悔悟の花が開く(レポート32)

勉強会レポート

 十月三十一日の勉強会は五十五巻三章「万民」から四章「真異」まで。前回レポートの久米彦は「吾身に巣ぐふ曲神は…肉体見すてて逃げ(いだ)す」(二章「道謡」)と、憑依していた悪神が逃げ出して改心に至ったと歌っている。(ほがら)かではあるが、何か他人ごとのようにも感じる。

 一方、鬼春別は真言密教の経文を称える。経文は、中央及び東西南北の四方に鎮座する五大明王に祈願するもの。中央の大日(だい)(しやう)不動明王は「大日如来が変化したものであるから大日大聖を冠する」との説明がある(五十五巻注二九三頁)。 

 なお、「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御子たりし大道別は、日の出神となりて…仏者の所謂(いはゆる)大日如来となり」(六巻二三章「諸教同根」)とあることから、不動明王に対して親しみを感じる。

 鬼春別の改心は、自分が本当に悪かったと反省する「発根からの改信」(『三五神諭』大七・旧正・一二)と言うべきか。

「鬼春別は…心に悔悟の花開き 前非を悔いて大神の 尊き恵を覚りつつ 瑞の御霊の神徳は…御教に帰順し」(三章「万民」)

 また、娘スガールを(かどわ)かしたことを、その親テームスから責められ、「随分私の悪を並べられた時には五臓六腑を(えぐ)られるやうに苦しう(ござ)いました」(四章「真異」)と正直に語っている。

 鬼春別はその後、治道居士と名を変えて活躍し、六十五巻(二六章「七福神」)では、七福神の布袋(ほてい)の役をもらうまでに至っている。

 勉強会の二日前の十月二十九日、熊本県山鹿市の瑞霊苑で、例年開催される平和祈願祭があった。今年は、大正十二年旧七月十二日の五十二歳の誕生日に、弥勒最勝妙如来となられた出口聖師が杖立温泉で御手代を出され、その後、みろく岩のある山鹿で、観音像に霊をかけられて弥勒最勝妙如来像とされてから、記念の百年目に当たった。

 五代教主出口直子さまが、信一先生の最後のお参りにご一緒されて以来の十四年ぶりのお参りをされ、また、私は、八雲琴の伶人奉仕を島根本苑の大畑静さんとさせていただいた。

 その晩は、出口聖師がお泊まりになられた杖立温泉の白水荘に弟と泊まった。亡き妻と泊まって二十年ぶりであった。翌三十日は、妻の六年目の命日に当たっており、妻がかつて杖立温泉での昼食の折に曲げたスプーンを持参していた。また、今回の山鹿・杖立旅行での車の走行距離が、五六七キロメートルというオマケもついた。

 勉強会では、昭和八年発表の「皇道大本の信条」への言及があったが、出口聖師のお示しについて、国威宣揚(せんよう)が盛んな時代背景を考慮すべきとの話も出た。ちなみに『大本七十年史下』(一四九頁)には、出口聖師の皇道論は、狭義の「天皇の天下統治の道」ではなく、天下統治の道も含めた人群万類に普遍した永遠の道との記載がある。

 なお、出口榮二先生は、御自身が有栖川宮熾仁親王の血をひいていると明かされるのと併せて、天皇制は明治政府が作った人民支配のための時代錯誤の制度とされた一方で、天皇家は出口家と同じで、一つの家として大事にすべきと語っておられる(『出口榮二選集』四巻二六○~二六三頁)。

(令5・11・2記)

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