○松・竹・梅の宣伝使の活躍
松・竹・梅の宣伝使に関する霊界物語の関係章が、今年令和六年の『愛善世界』誌に掲載されている。
「五月号 華燭の典(八巻三八章)」
「六月号 刹那信心(九巻六章)」
「十月号 九人娘(九巻二九・三○章)」
松代姫、竹野姫、梅ヶ香姫は、正鹿山津見となる元の天使長・桃上彦の三人娘で、宣伝使となる。
なお、掲載章の内容は次のとおり。「YouTube藤井盛」でも配信している。
○神夢に感じて、父正鹿山津見の前に三人が現れる。〔華燭の典(八巻三八章)〕
○竹野姫が歌う宣伝歌により暴風が止み、三笠丸が沈没を免れる。〔刹那信心(九巻六章)〕
○鬼武彦が化身を使い、悪神から三人を守る。〔九人娘(九巻二九・三○章)〕
そして、三姫は、黄泉比良坂の戦いで魔軍を言向け和す。
「松代姫、竹野姫、梅ケ香姫は…宣伝歌を歌ひながら…魔軍も、容色端麗にして天女の如き清楚なる姿に眼眩み…各武器を地に投げ…魔軍を言向け和し吾神軍を救ひたるは、この戦ひに於ける第一の功名なり…三柱に対して、意富加牟豆美神といふ御名を賜ふ」(十巻二一章「桃の実」)
○苦労を経てこその宣伝使
三姫のうち竹野姫は北光の神と結婚し、イルナの国のセーラン王の許嫁であったヤスダラ姫を諭す。
「ヤスダラ姫様、貴女もこれから神様のために余程御苦労を遊ばさねばなりませぬぞや…人は如何しても苦労を致さねば誠の神柱にはなる事は出来ませぬ…人間も神様の鍛錬を経なくては駄目です。一つでも多く叩かれた剣は切れ味もよく匂も美はしき様なもので、人間も十分に叩かれ苦しめられ、水火の中を潜つて来ねば駄目です」 (四十一巻一四章「慈訓」以下も同)
苦労を経た上でこそ、神様の御力をいただき、宣伝使の役割が果たせるとある。神様への祈りだけでは済まないようである。
「そこを神様の御神力で助けられ、波風荒き世の中を安々と渡るのですよ…天下の万民に誠の道を教へ諭して、天国に救ひ、霊肉ともに安心立命を与へるのが神より選まれたる貴女等の任務」
特に私は次のお歌が好きである。
「神業をなすのが原の玉草は踏まれ蹂られ乍ら花咲く」(入蒙記五章「心の奥」)
○市井(しせい)に生まれ替わる松竹梅
話は変わる。「YouTube藤井盛」で霊界物語の全巻を配信し終わった後、トピックスで面白い話を取り上げてみようと思った。そこでまず思い浮かんだのが「高加索詣」(十三巻二二章)である。
弥次喜多道中のような弥次彦・与太彦の珍道中の物語である。宿で、洟汁が混じった握り飯を相方に食べさせたり、お茶のつもりが、自分の小便を飲んだり(二三章「和解」)という滑稽に満ちたもので、その宿には、弥次彦の家の下女であった「お竹」が働いていた。
「俺のとこに長らく奉公をして居つた、お竹と云ふ下女の家がある筈だから…そこが主人と家来だ、いかに無情なお竹だつて、十年も飼うてやつた主人が頼む事を」 (十三巻二二章「高加索詣」)
その後、「三人塚」(三十四巻一八章)をトピックスで取り上げた。これは、私が『愛善世界』誌に最初に投稿した「霊界物語と私」(平成二十五年四月号)に関係した物語である。
投稿の内容は、三年に及ぶ病気からの回復を願い、自分が録音した霊界物語を聞いたところ、お愛が大蛇の三公のために生き埋めになる場面で、ちょうど自分と同じ状態のように恐怖を感じたので、もう二度と霊界物語を聞くまいと思ったというものであった。
さて、生き埋めになったお愛の妹として「お梅」が出てくる
「お愛は『ウン』と一声叫ぶと…『ア、お前は妹のお梅であつたか』」(三十四巻一九章「生命の親」)
この「お梅」について、お愛が結婚する虎公の子分らの会話が続く。お梅は拾い子だと言い、松竹梅の宣伝使が、市井に、お松、お竹、お梅として、生まれ替わっているというのである。
『オイ新公、あのお梅と云ふ奴ア、親分の妹だといふ事だが、妹迄伴れて駆落しよつたのか。本当に念の入つた奴だなア』
『妹といへばマアマア妹だ。実のとかア、彼奴も拾ひ子だよ。うちの虎公が表向妹だと云つてるのだが、其実ア、フサの国に生れた女で、姉にはお松といふ立派なナイスがあるのだ』
『松竹梅と云ふ事があるぢやねえか。お梅の姉はお竹、お竹の姉はお松だ。黄泉比良坂の桃の実になつた松竹梅の宣伝使の生れ変りだからなア』 (三十五巻九章「分担」以下も同)
○市井(しせい)での苦労を語る
さらに、三人の苦労が語られる。先の十三巻の「高加索詣」で出て来たお竹のことも出て来て行方不明。お松も遠い国だという。
『お梅さまはお松さまの妹だとか云つてゐましたなア。そのお松さまは今どこに居られますか』
『ハイ私には姉が御座いました。中の姉さまのお竹さまはコーカス山へ行つたきり行方不明となり、上の姉さまのお松さまはフサの国から海を渡つてどこか遠い国へ行かれたとか言ふ話で御座います。何分私の小さい時に別れたのですから詳しい事は存じませぬ』
また、両親は命を取られており、親子兄弟のない苦労が語られる。
『あなたの御両親は何と云ひますかな』
『私の父母は…バラモン教の鬼雲彦とやら云ふ大将に連れ帰られ、生命を取られたとか云ふ…私は或悪者の為に拐はかされ…兄さまが…私を助けて連れ帰り…兄さまの計らひで、親子兄弟のない子だと言つたら世間の人が軽蔑するから、お前は俺の国許から訪ねて来た妹だと言つてをるがよい』
『是で孫公も三人の秘密が全部分りました』
松竹梅の宣伝使として、黄泉比良坂の戦いで容色の端麗さで、華々しく邪神を言向け和し、また、竹野姫が王の許嫁を諭したりする姿は、確かに、我々の憧れの対象となり、師として仰ぐ尊敬の対象にもなる。宣伝使としてのその活躍は、我々の目指すところでもある。
しかし立場が変わり、生まれ替わって市井に苦労する姿は、我々に身近で理解しやすい。あるいは、他人事ではないかもしれない。一方、こうまでして神様は人々の御魂をお鍛えになるのかとも思ってしまう。
なお、生まれ替わりについて、次のお示しもある。
「太古の神人が中古に現はれ、また現代に現はれ、未来に現はれ、若がへり若がへりして、永遠に霊即ち本守護神、即ち吾本体の生命を無限に持続する」 (十巻十五章「言霊別」)
○出口聖師の生まれ替わり
ミロクの大神たる出口聖師の生まれ替わりに関する箇所がある。「若がへり若がへり」という文言もある。
「至仁至愛の大神は数百億年を経て今日に至るも、若返り若返りつつ今に宇宙一切の天地を守らせ給ひ」 (七十三巻一二章「水火の活動」)
また、如是我聞にもある。
「王仁は今度で三十六遍生まれてきた。支那の上野に百姓として生まれてきた事もある」(『新月の光』上 ○三十六遍生まれてきた)
「『いま誰が来て書いているか判るか…』『菅原道真だ。道真は王仁の分霊だ』と申されました」 (『新月の光』上 ○忠勝)
「わたしの霊はかつて部将としてこの世に生まれでていたことがある…信長…秀吉であり、同時に家康であり、三つの御魂の活動をしていたのである」 (『月鏡』身魂の因縁)
○人間味溢れる出口聖師のお歌
妻が逝って七年。妻との別れを短歌に詠んだ。
「生きている最後の温もり妻の胸に手を当て最後のお取次をなす」 (『歌集 妻千枝』次も同)
「お取次終えなば目を閉じ息も止み妻は静かに逝きにけるかな」
短歌の中には、今も妻の温もりが残り、安らかに帰幽して行った様子が、ありやかに目に浮かぶ。つくづく短歌が詠めてよかったと思う。
天のミロクさまが、生身の人間の体を持って地上に降られ、庶民の家に生まれられた出口聖師。『王仁三郎歌集』(笹公人編)から、出口聖師の温もりに触れているようなお歌を十二首選んでみた。
「足音をしのびしのびて二人ゆく道の隈手に逢ひし母かな」 (第一歌集『花明山』)
「その君の嫁ぎの夜なりぽつねんと吾おのづから爪かみて泣けり」 (第二歌集『彗星』)
「亡き吾子のあと悲しめど詮なければ忘るる癖をつけたくぞ思ふ」(第四歌集『霞の奥』次も同)
「いなづまはなやましきかも闇の軒にしのび逢う夜の二人を照せば」
「狂いたる女なるらむ真夜中の雨戸叩きて叫びをるかも」 (第八歌集『白童子』以後も同)
「わが父に叱られたりし若き日を思ひてわが子を一度も叱らず」
「満月に目鼻をつけて絵をゑがき汝がすがたよと妻に見せけり」
「心よわき吾は噂をおそれみて恋歌詠むも妻の名を借る」
「この女入水するかと窺ひしを馬鹿をみたりき男待てるに」
「三時間も橋詰に待たされて帰つた夜更け恨みのラブレターを書いてゐる」(第九歌集『公孫樹』)
「抱いてくれ負うてくれとせがむ女が可愛いい孫だもの」 (第十歌集『山と海』)
「幼児が乳房にすがるこころもて神に近づく身こそ幸なれ」 (道歌集『大本之道』)
内面を惜しみなく表白し、庶民感覚の人情味溢れるこのようなお歌に接すると、ミロクさまたる出口聖師がますます好きになる。我々信徒の素朴な悩みにも、気軽に応じていただける気がする。
(令6・11・23記)
コメント