公金を他に貸し付けて、利息を稼いだ。

 そうして、これら二つと同様の方法で、安田は、旧国立銀行を自らの銀行に統合している。

 安田は、明治十五年の日本銀行創立役員として創設に関わり、引き続き理事及び三局長を兼務し、中枢に座っている。

 そういうなかで、安田は、経営不振にあえぐ地方の銀行に救済の手を差し伸べるが、その資金は、自分が中枢に座る日銀からのもので、その莫大な資金を、その救済を求める銀行に回すと、そのまま自分の傘下におさめている。

 このことについて、山路愛山という当時の評論家が、「苦境に陥った銀行が来ると、初めは無関係を粧い、次は深(親)切を示し、最後には生殺与奪の実権を我手に収むる」と言っている。まさに物語にあるように、「銀行会社を叩き壊し、皆一つに集めて巨万の富を積ん」でいるのである。

 つまり、安田は、合法的な形を取りながらも、その金儲けの方法は、財源不足の新政府や貧窮士族、経営不振の銀行に端を発しており、要は、人の弱みにつけ込む方法で金を儲けているということである。

【安田銀行に統合された旧国立銀行】〔計十二〕
第三国立銀行(東京)、第六国立銀行(福島)、第九国立銀行(熊本)、第二十二国立銀行(岡山)、第三十六国立銀行(八王子)、第四十四国立銀行(東京)、第五十八国立銀行(大阪)、第八十二国立銀行(鳥取)、第八十七国立銀行(大橋)、第百三国立銀行(山口)、第百十八国立銀行(東京)、第百三十六国立銀行(愛知)

○誉められる安田

 安田を批判的に書いているのは一冊のみで、他の三冊は、銀行統合を「救済」とか「なかば公務」と誉めている。さらに、「自ら日本銀行の創設に深くかかわったのは、自分の安田銀行と日本銀行との結びつきを強めるためであったろうが」とその意図を見抜きつつも、それは「国の動きをいち早く見抜き対処していく経営哲学のひとつ」と高く評価している。

 また、「安田は戦わない。人目につかない所で、たくみに軍略を巡らして敵を屈して行く。いや、彼には敵はいない。つまり、彼は善の善なる兵法家なのだ」という孫子の兵法を引用した誉め言葉もある。加えて安田自身も、

 「救済をするのは私欲のためでもなく、私の本来の希望でもない。ただ一片の慈悲心に基づくのみである。瀕死の銀行を救済するような危険を敢えてする者は、私をおいて他にない」と自賛している。

○「応対盗人(おうたいぬすびと)」は「対応盗人(たいおうぬすびと)」

 このように安田は、先を見る優れた経営哲学の持ち主であり、また、なかば公務のように弱者の救済に当たる善人と讃えられている。しかし、その実態は、人の弱みにつけ込んで金儲けを行っており、物語はこれを「表善裏悪の張本人」と言っているのである。

 ちなみに、高田は物語で「応対(おうたい)盗人(ぬすびと)」と呼ばれているが、これも今回、多用されている言葉遊びの一つであろう。「応対」をひっくり返せば「対応」である。「対応盗人」とは、盗人に対応するということ、つまり、高田は盗人だということである。

 ところで、今回、モデルとなった山県有朋や渋沢栄一、安田善次郎は、明治時代からの殖産興業・富国強兵に深く関わった人たちと言っていいと思うが、原敬のモデル敬助が言った「泥棒会社」の有力な構成員であったということなのだろう。

○霊界物語は善悪の標準

 水鏡に「最後の審判は…天国に入りうるものと、地獄に陥落するものとの標準を示されること…標準とは…霊界物語によって示されつつある神示そのもの」とあるように、霊界物語が善悪の標準を示すということである。

 今回、具体例をもって、物語が善悪を示しているが、社会の仕組みの中では、たとえ合法であっても、また、いかに世間の人々が賞讃しようとも、神様の目から見れば悪の行為であるということである。

 高田のような「応対盗人」が、現在も社会のどこかで、本人も気づかないまま盗みをはたらいているかもしれない。それはまた、自分自身かもしれない。

 善悪の判断は、常に我々に求められることである。神様に祈り、また、しっかり物語を拝読し学ぶことから、善悪についての神様のご内流をいただけるものと信じる。

○どうしたら天国へ行けるか

 聖師が高熊山修業で、記憶に残る古人や現代の英雄豪傑、智者賢者と言われる人々の精霊に、霊界で会われ、

 「彼等の総ては自愛と世間愛に在世中惑溺し、自尊心強く神の存在を認めざりし者のみなれば、霊界に在りては実に弱き者、貧しき者、賤しき者として遇せられつつあつたのである」
(第五十巻 第一章「至善至悪」)

 とあるように、「自愛や世間愛」、「神の存在を認めないこと」などが、天国に行くことを妨げ、逆に、「神様の神格を理解」し、「神様の真愛を会得」するという信仰の基本が、天国につながるということになる。

 ()うしたら天国へ行けるでせうかな」

 「さうだ、心のドン底より、神さまの神格を理解し、神の真愛を会得し、愛の為に愛を行ひ、善の為に善を行ひ、真の為に真を行ふ真人間とならなくちや到底駄目だ」
(第四十七巻第一〇章「震士震商」竜公と治国別の会話)

○喜劇仕立て

 明治・大正時代の著名な人物がモデルになり、世評とは真反対の悪行を(あば)かれ、地獄へ落ちて行くストーリー自体は暗いが、悪次郎や慾野深蔵などの名前をはじめとする言葉遊びが多用され、また、「鬼に鉄棒(かなぼう)」が出てくるなど、全般的に喜劇仕立てのユーモラスを感じる。

 それは、自らではあるが、地獄へ落ち行く人たちも神の子であり、改心し、神様の光を受け入れさえすれば救われるという安心感が、霊界物語の根底に常に流れているからだと思う。

〔参考文献〕
・『山県有朋 明治日本の象徴』岡義武著(岩波新書)
・『社会企業家の先駆者 渋沢栄一』島田昌和著(岩波新書)
・『渋沢栄一 下 論語篇』鹿島茂著(文春文庫)
・『銀行王 安田善次郎 陰徳を積む』北康利(新潮文庫)
・『儲けすぎた男 小説・安田善次郎』渡辺房男著(文春文庫)
・『金儲けの日本一上手かった男 安田善次郎の生き方』砂川幸雄著  (ブックマン社)
・『名創業者に学ぶ人間学 十大財閥編』加来耕三著(ポプラ社)
・Wikipedia「原敬」「山県有朋」「渋沢栄一」「安田善次郎」「安田財閥」「優先株式」

       (平28・5・30記)
      (令4・11・18修正)
〔『愛善世界』令和元年5月号掲載〕

〔大本島根本苑所蔵〕

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