~草薙剣の御神徳~
平成から令和への天皇の代替わりの儀式で、三種の神器のうちの剣と璽(まが玉)が引き継がれた。このうち剣は、本体が熱田神宮に御神体としてまつられているが、この剣に関するお陰話を紹介したい。
素盞嗚尊が大蛇退治をなされた時に大蛇の尾から出てきた剣は、都牟刈之太刀とか草薙剣、天叢雲剣とか呼ばれている。この剣のことを出口聖師が語っておられ、大国美都雄先生から出口三平さんが次のように聞いておられる。
大国 もうひとつ研究してほしいなと思うのはね、三種の神器というものですね。日本武尊は、焼津で使った草薙剣ね、それを使って東国を征服して、帰りに名古屋に立ち寄って、熱田で神器を置いた。その神器はいまでも熱田神宮にあるはずです。熱田神宮の奥にね、今でいえば、井戸があるのです。その井戸は、一尋ほどの大きさでね、その底から水が湧くのです。その水は、増えもせず減りもしない。いつも新鮮な水が、同じ量でたたえられている。その水面から三寸離れたところに、神器を吊り下げたという。そこにおくことによって、「水気」によって錆びないのですね。
――かえって錆びないというわけですか。
大国 そうです。だから、あそこが聖地なのですね。だけど、それは秘密なんですね。見たいと思うのですが、見られないのですね。見ようと思って二度行ったのですが、厳しくて見れないのですね。聖師さまは、それを霊眼で見ておられ、「大国、いっぺん調べてくれ」と聖師さまから言われているけどね。「出てくれば、学者たちの言っているような歴史ではなくて、もっと真相がわかってくるだろう」と聖師は言われていたね。私に、よく調べて発表せいといわれたけど、まだできていないね。
○
平成二十七年一月、妻の父親の三回忌で名古屋を訪れたのに併せて、熱田神宮を私は妻とお参りをした。そして、この井戸にも行った。
井戸は、熱田神宮の「こころの小径」という場所の中にある。小径が拝殿の右奥から拝殿の裏側、そして拝殿左へと森の中を通っている。井戸は、小径を少し行った水神・罔象女神をまつる清水社のところにある。聖師は霊眼で井戸に吊り下げられた剣を見ておられるとのことだが、井戸の上部は石で塞がれ、剣は見えない。
井戸水が幅二メートルほどの水路に溢れ、手前から約三メートル先に高さ三十センチほどの石が出ている。石は楊貴妃にゆかりがあり、これに三度水をかけると願いがかなうとの説明書きがあった。人々が列をなし、順番が来て、私は妻と並んで石に柄杓で水をかけた。
水をかけ終わり拝殿裏にかかったころ、突然妻が「お父さん、足の痛いのが治った」と言った。妻はその頃股関節の調子が悪く、歩くのに痛がっていた。「足の痛いのを直してください」と妻は祈ったのであろう。
ところで、「こころの小径」の入口には案内版があり「これより先は熱田神宮における最も神聖な場所です」と表示してあった。しかも写真撮影は禁止である。御神体の剣がある拝殿よりも神聖だということなのであろう。またここは、七年前の平成二十四年十二月まで立ち入り禁止であったという。大国先生の言われるように秘密めいている。
実は私も、数日間よく眠れず、その日の昼間も眠くて眠くてたまらなかったが、その夜はよく眠れた。
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霊界物語第十五巻(第一一章「大蛇退治の段」)で、素盞嗚尊の大蛇退治についての古事記言霊解がなされている。
大蛇の尾から出た「都牟刈之太刀」は言霊学上、三千世界の大救世主、伊都能売の身魂であること。また、徳をもって万民を悦服せしむる一大真人を称して「草薙剣」というとの説明があった。つまり剣は出口聖師のことである。我々は剣を通して、聖師から御神徳をいただいたのだと思う。
(令元・5・11記)
〔『愛善世界』令和元年8月号掲載〕
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