(70)天祥地瑞八十巻と歌集『言華』―主の大神に祈る―

「愛善世界」誌掲載文等

○人生の大目的は妖邪を払う

 我々のよく知る人生の目的を歌ったお歌。 

「人生の真目的は地の上に無窮の天国建つるにありけり」(『大本の道』昭和三十二年

八月発行・一七頁)

大本の道

 これに似たお歌がある。

 「人生の大目的は地の上の妖邪を払ひ(きよ)むるにあり」

  歌集『言華』(下巻)(昭和十年八月・三七四頁)にある。同じ人生の目的を歌ってあり、地の上に無窮の天国を建てるためには、妖邪を払ひ(きよ)める必要があるということになる。連なる歌も厳しい。

「人間の屑ばかりなる今の世は御国を悟る(まなこ)も持たざり」     (昭和七年八月・一四一頁)

「自己愛を以て唯一(ゆいつ)の処世法となす国人の心は曲れり」       (昭和八年八月・三○○頁)

歌集『言華』(下巻)

「濁り世の雑音のみに聞き慣れて神の御声のさとれぬ痴人(おそびと)」     (昭和七年十一月・一七二頁)

「腹が立つどこまで(おしへ)をさとせどもきく耳のない南瓜(かぼちや)瓢簞(へうたん)」    (昭和七年十月・一六二頁)

 こうした人間らを改心させ、世の中をよくするためには、神様が出られて、人心を洗わなければならないとある。

「嘘つきの鉢合せする今の世は神の出でずば治まらざるべし」    (昭和七年七月・一二一頁)

人心の汚濁を根本洗はずば世界の苦悩は除けざるべし」     (昭和十年十一月・三八八頁)

○妖邪を焼き払う「天祥地瑞」

「天祥地瑞」(七十三~八十一巻)の口述は、『言華』(下巻)のお歌と同時期の昭和八年十月(旧八月十五日)から九年八月(十五日)にかけてである。八十巻に『言華』のお歌と同様、まさに妖邪を焼き払う場面がある。(あさ)(ぎり)()()(かみ)燧石(ひうち)で、()に火を放つ。

天祥地瑞(八十巻)

「朝霧比女の神は…燧石(ひうち)をもちて…風に乗じて葭原(よしはら)に火を放たしめ給ひければ…火は四方八方に燃え拡がり、猛獣毒蛇、(すい)(ほん)(そう)(よし)(ぐさ)などの原野(たちま)ち火の海となり、(その)壮観(たと)ふるに物なかりけり」

(八十巻二三章「野火の壮観」次も同)

YouTubeチャンネル 藤井盛

 妖邪を焼き払う場面を見て、朝霧比女は楽しいと言っている。

「朝霧比女の神は…御歌詠ませ…(めぐみ)燧石(ひうち)に…炎々と四方に拡ごる野火の煙の 赤きを見れば楽しかりけり 曲鬼も(しこ)大蛇(をろち)(しこ)(ぐさ) ()()の力に亡び行くかも…国土を美しき聖所(すがど)となさむ」            

 まさに朝霧比女は、人生の大目的として地の上の妖邪を払ひ(きよ)ている。『霊界物語資料篇』(昭和四十六年八月天声社発行・三九八頁)には、「ミロクの世…敬神愛人の人や国のみが栄える…『神が表にあらわれて善と悪とを立てわける』とのきびしき教え」と八十一巻の解説にある。

○国津神の苦労が伝わる

 朝霧比女の神は紫微天界に生まれ、天上から地上に降って来た()()(しろ)(がみ)である。しかし八十巻での御樋代神の活躍は二一章から二三章までで、残りの大部分の章は、同じく妖邪を払ひ(きよ)めんとした国津神の奮戦記である。

 国津神の冬男と秋男は、毒のある(すい)(ほん)(そう)の繁る野を開拓せんとし、邪悪な笑い婆や(そし)り婆と戦うが命を取られてしまう。命と引き換えに妖邪らの大部分を滅亡させる場面は強烈である。

「五人の勇者は…火種を取らねば置くべきかと…猛獣毒蛇の群は…五人の勇者を口にくはへて…火口に投じ…五人の勇者は…火に焼かれ、白骨となりて…高く天に舞ひ上り再び地上に落ち来りけり」         (一五章「憤死」)      

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「火炎山は…大爆発して…高き山影は跡形もなく大湖水と変化し、猛獣、毒蛇、(すい)(ほん)()の大部分は全滅(やく)に遇ひて」(一六章「火の湖」次も同)           

 精霊となった秋男の思いが朝霧比女に伝わり、前述のように妖邪の焼き払いへとつながる。

「秋男は…精霊なれば、肉体を持つ猛獣…に対抗すべき力なく、…天地神明に祈願し、救ひの神の御降臨を待つ…高光山に天降りませる朝霧比女の神…西方に当り大爆音聞え…葭原(よしはら)の国土の一部に天変地異のありたるを憂ひ」

○命と引き換えの「羽(う)化(くわ)登(とう)仙(せん)」

 精霊となった秋男は、爆発で残った島の精霊界の主となる。その活躍から天界に行くものと思うのだが、その記述はない。

 秋男と同様、命と引き換えの場面が十七巻「羽化登仙」(四章)にある。わざわざ凍死させて、天国の神業に参加させている。山口本苑五月月次祭午後の「霊界物語勉強会」で取り上げられた。

霊界物語勉強会  7.5.18

「鬼彦、鬼虎…の羽化登仙せしは、 其実肉体にては、徹底的改心も出来ず…神界の御慈悲に依り、国替(凍死)せしめ天国に救ひ神業に参加せしめ給ひ…肉の宮は、神の御慈悲に依つて…土中へ深く埋められ」               (一七巻四章「羽化登仙」)

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○天祥地瑞から「主の大神」を奉斎

 六十三巻「山上訓」(四章)に、依信すべき(まこと)の神は幽の幽神たる「()(しん)」一柱だとある。

「無限絶対無始無終に坐しまして霊力体の大元霊と現はれたまふ(まこと)の神は、只一柱(おは)()()。之を(まこと)の神または宇宙の主神といふ」

 しかし、「山上訓」で「主神」とあるものの、天祥地瑞七十三巻より前の巻においては、「主神」のお名前で奉斎された場面が見当たらない。

 確かに主神たる「天津御祖の大神」(六巻二三章)や「大国常立大神」(六十巻五章)などはあるが、「主神」のお名前ではない。天祥地瑞七十三巻に入って「主の神」や「主の大神」のお名前が出て来る。

 例えば八十巻では、火種を持つ朝香比女の空路の無事を、朝霧比女の神が主の大神に祈っている。

「高光山の…主の大神の大前に…朝香比女の神は(うづ)の火種を持たせ…無事に…聖所(すがど)に導かせ給へ」         (八十巻二一章「青木ケ原」)

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 七十二巻以前では、主神の顕現たる幽の顕神、厳霊・国治立命と瑞霊・豊国姫命などを奉斎したものが多い(『霊界物語資料篇』参考)。七巻(四○章)「豊の国』や十一巻(二四章)「(うつし)(くに)の宮殿」、三十巻(一五章)「()(くら)(やしろ)」、四十四巻(六章)「河鹿(かじか)(とうげ)」などに見られる。

 なぜ、天祥地瑞に入らないと「主の神」の奉斎が見られないのか。信徒の理解力の高まりに応じて、教えをお示しになるということではないか。

「本書は有徳(うとく)の信者又は上根の身魂にして神理を解し得る(てい)の身魂にあらざれば授与せざるものとす」        (七十三巻「総説」)

 ところで、十一巻の顕国の宮には、国魂の金勝要神※と厳霊国治立命と瑞霊須佐之男大神の三神が祀られている。※「五柱の女神は、その地の国魂…国土を守護…総称して、金勝要神」(六巻二五章「金勝要大神」)

顕国(うつしくに)の宮殿には大地の神霊たる金勝要神、大地の霊力たる国治立命及び大地の霊体の守護神神須佐之男大神を鎮め奉り」(十一巻二四章「顕国の宮」)

 なお、この三神の霊・力・体の説明と同じ構成が水鏡(昭和三年旧九月八日)の「惟神(かむながら)()(みち)(いや)(ひろ)大出口(おおいつき)(くに)(なお)()主命(ぬしのみこと)」の説明にある。

大出口(おおいつき)(だい)の字…(いち)は大地の体すなわち国常立尊を現わし、ノは大地の霊 金闕要大神を現わし、乀は大地の力、神素盞嗚尊を現わし」

○「主の神」のお歌

 歌集『言華』(下巻)には「主の神」のお歌が多い。 

「大宇宙森羅万象(ことごと)く主の神の生みませしもの」              (昭和八年・二一三頁)

「主の神の内流うけて地の上にわれ愛善の道を開きぬ」                    (昭和八年・二一八頁)

「主の神の人を()の世に降したるは天地(てんち)に奉仕の為と知らずや」          (昭和十年・三七四)

「主の神の稜威(みいづ)と人の誠もてこの天地(あめつち)は栄えゆくなり」                  (昭和十年・三八○)

「主の神の(たま)の光を身にうけて活動すれば亡ぶ事なし」         (昭和十年・三八一)                                                                                                   

何時(いつ)の日か曇れる身魂を清めむと主の大神は焦慮し給へり」             (昭和十年・三八二)

「主の神は神子(みこ)を愛慕し玉へども(やや)ともすれば()(むね)()れ行く」           (昭和十年・三八二)

「神の子の神を愛慕し恭敬する心は(ただち)に主神に合致す」                 (昭和十年・三八二)

「主の神の光は万民(ことごと)く霊化し給ふ不可思議力なり」                   (昭和十年・三八五)

「主の神は宇宙にありとしあるものに栄えの御霊(みたま)を宿らせ給へり」       (昭和十年・三八○)

「主の神の光は円満照徹し一切万有を守らせ給ふ」                       (昭和十年・三八二)

「主の神の(せい)()(したが)ひ道の為尽すは神人なりける」                    (昭和十年・三八八)

(令7・5・28記)

〔『愛善世界』令和7年7月号掲載〕

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