四月三十日(火)。いつも勉強会の初めは、参加者がそれぞれ近況などを話す。私は、その日目を通した『愛善世界』誌五月号で気づいたことを数点述べた。その一つで、徳重高嶺氏の「神定聖地の意義」の文章に触れた。
「開祖様、聖師様を過去の人としてしまい、教主様伊都能売御魂論、日出麿先生救世主論、また教主様、教主補様生き神論等、あやまった神観を主張される人々…天地の親神様とは異る目的をもっている…教団の信仰的生命は喪失してしまい」(二二頁)
第三次大本事件の原因を、神観の誤りにあることや親神様と異る目的を持つなどと的確に指摘している。また、信仰的生命を喪失するという、その行きつく先を憂いている。
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実は、これと同様のことを、私は十年前の『愛善世界』誌平成二十五年十一月号で述べている。
「『三代の長女直美の生れしより大本四代の基礎固まれり』との聖師様のご意志に背いて教主継承者を変更した本部執行部は、その根拠を『地上に二人といまさない高い神格に満たされた三代様のご指示は、神様のご指示によるもの』と同愛善苑誌に掲載した。
『高い神格』という文言を用いて、教主継承者変更の責任を三代様お一人に負わせたが、聖師様のご意志に背くということは、三代様の『ご神格』が聖師のそれにまさっていることになってしまう」
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今回は、入蒙記十三章「洮南旅館」から十六章「蒙古の人情」まで。出口聖師の「ご神格」がここにおいても、蒙古の現実の中で強調されている。
「大喇嘛が牛乳の煎餅十枚許り持つて来て日出雄に贈つた。釈迦が出立の時、若い女に牛乳を貰つて飲んだ事を思ひ出し、日出雄は蒙古の奥地へ来て直ぐに喇嘛から牛乳の煎餅を貰つた事を非常に奇縁として喜んだ」
「此時日出雄の左の掌から釘の聖痕が現はれ、盛んに出血し淋漓として腕に滴つた。然し日出雄は少しの痛痒も感じなかつた」(一五章「公爺府入」)
釈迦や基督が、出口聖師の御魂である神素盞嗚尊の四魂であることを明らかにする話である。入蒙の目的の一つが、出口聖師のご神格を世に現すことであったと言える。
「わが魂は神素盞嗚尊の生御魂瑞の神格に充されてあり」(四十一巻一六章「三番叟」余白歌)
「国大立之命…その精霊魂を分ちて…大八洲彦命は【和魂】…言霊別命は【幸魂】」(三巻四三章「配所の月」)
「月照彦神は印度の国浄飯王の太子と生れ、釈迦となつて」(六巻二三章「諸教同根」次も同)
「少名彦は幽界を遍歴し…猶太に降誕して、天国の福音を地上に宣伝」
「神素盞嗚尊の聖霊…普く衆生済度の為め更に蒙古に降り、活仏として」(入蒙記八章「聖雄と英雄」次も同)
「基督の聖痕迄も手に印し天降りたる救世の活仏」
(令6・5・1記)
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