(58)お歌にみる「みろく下生」

「愛善世界」誌掲載文等

○松本清張著『神々の乱心』

 松本清張氏の絶筆「神々の乱心」は、大本をモデルにしたもので、時代背景を第一次大本事件から入蒙あたりに置いてある。入蒙におけるパインタラ事件が、忠実に描写されている。

「出口王仁三郎は…張作霖の部将廬占魁軍の護衛で蒙古入りしたが、作霖の変心により…通遼(パインタラ)で包囲され…銃殺の宣言を受け…王仁三郎一行は助かった…廬占魁ら…は銃殺された」(『神々の乱心』下巻62頁)

 特筆すべきは、聖師のみろく下生が積極的に著されていることである。

「ミロクの霊を()けた『聖師』出口王仁三郎」(上巻17頁)

「弥勒の下生」、「弥勒が王仁三郎」 (下巻67頁)

「弥勒下生達頼喇嘛(ダライラマ) 素尊(ハン)」 (下巻69頁) 

 これらの「弥勒の下生」(入蒙記八章「聖雄と英雄」)、「弥勒下生達頼喇嘛(ダライラマ) 素尊(ハン)」(出口聖師の名詞)は、しっかり清張氏が入蒙記などを読んでいる証拠である。しかも、「弥勒が現世に現れたのが王仁三郎」(下巻67頁)とまで言い切る信仰心を、はたして大本信徒のどれほどが持っているだろうか。

 なお、清張氏のいとこの山川京子氏が大本信者で、東京で支部長であったと聞く。聖師のみろく下生たることを世に伝える清張氏は、立派な大本の宣伝使である。

松本清張著『神々の乱心』 
~弥勒が王仁三郎~

○みろく下生たる出口聖師

 大本の出現は、艮に退去していた国祖の大神が再び元の主宰となる場合には、天のミロク様が地上に降臨し輔佐するという神誓神約に基づくものである。(「太古の神の因縁」大正七・一・一五など要約)

 そして、そのみろく様の降臨が、出口聖師だと開祖様が気づかれるのが、大正五年の神島開きである。

 「素盞嗚尊…の霊が、みろくの神の御霊…みろく様が根本の天の御先祖様…国常立尊は地の先祖」 (『大本神諭』大正五・旧九・九)

 さらに、大正十三年の入蒙により出口聖師が「弥勒の下生」(入蒙記八章「聖雄と英雄」次も同)であり、また「弥勒最勝妙如来」だと明示された。

 出口聖師五十六歳七ヶ月の昭和三年三月三日、「みろく大祭」【註】が行われ、出口聖師はみろく三会のお歌を詠まれた(後述)。その後、御自身の御神格を一層明確に示された。

「久方の雲井の空を後にして地に降りたる身魂は神なる」(言華『神の国』昭和三年七月号以下同)

天地(あめつち)肉体神(にくたいじん)を世に現じ人間界に交りて経綸(しぐみ)す」

人間の姿現じて世に()でし誠の人は神の顕現」

 特に次の歌は、御自身の御神格に対する誤った認識を正すよう語気を強めておられる。

「瑞霊を神の(うつ)りし肉体と誤解せる人(あわ)れなりけり」

「伊都能売の神と()れます人の子を神懸れると思う人間」

 この伊都能売の神は、昭和八年、霊界物語天祥地瑞で現身(うつせみ)を持つと、重ねて示されている。

歌集『言華』

「伊都能売神と顕現し、大宇宙の中心たる現代の地球(仮に地球といふ)の()()()()に現れ、現身(うつせみ)をもちて、宇宙更生の神業に尽し給ふ世とはなれり」 (七十三巻一二章「水火の活動」)

 まさに、松本清張氏が言うとおり「弥勒が現世に現れたのが王仁三郎」である。

【註】いつものような大祭の式典はなく…「神言」を奏上…聖師による…歌の朗詠   (大本七十年史下)

○みろく三会

 四月七日(日)のみろく大祭に参拝した。出口孝樹斎主奏上の大祭祝詞に、出口聖師が昭和三年三月三日の「みろく大祭」で詠まれたお歌があった。

「万代に常夜の暗もあけはなれみろく三会(さんえ)(あかつき)きよし」

 このみろく三会について、水鏡(ミロク三会)に興味深いお示しがある。

①「天のミロク、地のミロク、人のミロクとそろうた時がみろく三会。人間にとれば天は父…地は母…子は人」

②「キリストは三位一体」を「父と子と聖霊」と説くが、「聖霊そのものが天であり、地であり、父であり、母であり、子であり、人である」

③よって、「キリスト教…父と子はあっても母がない…二位一体」。「地の母」も揃った「真の三位一体すなわちミロク三会」。

 つまり、天も地も人も同じ聖霊だということ。従って、次のお歌になる。

「人間の姿現じて世に()でし誠の人は神の顕現」

 また、同じくみろく大祭での讃美歌も、「子」を詠んだものであった。

神の一人子と現れませる 瑞の御魂は御空より 地上に降り給ひぬと」

 なお、このみろく三会のお示しは、四十七巻「総説」にも通じる。大六合(おほくに)(とこ)(たちの)大神と厳の御霊、瑞の御霊の関係について、「神を三分して考へることは出来ませぬ」とか「心に三を念じて口に一をいうことはならない」とある。また、四十七巻「総説」の原典となっている『天界と地獄』も「神格を分ちて三となすを得ず」とある。

○三代様の出口聖師観

 三代様が出口聖師のお歌を選ばれた『出口王仁三郎著作集 第四巻 出口直日選 十万歌集』には、出口聖師の御神格に関するものが三首ある。

「古へのエスキリストもなめまじきそのくるしみを吾に見るかな」  (『獄中回想歌』次も同)

「一人だに吾しる人のよにあらば神のみわざも易く成らむを」

「世を救ふめしやのみたまと知らずして苦しめし果ての国のさま見よ」     (『神声集』)

 自分の神格を理解しない者たちをもどかしく思われた出口聖師に三代様も共感され、これらのお歌を選ばれたのであろう。

出口王仁三郎著作集 
第四巻 『十万歌集』

 また、三代様の歌集『雲珠櫻(うずさくら)』(昭和二九年発行)に、出口聖師の御昇天を詠んだものがある。

「三日目に息吹き返すべしと幾人は信じつつ父に奇蹟を待てり」       

 キリストのように、出口聖師が復活されることを望んだ信者たちを描写したものである。

 昨年亡くなられた高木明彦氏から、御自身の体験として、出口聖師の葬儀での三代様の様子を聞いたことがある。  

 三代様のお茶の先生が会葬に来られた時、三代様がその方に、父はみろく様とか、救世主とか言われたというのである。そうであれば、お歌のように、三代様も出口聖師を救世主と信じ、奇蹟を待っておられたのかもしれない。

 なお、この歌集で初めて気がついたことがある。

「父昇天す 一月十九日(旧暦十二月八日)午前七時五十五分なりき」

 出口聖師の御昇天の日が、旧暦で、第二次大本事件や太平洋戦争の始まりの十二月八日であった。みろく三会の昭和三年三月三日が五十六歳七ヶ月に対して、御昇天が七十六歳五ヶ月であるのは知ってはいたが。

歌集『雲珠櫻』

○杭迫氏と宇佐美氏

 三代様の歌集『ちり塚』(昭和二八年発行)に、第二次大本事件で開祖様のお墓があばかれたお歌がある。

「死して猶安からぬ祖母ふたたびも逆賊の名に墓あばかれつ」

 よほど悔しく思われたのであろう、お歌の前に杭迫特高課長という名前入りの文が添えてある。

「衆人に頭を踏まさねば成仏出来ぬ大罪人極悪人なりとて杭迫特高課長のさしづにて腹部と思ふあたりに墓標は建てられしなり」

 この元特高課長杭迫軍二氏が、月刊『現代人』で昭和二十九年七月から半年以上、大本攻撃の執筆を行っている。そして、この月刊『現代人』を創刊した宇佐美龍堂氏が、昭和五十七年大本総長となった。

 しかも、宇佐美氏は三代様も利用し、出口聖師を(おとし)める挨拶まで行っている。まるで弾圧側の勝利宣言である。このような人物を、なぜ大本に迎え入れなければならなかったのか。三代様の御心痛はいかほどであっただろうか。

 宇佐美氏挨拶(昭和五十九年開祖大祭)

三代教主様、現教主様が瑞・厳二霊を統一させられまして伊都能売御霊として‥この現界にすべてのものを修理固成…。

 聖師様の御構想、御神業というものは一旦事成りましたが、ことごとくこの地上から弾圧のためにかい滅した…今日では聖師様の御偉業というものは幻として残っているだけ」

○ミカエル

 みろく大祭の前日四月六日(土)、高熊山に参拝した。桜に加え、ヤマツツジが岩窟の周囲に咲いていた。その岩窟に向かって右側にガマ岩がある。出口聖師は修行の折、そのガマ岩に端座されている。

「自分は高熊山のガマ岩の上に端座してゐた」(一巻一四章「神界旅行の一」)

 ところで昨年、蝦蟇(がまがえる)を詠んだ私の短歌が朝日歌壇に入選した。

「七、八年ぶりに出でたり蝦蟇(がまがえる)わが家の一員戻れるごとくに」(朝日歌壇 令五・八・二七)

    佐佐木幸綱・選評『第三首、楽しそうでかつ(うれ)しそうな下句に注目する』

 入選したから余計に思うのだが、ガマ=カエル。カエルはミカエル(ヽヽヽ)に通じるのではないか。ミカエルとは現幽神三界を立替る神人とあり、救世主たる出口聖師へとつながる。ミカエル聖師がミカエル(ヽヽヽ)=ガマ岩に座っておられたのは、一つの象徴ではないか。

ガマ岩  令6.4.6

「『ミカエル』とは天地人、現幽神の三大界即ち三を立替る…現幽神三つの世界を根本的に立替る神人」 (六巻二八章「身変定(ミカエル)」)

 なお、カエルとミカエルを結ぶ明確なお示しはないが、出口聖師の御神格の一つである木花姫が、カエルに化身神されている話が、霊界物語十三巻にある。参考まで。

「神素盞嗚尊の聖霊…天教山に修して観世音菩薩木花姫命と現じ」(入蒙記八章「聖雄と英雄」)

「大蛙『あなた(ヽヽヽ)方を乗せて上げませうかい』」 (十三巻一四章「蛙船」)

「女神『妾は天教山の木花姫が和魂』」(同二一章「本霊」)

 さて、昭和七年から九年にかけて、このミカエルに関するお歌が出て来る。歌集『言華』に八首ある。メシヤやキリスト、弥勒、伊都能売神と同様の使い方であるが、ミカエルが現神幽三界立替えの神人ということからか、切迫感が強い。

「ミカエルのたちて叫ばん時こそは地上の総ての断末魔なる」(言華『神の国』昭和七年一一月号次も同)

「ミカエルの()し日の本にあらざればこの地の上は常闇とならむ」

「いやはてにミカエル立ちて地の上のあらゆる雲きり祓はせ給はむ」 (同昭和八年四月号)

「ミカエルとなりて叫ばむわが時を知らず最後に驚く世人よ」 (同昭和九年一月号)

 また、ミカエルの説明がみいづ舎のホームページにある。ミカエルはイスラム教にも関係している。エルサレムまで行くと言われた入蒙であるが、救い主たる出口聖師がさらに世界的となる。

「『ミカエル』はユダヤ教、キリスト教、イスラム教では悪魔を祓い、人々を救済される大天使の長」

 なお、京都市が、姉妹都市であるウクライナの首都キエフ市から「ミカエル像」を贈られ、市役所の玄関前に設置されていることも、みいづ舎のホームページにある。

ミカエル像

○最後に

 私は十年ほど前、『愛善世界』誌へ「第三次大本事件と私」(平成二十五年十一月号)を投稿した。

 四十年前の全国青年部長会議で、当時の森良秀青年部長が三代教主生き神論を主張していたことと、私が同会議で、その反論文を配布したことなどをまとめたものである。

 投稿に当たって、電話で私は当時の無礼を森氏に詫び、また、森氏の主張を載せることを伝えた。その折、森氏が「自分は出口信一先生と友だちだった」と言われたので、『救世(ぐせい)(みふね)に』を贈った。すると葉書で礼状が届いた。

 四月六日(土)、高熊山から帰るタクシーの運転手は大本本部の信者さんで、いろいろ話をする中で森氏の帰幽を聞いた。

 私は、森氏が主張する三代教主生き神論への反論文を作ることで、出口聖師の御神格をより勉強するようになった。森氏はある意味恩人である。霊界での御幸はいをお祈りしたい。

  (令和6・4・17記)

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