○鬼彦・鬼虎の改心の過程
さて、文章の第1回目で示した霊界物語が現実味を増す舞台設定の中で、第18巻「総説」にあるとおり、悦子姫らの宣伝使により、邪神が改心する物語が展開されている。
「英子姫、悦子の姫と諸共に、自転倒島に漂着し、荒ぶる神や鬼大蛇、醜女探女を言向けて、神の御国の礎を、常磐堅磐に建てたまふ、尊き神代の物語」〔第18巻「総説」〕
今回は、特に鬼彦と鬼虎の改心を取り上げる。
彼らは、大江山に割拠する頭目の鬼雲彦の部下で、その命令でお節という娘をさらい、洞窟に閉じ込めるという悪事を為している。
その後改心しお節を救うが、彼らが天国に救われて行くまでの過程は、雪山に真裸という過酷なものである。ここの場面が、かつて愛善世界社から漫画で「雪山幽谷」と題し出版されている。
では、二人の改心の軌跡を追う。
〔1〕天橋立に漂着した悦子姫等の捕縛に失敗。〔第16巻第1章「天橋立」〕
〔2〕由良の港の秋山館で、神素盞嗚の大神や国武彦など一同の捕縛に成功したと錯覚。〔第5章「秋山館」・第6章「石槍の雨」〕
〔3〕石や矢の雨が身に当たった痛みを、秋山彦の天の数歌に救われる。
「秋山彦は両手を組み…一二三四と天の数歌を唱ふるや、一同の魔神の創所は忽ち…癒え来たり、彼方にも此方にも喜びの声」〔第6章「石槍の雨」〕
〔4〕秋山彦の宣伝歌に改心する。また、その折の鬼彦らの顔色の変化の描写が面白い。
「顔の紐は薩張解けて仕舞ひ、今迄の鬼面は忽ち変じて光眩き女神の様な顔色に堕落して仕舞ひよつた … 今迄の悪心は水の中で屁を放つた様にブルブルと泡となつて消え失せました」〔第7章「空籠」〕
秋山彦の宣伝歌。
「鬼や悪魔となり果てし 汝が身魂を谷川の
清き流れに禊して 天津御神のたまひたる
もとの身魂に立て直し 今迄犯せし罪咎を
直日に見直し聞き直し 百千万の過ちを
直日の御霊に宣り直す
鬼彦始め一同は … 感謝の涙に咽びつつ…」〔第6章「石槍の雨」〕
【直日に見直し聞き直し】
ところで、宣伝歌中の「直日に見直し聞き直し」は霊界物語全般に出て来る。これは基本宣伝歌の最後の部分と一致する。
神が表に現はれて 善と悪とを立別ける
この世を造りし神直日 心も広き大直日
ただ何事も人の世は 直日に見直せ聞直せ
身の過は宣り直せ 〔基本宣伝歌〕
「神直日」と「大直日」が前段にあり、「直日に見直せ聞直せ」につながる。この神直日と大直日について、第10巻(第29章「言霊解三」)に説明がある。
○神直日とは、天帝の本霊たる四魂に具有せる直霊魂を謂ふ。
○大直日とは、吾人上帝より賦与せられたる吾魂の中に具有せる直霊魂を謂ふ。〔第10巻第29章「言霊解三」〕
つまり、我々の魂も、また大直日たる直霊魂も天帝から授けられたものである。さらに、次のお示しがある。
「神直日神は宇宙主宰の神の直霊魂にして、大直日神は天帝の霊魂の分賦たる吾人の霊魂をして完全無疵たらしめむとする直霊である。所謂罪科を未萠に防ぐ至霊」 〔第29章「言霊解三」)〕
その天帝に発した直霊魂が、我々の霊魂を完全無疵にし、罪科を未萠に防いでくれる。これが、日頃我々が唱える感謝祈願詞にある。
感謝祈願詞
「青人草等の身霊に。天津神より授け給へる直霊魂をして。益々光華明彩至善至直伊都能売魂 と成さしめ賜へ…直日の御霊に由て正邪理非直曲を省み」〔第60巻第16章「祈言」〕
つまり、天帝(天津神)が授けた直霊魂・直日の御霊が、我々(青人草等)の身霊を、完全無疵の光華明彩至善至直伊都能売魂となし、あるいは、正邪理非直曲を省みさせて、罪科を未萠に防ぐということである。
なお、「直日」は三代様のことだと聞いたことがあるが、それが誤りであることが、以上のことで理解できる。
〔5〕大江山に戻り、頭目の鬼雲彦を改心させるため宣伝歌を宣る。〔第16巻第10章「白狐の出現」〕
〔6〕「真名井ケ岳の豊国姫のミロク神政の経綸を妨害する曲霊を言向和せ」との天照大神の剣尖山麓での宣示を受けた悦子姫に同行する。〔第18章「遷宅婆」〕
〔7〕竜灯松(天橋立)の麓で、日の出神の大火団が悦子姫の身に浸潤するのを見る。美しい文章である。〔第20章「思はぬ歓」〕
「竜灯松の麓に落下し爆発したる大火光団は大小無数の玉となり、見る見る容積を減じ遂には小さき、金、銀、水晶、瑠璃、瑪瑙、硨磲、翡翠の如き光玉となり、珠数繋ぎとなつて悦子姫の全身を囲繞し忽ち体内に吸収されし如く残らず浸潤し了りける。其刹那悦子姫は得も云はれぬ神格加はり優しき中に冒すべからざる威厳を備へ、言葉さへ頓に荘重の度を加へて、一見別人の如く思はれ、無限の霊光を全身より発射するに至りぬ。…悦子姫は儼然として立上り、『ハア一同の方々、妾は日の出神の神霊を身に浴びました』」〔第20章「思はぬ歓」〕
〔8〕比治山の手前の平助夫婦の家に泊めてもらおうとしたが、かつて強盗をし孫のお節をさらっており、泊めてもらえず。〔第20章「思はぬ歓」〕
〔9〕白狐に欺され真裸になりながら、真名井ケ岳の山奥の巌窟に閉じ込めたお節を救い出す。〔第17巻第1章「黄金の衣」・第2章「魔の窟」〕
〔10〕雪解けの比治山峠の坂道を、真裸で豊国姫の出現地・真名井ケ岳へ向かう。そして、大神に改心の誠を認められ、与えられた羽衣で飛揚しながら真名井ケ岳の霊地に向かう。この羽衣が「羽衣天女」伝説に通じるのだろう。〔第4章「羽化登仙」〕
「『鬼彦、鬼虎、今天より下す羽衣を汝に与ふ。汝が改心の誠は、愈天に通じたり』…えも謂はれぬ麗しき羽衣、地上一二尺離れた所に浮游して居る。手早く拾ひ上げむとする刹那、ピタリと二人の体に密着した。追々羽衣は拡大し、自然に身体は浮上り、二人は空中を前後左右に飛揚しながら…と空中を悠々として、真名井ケ岳の霊地に向つて翔り行く」〔第4章「羽化登仙」〕
ただ、肉体では徹底的改心ができないため、大神の慈悲により凍死させて天国に救ったとある。
「鬼彦、鬼虎、其他三人の羽化登仙せしは、其実肉体にては、徹底的改心も出来ず、且又神業に参加する資格無ければ、神界の御慈悲に依り、国替(凍死)せしめ、天国に救ひ神業に参加せしめ給ひたるなり。五人の肉の宮は、神の御慈悲に依つて、平助親子の知らぬ間に、或土中へ深く埋められ」〔第4章「羽化登仙」〕
一方、自分たちが四つ足扱いをされた鬼彦たちの恨みの妄念が、副守護神の鬼の霊となって夢に現れ、お節を苦しめるが、青彦の天の数歌と神言によって、修羅の妄執が解け、救われて行く場面もまた美しい。
「茲に青彦は神言を奏上し始めた。…五人の姿は見る見る麗しき牡丹の様な花と変じ、暖かき風に吹かれて、フワリフワリと、天上高く姿を隠したりける」〔第11章「顕幽交通」〕
【天国への救い】
ところで、鬼彦らの改心が物語られた第16巻から、「霊の礎」が始まっている。その最初は「霊界には神界、中界、幽界の三大境域がある」。そして、死後身魂がどこに行くかが説かれている。
〇現界にありし時の行為の正邪により或は高天原に昇り、或は根底の国へ落ち行くものである。
〇人の霊魂中に在る所の真と善と美と和合する時はその人は直に天国に昇り、人の霊魂中に在る邪悪と虚偽と合致したる時は、その人は忽ち地獄に墜つるものである。〔第16巻「霊の礎(一)〕
この第16巻の鬼彦らの悪から善への改心の物語は、「霊の礎」の御教えを具体化したものとなっている。
現界の行為や霊魂中の真善美や邪悪・虚偽との和合により、霊界の行く先が決まるとあるが、もしも鬼彦らが悦子姫らに会わず、改心もしなかったならば、現界での強盗、人さらいの行為と霊魂中の邪悪・虚偽との和合により、彼らは地獄に墜ちていただろう。
しかし、徹底的改心ができなかった彼らが、天国に救われるまでの試練は過酷である。彼らを欺し、雪の中で真裸にさせた白狐の働きは、大神の慈悲の現れである。彼らは、よくその試練に耐えたものだと思う。このことは、我々にとっても決して他人事ではない。我々が生きる現実界での様々の試練は、我々を天界に昇らさんとする大神の慈悲だと理解したい。
なお、第81巻に、乳母らに裏切られて潮が高まると沈む島に流されるチンリウ姫の物語がある。膝まで水に浸かる絶対絶命の情況に至って、結果的に、自分の操を守ることとなった乳母らは恩人だったことに気づく。
その後、姫は大神の化身の大亀に救われる。しかし、もし乳母らを恨んだままであったなら、たとえ肉体は救われても、死後、天国には昇れないだろう。
また、四つ足扱いをされた鬼彦らの恨みが副守護神の鬼と化し、お節を苦しめる話があるが、こうしたことが、現実世界で起きていると思うと、とても恐ろしい話である。
(令4・2・8記)
〔『愛善世界』令和5年2月号掲載〕
コメント