㉟仇敵は恩人 ~第81巻(天祥地瑞申の巻)に学ぶ~

「愛善世界」誌掲載文等

 御歳暮を持ってきた叔母の顔を見て驚いた。息子の三億円の借金返済のため、お金を借りようと何度も我が家に足を運んでいたころの険しい表情が消えていた。優しく穏やかな顔になっていた。

 叔母の夫、つまり叔父が亡くなった時、私はうつ病で入院中で葬儀には参列できなかった。また、病が癒えるまでに三年半を要したが、私の代わりに葬儀に参列した妻も三年前に他界した。みなそれぞれに人生は穏やかではない。叔母の顔の変化に驚いた私は、叔父の仏前にお参りするため叔母の自宅を訪ねた。今から八年前の平成二十五年一月頃だったと思う。

 叔母の話を聞いた。三億円の借金を負わした人に、叔母は会いに行ったのだという。それはお礼を言うためで「私を信仰の道に導いてくれたのは、借金を負わしてくれた人のお陰だ」と。

 叔母の子、つまりいとこに会社の合併を持ち掛け、三億円の借金を負わした本人は逃げて会えなかったが、その父親に会えたのだという。家も財産もすべて失ったにもかかわらず、叔母は、自分を法華経に導いてくれた恩人だと感謝を言うために訪ねて行ったのである。

〇アヅミ王が得た信仰的境地

 この叔母の話に通じるものが、霊界物語第八十一巻(天祥地瑞申の巻)のアヅミ王の物語にある。自分を窮地に追い込んだ仇敵を恨まず、かえって、自己の信仰的境地を開いてくれた恩人として大事にするという点である。

 イドムの国のアヅミ王が川で禊ぎをしていると、自分の国を侵略した隣国サール国の王エールスが、半死半生で流れて来る。国を奪われ、恨みに満ちた妻や家来たちはこれを打ち殺そうとするが、アヅミ王は同じ神の子として許すのである。加えて、自分の信仰の至らざるが故と反省するのである。 

 待て(しば)しエールス王も主の神の
      (うず)の御子なりたゞに許せよ 

          〔第五章「心の禊」以下同じ〕

 吾御魂神に離れし罪なれば
      エールス王を怨むに及ばじ

 流れて来たこのエールス王は、実は神鉾の神の化身である。アヅミ王の信仰は高い境地にあり、神の御試しに見事かなうことができたのである。

 なお、本物のエールス王は勝利におごり高ぶり、侵略から一月後に妻や配下の裏切りにより滅びる。また、欲深い妻たちも悲惨な最期を迎え、さらに太子も亡くなり一族は滅びる。

 ただ、アヅミ王の信仰心が一気にここまで高まったのではない。まず、国を奪われたのは、主の大神への信仰を怠ったことが原因だと気づくのがスタートである。そして、主の大神を斎く神殿を造営することとなる。

主の神の守りなければ国津神の
     力に国の治まるべしやは

         〔第二章「月光山」以下同じ〕

今日よりは月光山の頂に
     主の大神の宮居造らむ

 また、遷座式での祝詞は真剣である。

 上下(しょうか)共に驕りの心を戒め、火、水、土の恵を悟らしめ、大御神の大御心に叶ひ奉るべく
          〔第四章「遷座式」以下同じ〕

 神殿が鳴動した後、主の大神や高鉾の神、神鉾の神が降臨される。そしてアヅミ王に対して、言霊と心の(けが)れに対する戒めがあった。

 この国は(いく)言霊の死せる
     神の助けのあらぬ国ぞや

 刈菰(かりごも)と乱れはてたる此の国も
     汝れが心の汚れし故ぞや
 肝向ふ心の鬼を退ふべき
      誠の力は真言(まこと)なるぞや

 こうしたお示しを受けた後に、エールス王に化身した神鉾の神が流れて来るのである。そして、御試しに叶ったアヅミ王はお誉めの歌をいただくのである。

美しきアヅミの王の魂を
     主の大神は(うべな)給へり

          〔第五章「心の禊」〕

 さて私は、叔母の話を聞いてすぐに感化された。「私を病に至らしめた人も、実は私の恩人に違いない」。すぐに会いに行った。

 「藤井君が本庁から出先に出たのが、わしゃあ不審じゃった」

 「防府市の災害の時、私を叱咤激励したから具合が悪くなったんですよ」

 「おお、そうかあ」

 本日からちょうど十二年前の平成二十一年七月二十一日、山口県を死者二十二名の豪雨災害が襲った。当時私は五十一歳で、記者会見担当であった。十日間まともに寝させてもらえない中、多くの人の前でこの方にワアワアやられた。そして私は病になった。ポストの降格を余儀なくされ、出先で閑職を過ごすこととなった。

 とうとう「悪かった」とは言われなかったが、私のことを心配されていた。この方らしくこう付け加えられた。

 「ええか、何かあったら、わしに言うてくるんど」

 話すうち、三年半抱いていた理不尽さと恨みがさっと消えた。

 人にこの話をすると「あの人によく会いに行ったものだ」とよく言われた。しかし、不思議なことだが、直接会いに行って三年半の恨みが跡形もなく消えてしまったのである。人を恨むことは、自分自身を苦しめることである。苦しみがさっと消えた。

 その後妻が他界した時、私は妻を詠んだ歌集を作って多くの人々に送ったが、一番丁寧な手紙をいただいたのはこの方である。電話をすると「うちの女房も泣いてからのお」と言ってもらった。以前はよく可愛がってもらった方である。人間関係を元に戻すことができた。

〇チンリウ姫の過酷な試練

 第八十一巻の後半は、アヅミ王の娘チンリウ姫が被る過酷な試練の話である。乳母の裏切りにより、あわや死なんとするところを大神に救われている。

 チンリウ姫は、乳母アララギとともに隣国サールの国に捕虜となる。サール国の太子エームスはチンリウ姫に恋慕し、結婚を望む。アララギは、チンリウ姫が太子の妻となることを妬ましく思い、チンリウ姫をだまして、我が子可愛さでセンリウを太子の妃とする。

 そして、そのすり替えの発覚を防ぐため、満潮になれば沈む島にチンリウ姫を流してしまう。島で姫は耳をそがれ、膝まで水に没するほどのまさに絶対絶命の憂き目に会う。そこに、大神の化身の大亀が現れて姫は救われる。

 そこで、はじめてチンリウ姫は、贋チンリウ姫となったセンリウのお陰で、自分の(みさお)を守ることができたことに気づく。センリウを憐れみ、また、アララギも憎まないこととした。チンリウ姫にとってアララギ親子は恩人であった。

 外国(とつくに)の仇の(こきし)の妻となる
      センリウ姫は憐れなりけり

         〔第一六章「亀神の救ひ」以下同じ〕

 吾霊魂(みたま)身体(からたま)共に汚さるる
      真際を救ひし彼なりにけり
 かく思へばアララギとても憎まれじ
      (みさを)をば守りたる彼

○愛と誇りが残る

 チンリウ姫は、没する島に流されるという過酷な状況に追い込まれているが、第二次弾圧事件で大本もまた、逃れ得ない過酷な状態にあった。出口王仁三郎聖師は、公判において高野裁判長と禅問答をされている。

 「人間より虎の方が力が強いから逃げようと後を見せると、直ぐ跳びかかって来て噛み殺される。はむかって行ったらくわえて振られたらモウそれきりです。ジッとしていても、そのうち虎が腹が減って来ると喰殺されてしまう。どちらにしても助からないのです」

 「ところが一つだけ生きる途があります。それは何かというと、喰われては駄目だ、こちらから喰わしてやらねばなりません。喰われたら後に何も残らんが、自分の方から喰わしてやれば後に愛と誇りとが残る。その愛と誇りを残すのが、宗教家としての生きる道だ」
     〔出口榮二著『大本教事件』二二九頁〕

 愛と誇りを残すという言葉に裁判長が感化されたのか、治安維持法は無罪になった。一方、出口聖師は、大胆にも当局を獣類(けもの)の虎にたとえておられる。大本神諭(明治二十五年旧正月…日)の「今は獣類(けもの)の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの世」という獣類である。獣類に(くみ)することはないなと裁判長を牽制されたのだろうか。

 ところで、多くの宗教団体が戦争に協力する中、大本は弾圧下で戦争に協力しなかった。その恩人は弾圧した当局となる。

○チンリウ姫の心情

 ところで、このチンリウ姫の過酷な試練の話を、我々はいかに理解すればいいのだろうか。アヅミ王の信頼も厚かった乳母アララギやその娘センリウは、チンリウ姫を次のようにだましている。

 ◇チンリウ姫は、太子の妃になることを強く抵抗していたが、妃にならなければ自分ら親子も殺されるというセンリウの言葉に同情し、太子の妃になることを了解した。
     〔第一三章「思ひの掛川」〕

 ◇太子は実は猛獣の化け物で、床入りすれば殺されるというアララギの言葉をチンリウ姫は信じ、センリウの服を着て、床入りしなかった。
     〔第一四章「鷺と烏」以下同じ〕

 ◇国宝の水晶の花瓶を打つ清き音色で太子の歓心が得られて、自分が愛されるというアララギの言葉をチンリウ姫は信じる。そして、水晶の花瓶を打ったところ花瓶が割れ、センリウにすり替えられて罪人として島に流された。

 殺されると言うアララギ親子への同情。また化け物に殺されるとか、花瓶の音色で太子の歓心を得ることできるとかを聞き入れる素直さ。チンリウ姫は深窓育ちのおぼこ娘(第一四章「鷺と烏」)であるが、こういった姫の同情心や素直さは、普通の人々が持つものと変わりはない。

 ところで、第八十一巻を読み進めるなかで、膝まで水につかり絶対絶命となった中で大亀に救われるまで、チンリウ姫に特段の信仰心を見出すことはできない。しかし、大亀の背に乗り故郷イドムの国に進むうち、アララギらへの感謝や大神への信仰心が芽生えて来る。

 その心情の微妙な変化を、チンリウ姫の詠む歌で知ることができる。天祥地瑞ならではの表現方法である。

 この亀は神の使(つかひ)わが生命(いのち)
       何怜(うまら)委曲(つばら)に救いたるはや

         〔第一六章「亀神の救ひ」以下同じ〕

 大いなる海亀の背にのせられて
       故郷(くに)に帰ると思へば嬉しも

 様々の悩みに遭ひて海亀の
       助けの舟にのせられにける

 亀よ亀サールの国に近よらず
       イドムの磯辺に吾を送れよ

 (まる)()(ぶね)にまして(おほ)けきこの亀は
       海の旅路も安けかるべし

 海原に立ちのぼりたる(もや)も晴れて
       御空の月は輝き初めたり

 天地の神も憐れみ給ひしか
       助けの舟を遣はし給へり

 何事も神の心にまかせつゝ
       浪路を渡りて国に帰らむ

       (…亀に救われた安堵感…)

曲神の伊猛り狂ふ醜国(しこぐに)
       送られ吾は悩みてしかな

アララギの深き奸計(たくみ)は憎けれど
       吾は忘れむ今日を限りに

たのみなき人の心を悟りけり
       乳母アララギの為せし仕業(しわざ)

センリウは吾身に全くなりすまし
       (きさき)となりてゑらぎ居るらむ

外国(とつくに)(あだ)(こきし)の妻となる
       センリウ姫は憐れなりけり
 

霊魂(みたま)身体(からたま)共に汚さるゝ
       真際を救ひし彼なりにけり

かく思へばアララギとても憎まれじ
       吾(みさを)をば守りたる彼

暫くの栄華の夢を結ばむと
       仇に従ふ心の憐れさ

吾は又心の弱きそのまゝに
       仇に()(たま)をまかさむとせし

ありがたり神の恵の深くして
       身体(からたま)は汚さずありけり

       (…アララギ親子を憐れみ…)

夕されば波間に沈む島ケ根に
       捨てられし吾も救はれにけり

この亀は次第次第に太りつゝ
       海原安くなりにけらしな

大空に水底に月は輝きて
       海原(うなばら)明るく真昼の如し

亀よ亀イドムの国に送れかし
       アヅミの王のいます国まで

(なれ)こそは尊き神の化身かな
       玉の生命(いのち)を救ひ給ひし

いつの世か(なれ)(いさを)を忘れまじ
       (うな)(ばら)守る神とあがめて

あぢ気なき吾身をこゝに送り来し
       (なれ)生命(いのち)の親なりにけり

       (…亀は神の化身かと…)

いろいろの()【註】が言霊にわが胸の
       雲は晴れたりとく入りませよ

          〔第一七章「再生再会」以下同じ〕

 【註】汝=サール国の朝月。アララギの娘センリウを贋チンリウ姫と言い、島に流された。

なよ草の女一人のこの(いほ)
       ()が訪ひ来しも不思議なるかな

(なれ)も亦琴平別に救はれし
       われも神亀(しんき)に送られ(きた)りぬ

 二十八首ある歌のうち十二首が亀に関したものである。チンリウ姫は、大亀が神の化身だということがだんだんわかり、最後に「琴平別」の神名が出ている。

 琴平別の神名は、第四巻や第六巻などで出て来て、大道別の霊魂(みたま)が日の出の神や琴比良別神となっている。(第四巻第三二章「免れぬ道」)、また、大道別は大日如来となった(第六巻第二三章「諸教同根」)ともあることから、霊界物語神名備忘(161頁)には琴平別神が「主神の顕現」ともある。父アヅミ王がまみえた主の大神に、娘のチンリウ姫も救われている。

 チンリウ姫が、過酷な試練に遭うのは信仰に至る道筋であったのか。アヅミ王が築いた神殿に近い森で朝月とともに時を待つ。今後の信仰的向上を予感させつつ、チンリウ姫の物語は終わっている。

 さて、私を病に至らしめた方は、一体何の恩人だったのか。その方に会いに行ったのが平成二十五年一月頃。その年の九月、ある幹部職員の不祥事を知った。私しか知りえないことが多々あった。弁護士にも相談し、翌二十六年六月上層部に報告した。

 当時、刑事事件は時効だが、民事はまだ時効にはなっていなかった。その職員は二十九年七月に亡くなった。私の行動をきらう方々との人間関係は失ったが、戒め事として私の名前とともに、組織の中枢部で今も引き継がれていることを、今年四月確認した。

 もし、私が順調に階段を昇っていたならば、己のポスト可愛さの世間愛で、不祥事を見て見ぬふりをしていたかもしれない。私は病を得たゆえに良心を失わずに済んだ。大神の御試しを受けたのかもしれない。「心の鬼を退(やら)ふべき誠の力は真言(まこと)」という神鉾の神の御言葉を、今素直に聞くことができる。

〔後記〕

 叔母は法華経に熱心になる前に、家の仏壇にある釈迦像の眉間から発した光を浴びたのだという。私も今年三月、孫の写真をお雛様の前で撮ろうとした時、さっと光りの粒が集まって来た。夢中でシャッターを切ると、それらが写真に写っているという不思議な体験をした。

 我が家は祖母により大本に入信したが、叔母は祖母の姪に当たり、また、叔母の祖母は私の祖父の姉である。家系図が複雑すぎるほど叔母と私はずいぶん濃い血縁関係にある。  

 先日、久しぶりに朝日歌壇に私の短歌(追記)が入選したので叔母に知らせた。すると「宇宙の法則である諸法実相と諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法印について教えたい」「死に際が大切、それが来世の姿」というメールが返ってきた。

 これらを見て、第五十六巻総説が思い浮かんだ。万物流転の「諸行無常」に対して、「卵は虫の始めにして又虫の終り…人間も幼たり老たり死たるも一体の変化のみ」という本質不変のお示し。

 また、「死に際が大切」に対して、「人間は…死後…復活して天国の生涯を営む」「人間の現肉体の生命は只その準備に外ならない」という天界主体のお示し。叔母とはなかなか、かみ合いそうにはないが、勉強のため叔母のところに行ってみよう。

(追記)私と短歌

 平成二十四年十一月頃から短歌を作り始めた。すると朝日新聞全国版「朝日歌壇」の十二月三日に入選した。馬場あき子さんの選で、一部添削があった。

 (入選歌)自らの巣に死すほかなき蜘蛛にして
         ()を待つままに風に吹かるる

(添削前)自らが張りたる巣に死す蜘蛛にして
         ()を待つままに風に吹かるる

 「ほかなき」が加わり、単なる蜘蛛の死の自然詠が「死すほかなき」という哲学めいたものとなった。「あなたは一旦死んだものと思いなさい。これまでの考え方を変えなさい。そうすれば新しい道が開けます」というメッセ―ジであったのだろう。病を得て、ポスト降格、出先機関異動、入院、休職という、チンリウ姫と同様の島流しの状態から、三年が経っていた。

 この歌が入選した頃から、奇跡的に体調が回復に向かった。三月後の復職の歌も馬場さんに選んでもらった。その後、さらに三首を選んでもらい、旧知の方々にも送った。全国版に自分の短歌が掲載されることで、社会復帰の大いなる自信となった。馬場さんにはとても感謝している。

 なお、馬場さんの選歌には大本弾圧を歌ったもの【註1】があり、また、馬場さんのお祖母さんが綾部出身【註2】であることを考えると、馬場さんは大本を十分に知っておられるのであろう。私の歌が馬場さんに選ばれることを通じ、大神様が私に回復の力を与えてくださったのではないか、勝手ながらそう思いたいところである。

○自らの巣に死すほかなき蜘蛛にして
   ()を待つままに風に吹かるる

         〔平24・12・3馬場あき子選〕

○復職の朝はスーツで出勤す
   小雨にけむるけふ から弥生

   〔平25・4・1 馬場あき子・佐佐木幸綱選〕
   選者馬場あき子評「第二首は復職の朝の明るい緊張が弥生の雨とスーツ姿にある」

○八十歳の父がいつまで担い手か
   三百万かけ田植え機替えしが 

         〔平25・7・8 馬場あき子選〕

○部屋ごとのドア照らされて静まれり
   老人ホームに秋の夜更けゆく

         〔平25・12・8  馬場あき子選〕
   選者評「第三首の寂寥感は心に迫る」

○秋風がさやかに吹くやふるさとに
   フグの初競りみかんの初荷

         〔平26・10・20  馬場あき子選〕
  ※この歌を境に歌が明るくなって行く。私の魂に何か大きな変化があったのだろう。

○「お父さんは謝るのが下手なんだから」と
   また言われそうだがメールを送る

         〔平26・11・3 永田和宏選〕

○終はりなき円周率を寿ぎて
   三・一四結婚せしとふ

         〔令3・4・18 高野公彦選〕

○朝早く田んぼにいるのは白鷺と
雉子と()()(さぎ)吾とカルガモ

         〔令4・8・14 佐佐木幸綱選〕
選者評「第三首、広々とした早朝の田が()に浮かぶ」

【註1】国による大本弾圧見たる岩
      今はしづかに鯉を観てゐる

    〔令2・4・19 綾部市・阪根瞳水〕
    選者馬場あき子評「第三首、戦前から戦中にかけての宗教弾圧を知る者も少なくなった」

【註2】「祖母は京都の綾部から駆け落ちで上京…」 
    〔朝日新聞平30・10・11 語る―人生の贈りもの― 歌人 馬場あき子  〕

         (令3・7・21記)
〔『愛善世界』令和4年12月号掲載〕
        (令4・12・9追記)

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