(83)流転―柳原白蓮と出口聖師―

「愛善世界」誌掲載文等

〇渋沢栄一と柳原白蓮

存命中の人物をモデルに、霊界物語で口述した人物が、私が知る限り二人いる。一万円札の肖像となった渋沢栄一と、炭鉱王から宮崎龍介のもとに出奔した白蓮事件の柳原白蓮である。

 四十七巻(十章「震士震商」)に慾野深蔵で登場する渋沢栄一は、口述の大正十二年当時、八十二歳。その存命中でありながら、渋沢のその後の偽善者たるの生涯を示し、昭和六年に九十二歳で亡くなった後も、「地獄道の大門口内へ…放り込まれ…慾界地獄を指して進み行く」と示してある。霊界物語のすごさに改めて驚かされる。(参考「渋沢栄一と霊界物語」『愛善世界』誌令和三年九月号掲載)

また、物語中の「金の利息が、十円札で一 枚づつ、輪転機で新聞を印刷する様に」からは、現在の一万円札の印刷が連想される。こうした地獄行きの人物の肖像が一万円札となる金万能主義の現代社会の末路は、いかなるものか。

〇白蓮をかくまう出口聖師

 柳原白蓮は六十四巻上・下で、サロメとして登場する。また、現実界においても、出口聖師は、出奔した白蓮を、綾部の松雲閣に大正十一年七月一日から翌十二年七月一日まで、一年間かくまわれている。

 そのメモ書きが、二十九巻の校正本(昭和十年六月八日)の端書(一二頁)の余白にある。             

 そして、恋人の宮崎龍介が白蓮を迎えに来た七月一日直後の七月十二日から、六十四巻上一六章「天消地消」が口述されている。出口聖師が白蓮を庇護する現実界と霊界物語の世界が、まさに一体となっている。

〇人間らしく恋を味わう

 白蓮は、出口聖師のもとで恋人の宮崎龍介を待っているが、六十四巻上一六章「天消地消」でも、白蓮に重なるサロメが、現実界と同様に、宮崎龍介に重なる恋人ヤコブを恋い慕っている。

「両親が何と云はうとも、世間の人が堕落女と譏(そし)らうとも…自分の恋を自分が味はふ……吾心を生(いか)すものはヤコブさま…貴族の生(うまれ)が何だ…人間が恋を味はふに何の不道理があらう」

   貴族の両親にかまうことなく、人間らしく恋を味わいたいとあるが、それが叶わなかったサロメの不幸な来歴が、一八章「新聞種」に具体的に示してある。

「貴族の家に生れ…慈悲の牢獄に投ぜられ…素性卑しく毘舎(びしや)の妻…十年が間…苦痛と不愉快…毘舎の家を飛び出し…男の方へ走つた…天下晴れての夫婦に…神様のお力を借り…バハイ教の教を信仰…本当に不運な生付(うまれつき)」

また、この霊界物語に描かれたサロメの生涯は、実際の白蓮の生涯である(「」は前述の物語)。明治十八年、「貴族」の伯爵・柳原前光(さきみつ)と妾腹(めかけばら)の間に生まれ、大正天皇のいとこに当たった。十五歳で子爵・北小路資(すけ)武(たけ)と結婚するも、子を残し二十歳で離婚。出戻りは恥とされ、四年間の幽閉はまさに「牢獄」である。

 さらに二十五歳で、柳原家の経済的援助が条件と言われるが、二十五歳上の炭鉱王・伊藤伝右衛門と結婚し「毘(び)舎(しや)の妻」に「十年間」。孫文と交流のあった宮崎滔天(とうてん)の息子龍介と恋仲になり「家を飛び出し」「男の方に走り」、柳原家に幽閉される。その後、出口聖師にかくまわれ、迎えに来た宮崎龍介と「天下晴れての夫婦」となった。

 華族の家に生まれたばかりに牢獄のような生涯を送ってきたが、恋人を得て、恋を味わう人間らしい生活を得ることができた白蓮。出口聖師がその人間らしい生き方を、現実界でかくまい、霊界物語の中でサロメとして描いて応援している。

〇妻の入院先で白蓮夫婦の訪中を知る

 以前私は、柳原白蓮の名を、恋愛事件の主人公としか知らなった。その後、出口聖師が綾部に一年間、かくまっておられたということを知ったが、当時、「なぜ」と奇異に感じたことを覚えている。

 また、十年前の平成二十四年、NHKの朝ドラ「花子とアン」で、白蓮役を仲間由紀恵が演じていたが、大本との関わりは何も出て来なかった。

 さらに八年前の平成二十九年十月、妻が亡くなる前日か、前々日の夜、妻が入院していた病院の談話ルームで、たまたま手にした『文藝春秋』(平二九年四月号)に、白蓮の娘・宮崎蕗苳(ふき)さんが両親の中国行きを語った文章が載っていた。

「一九五六年(昭三一)に父と母が二人で訪れた際は、毛沢東さんや周恩来さんにお目にかかり、親しく言葉を交わしたそうです」 (「宮崎龍介 親子二代で尽くした日中友好」)

 これを読み、白蓮が、単に恋愛事件の主人公だけの人物ではなかったことを知った。また、白蓮夫婦の訪中を知人に話した時、昭和三十年代に、白蓮が大本東京本部に参拝していたということを聞いた。

 加えて訪中には、出口聖師や満州国にゆかりある大石ヨシエ氏(満州国の人類愛善会に派遣 『壬申日記』昭和七年)や川島芳子氏(満州帝国設立時、出口聖師と面接 『大本七十年史下』一○七頁)などが関わったのではないかという話も聞いた。

 なお、出口榮二先生が、その六年後の昭和三十七年に中国を訪れ、周恩来首相と会談されているが、この白蓮夫婦の訪中にきっかけがあったのではないかという推測もできる。

大石ヨシエ氏 満州国人類愛善会派遣

〇白蓮の小説『鳳凰天に摶(う)つ』

 実は、白蓮がサロメのモデルであることを、愛善世界社版「霊界物語」の六十四巻下のあとがきに書いてあるのを知ったのは、昨年のことである。

 なお、このあとがきに、六十四巻下(一九章「笑拙種」)に出る『鳳凰天に摶(う)つ』が、実際の白蓮の小説の題名と同じだとあった。

「サロメは…柳原白蓮(燁子(あきこ))と大変よく重なり合う…本巻第一九章(二五六頁)の『鳳凰天に摶(う)つ』…白蓮が…小説の題名と同じ」

 時期を確認すると、小説の発刊が大正十三年で霊界物語の口述が大正十四年。まさに現界で進行するものを、時差なしでそのまま霊界物語に取り入れてあった。

 つまり、出口聖師は、大正十一年から十二年までの一年間、白蓮をかくまい、直後に六十四巻上で白蓮をサロメとして口述し、さらに大正十三年の白蓮の小説を十四年の六十四巻下に取り込むなど、聖師は白蓮と現実界及び霊界物語上で、たいへん密接な関係を築いておられる。

 美人ではあるが、なぜこれほど白蓮の生涯に出口聖師は深く関わっておられるのだろうか。

〇白蓮の歌集の題字を出口聖師が

 ところで今回、白蓮のことを文章にしようと思い、さらに白蓮のことを調べようと山口市の図書館に行った。すると、出口聖師と白蓮の関わりに触れた本が二冊あった。

『白蓮れんれん』(林真理子著・中央公論社)には、宮崎家と柳原家の連絡係であった大本信者の谷広賢(広健)氏が、出口聖師と白蓮を結びつけ、

「教祖の王仁さまがあなたをお救いしたいとおっしゃています」とあった。

『白蓮れんれん』

 また、『流転の歌人柳原白蓮 紡がれた短歌とその生涯』(NHK出版)には、白蓮の知人で信者の中野岩太郎所有の松雲閣(大正十四年大本所有)に白蓮が身を寄せたとあり、「白蓮が実家を出られたのは、大本教教祖・出(で)口(ぐち)王(お)仁(に)三(さぶ)郎(ろう)のはからいがあった」とあった。 

 このように、出口聖師のことが一般の書籍に正しく出て来ることは、とても嬉しいことである。

 ところで、『流転の歌人柳原白蓮』の中を見て、出口聖師の字が出て来たので驚いた。

 白蓮が昭和三年に出した「歌集 流轉」の表紙の題字を、出口聖師が書かれていた。しかも表紙の構成も、出口聖師の歌集と同じである。 

 大正十四年(一九二四)の霊界物語(六十四巻下)で白蓮を取り上げ、昭和三年(一九二八)に至ってもなお、白蓮を応援されている。 

 白蓮がこの「歌集 流轉」の「集後小記」に

「私の流転の生涯…苛げられた運命に盲従しつゝ生き…逃れ出ての苦闘の巷へ…二人の兒 達の母親…落ちついた今日の境遇…即ちこの歌集」

と自分の流転の人生を詠んだと書いているが、歌人の馬場あき子さんが、『流転の歌人柳原白蓮』の中で「歌集 流轉」について述べている。 

「昭和三年にまとめられた『流轉』はしっかりした歌集で、白蓮の抒情ゆたかな平明体が歌風として定着したもの」

 さらに、昭和三十一年出版の「歌集 地平線」に関して、白蓮の生涯について述べている。

「波瀾万丈ということばは白蓮のためにあったといっても過言ではないが、それを自ら選んだこと、そしてこの過酷な人生に自ら満足していたところに、白蓮の生涯に育まれた人間平等と愛の思想が感じられる」

  こうした馬場さんの白蓮の生涯に対する感想も、出口聖師が、白蓮の流転の生涯を応援し続け、あるいは愛おしまれたことを、理解するのに役立つのではないか。

馬場あき子さん

 なお、西南戦争で征討総督であった聖師の父・有栖川宮(ありすがわのみや)熾仁(たるひと)親王に、白蓮の父・柳原前光(さきみつ)氏が同行し(ウィキペディア)、熾仁親王の欧州巡遊の折には、駐露公使の柳原氏がウイーンまで奉送している(駐露公使・柳原前光の皇室制度論 原科 颯)。

 こうした二人の父の緊密な関係があったことも、出口聖師が白蓮を応援することに関係があったのではないかと考える。

熾仁親王がよねに与えた守り刀

〇「歌集 流轉」の歌から

 出口聖師が表紙の題字を書かれただけに、「歌集 流轉」の歌は、とてもいい。

「あきらめにやうやく生きてありし日のわれをとはれて涙さしぐむ」

「いくとせを人にふませし我(わが)魂(たま)をいとしやとばかりいまも泣かるゝ」

 白蓮は、あきらめや人にふまれた苛酷さから放たれ、人生の嬉しさを知る。

「若くして幸うすかりし昨日(さくじつ)の夢の中より放たれしわれ」

「人と生れ嬉しかりつる夕(ゆふべ)かな月おもむろに山の端(は)をいづ」

 これまでの流転の人生を月の満ち欠けのように悟り、神様を感じるまでに至っている。

「思ひきや月も流転(るてん)のかげぞかしわがこしかたに何をなげかむ」

「天よりか地よりかしらずわが心神よりか来しけふの安らひ」

大正の三大美人 柳原白蓮

(あとがき)

 かつて、白蓮に関する背景を何も知らずに、サ ロメが出て来る六十四巻上一六章「天消地消」を拝読した。単に、恋人を恋い焦がれる女性の、人(ひと)間(ま)違(ちが)いもあるドタバタ劇だと思った。

 しかし、今回、その背景を知って、実にこの場面が、白蓮がそれまでの逆境の人生から、ようやく恋人を得た最高の喜び・幸福を迎えた場面であること、しかも出口聖師が白蓮を心から応援し、その人生を肯定的にとらえておられたことを知った。

世界連邦婦人部長として各地で講演する白蓮
白蓮は東筑紫学園に関係(67巻下あとがき)

 白蓮のことを書き進めるうち、私も、三年間のうつ病や八年前に妻を亡くした自分の人生を肯定的にとらえたいと思い、亡くなった妻の写真を胸に、知事から退職辞令を受けたことをテレビのインタビューで語ったことを、ユーチューブでまとめてみた。

YouTube藤井盛 「妻の写真を胸に」

 人生の流転、人みな誰にもあることと思う。神様はいつもともにおられる。

 (令8・6・1記)

〔『愛善世界』令和8年8月号掲載〕

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