「看取り」という言葉を医師が口にしたのは、昨年十二月十日。母が四十度の熱を出し、養護老人ホームから隣接の病院に緊急入院した。
医師から「早ければ十日後」と言われて二か月が経つ。さらに「二月中旬ごろ」と言われて大部屋から個室に移り、心電図等の測定器が取付けられた。歌を歌っていた頃の元気はなくなったが、まだ別れ際には必ず「ありがとう」と母は言う。
八年前に妻を六十歳で送った。母は、四年前に送った父と同じ八十九歳で天寿を全うしそうだが、一日でも長く生きてほしい。
○妻の帰幽
「お父さん、また私を話のダシにしてから」と言われそうだが、妻は、私のお取次の二拍手が終わると同時に目を閉じ、息が三回で止まった。しかし、心臓はなお十分間動いていた。
「生きている最後の温もり妻の胸に手を当て最後のお取次をなす」 (『歌集 妻千枝』次も同)
「お取次終えなば目を閉じ息も止み妻は静かに逝きにけるかな」
私は、息が止んで妻が逝ったと詠んだ。しかし、四十七巻には、 心臓が止まって精霊が肉体から分離するとある。息が止んだ状態では、妻はまだ逝ってはいなかったことになる。

まず、人の死についてこうある。
「人の肉体は人間の家又は容器…人の肉体にして即ち精霊の活動機関にして、自己の本体たる精霊が有する所の諸々の想念と諸多の情動に相応じて、其自然界に於ける諸官能を全うし得ざるに立到つた時は、肉体上より見て之を死と呼ぶ」 (四十七巻一一章「手苦駄女」以下も同)
人の肉体は容器で、本体たる精霊が有する想念や情動に応じて肉体が動かなくなったときが死ということである。
そして、想念が呼吸に、愛の情動が心臓に通じ、生命の本体である愛の情動が通じる心臓が止まって、精霊全部が体内から出る。つまり、心臓が止まって死ということになるのである。
「精霊と呼吸及心臓の鼓動との間に内的交通…精霊の想念とは呼吸と相通じ、其愛より来る情動は心臓と通ずる」
「人間の精霊即ち本体は…心臓の鼓動全く止むを待つて、全部脱出…直に霊界に復活し得る…心臓の鼓動が全く休止する迄、精霊が其肉体より分離せない理由は、心臓…情動に相応する…情動…は愛に属し、愛は人間生命の本体」
なお、精霊の肉体分離は「瑞の御霊の大神のなし給ふ所」とある。
また、この時の精霊の感覚は、生きていたときよりも、もっと覚醒した状態にある。
「諸々の感覚は…肉体の最も覚醒せる時に少しも変りはない…五官の感覚も、四肢五体の触覚も特に精妙…肉体覚醒時の諸感覚や触覚の到底及ばざる所」
○肉体分離後のハッキリした世界
生前よりも、肉体分離後のハッキリした世界を、竜公が述べている。
「斯うハツキリと死後の生涯を続ける…触覚といひ、知覚といひ、想念といひ、情動といひ、愛の心といひ、生前よりも層一層的確になつた…実に不思議…是程ハツキリした世界」(四十七巻七章「酔の八衢」)
また、小北山の受付で、目が見えなかった文助が、霊界に行くと目が見えるようになり、再び現界に戻ると、また目が見えなくなったという話が五十二巻にある。
「私は或美はしき山へ遊びに行つて…急に目が見え出して…青々とした景色…久し振りで自分の目が見え…愉快さ…ああ又目が見えなくなつた」 (五十二巻九章「黄泉帰」以下も同)
また、現界で難病に苦しんだ者も、霊界ではそれが治り、明瞭に活動するとある。
「現界に在つて耳の遠き者…難病に苦んで…霊界に…不具者ではない…官能は益々正確に明瞭に活動」
逆に、現界で肉体が円満であっても心に欠陥があれば、霊界では反対の状況になるとある。
「円満具足せる肉体人…心に欠陥…霊肉脱離の後…聾者…痴呆者…不具者…容貌は…妖怪の如く」
特に、容貌については詳しい。
「人間の面貌は心の索引…其心性…霊界に於ては暴露さるる…現界に於ても悪の最も濃厚なる者…立派な容貌と雖も…熟視する時…妖怪的面相を認め得る…お化の様な気持ちのする人間…精霊の悪に向ふ事最も甚だしき」
面貌は心の索引で、霊界で心性が暴露され、現界でも悪に向かう者の面相は、妖怪的だとある。国民三百万人の犠牲や大本も弾圧を被った上に築かれた平和憲法を改悪し、軍備拡張をたくらむ人らの面相が、妖怪的になって行くのは可哀想だが。
○天人の面貌
その後文助は、三十歳前後の美わしい天人となり、中有界に現れる。高姫たちを救うためである。
「美はしき三十前後の天人が現はれ…『吾こそは中間天国のエンゼル文治別命』」(五十六巻九章「我執」)
数百人のエンゼルを伴う文治別命に、地獄に籍を置く高姫は「悶え苦しみ…忌み嫌」う。しかし、そばにいるシャルは「彼奴が鬼に見えたり、又綺麗な天人に見えたりして」いる。
見る側の精霊の悪の度合いで、天人の見え方が変わって来る。ときに天人に見えるシャルには、まだ救いの余地が残っている。世の中には、白いものが黒く見える人がいるが、魂が悪ばかりであっても、宣伝使は救わねばならない。
◇男は三十才、女は二十才
竜公が、第二天国の団体にいる天人たちが、みな若く、顔もよく似ているのはなぜかと、団体の長の珍彦に聞いている。
すると珍彦は、天人の内分が同じだから外分たる面貌も同じで、心も一つになると答える。
「面貌は心の鏡…愛の善に充ちた者同士…内分の同じき者…外分も相似る…心が一つ…面貌も姿も同じ」(四十七巻一八章「一心同体」以下も同)
また、天国は不老不死の想念の霊的世界で、天人の男は三十才位、女は二十才位。現界において、その年齢で心の発達が成就するからとある。
「人間の心霊は不老不死…天人…人間の向上発達したもの…人間の心は男ならば三十才、女ならば二十才位で…完全に成就」
「天国は…想念の世界…霊的…現界…老人…天国の住民…男子は三十才、女子は二十才位な面貌や肉付…天国にては不老不死…老病生死の苦は絶対にありませぬ」
◇団体の心は一つ
また、天国は、人間一人の形式で、団体の心は一体だとある。
「一団体は人間一人の形式…例へば…原稿を書く…一方の手のみが働いてゐるやうに見え…其実は脳髄も心臓肺臓…神経繊維から運動機関、足の趾の先まで緊張してゐる様なもの」
「天国では上下一致、億兆一心、大事にも小事にも当る…何事も完全無欠に成就」
「私の心は団体一同の心、団体一同の心は私の心」
さらに珍彦は、天国で神様の御神格の内流を受け、楽しい生涯を送っていると語る。これは現界での信仰のあり方も示すものだと思う。
「神様の御神格の内流を受けまして、実に楽しき生涯を、吾々天人は送らして頂いて居ります」
◇夫婦で一人
また、天国では夫婦で一人と数える。
「夫婦は愛と信との和合に依つて成立…夫の智性は妻の意思中に入り、妻の意思は夫の智性中に…入り込み…天国の結婚…夫婦同心同体…面貌の相似するは相応の道理」
「天国の婚姻…霊的婚姻…夫婦は密着不離の情態…天国に於ては夫婦は…一人として数へる…君民一致、夫婦一体、上下和合の真相は…天国で…実見」
◇団体の光景の違い
構成する天人の徳の厚薄で、団体の風景も異なっている。
「東の方…一つの小高き丘陵…沢山の家…第三天国の或一部の…愛と信とに秀でたる天人の住居する団体」(四十七巻一二章「天界行」以下も同)
「真西…一つの部落…善と真との徳稍薄く、光も少しく朧げなる天人共の住居…団体…光景が劣つて…天人等の愛善と信真の徳の厚薄」
「同気相求むる…同じ意思想念の者が愛の徳に仍つて集まる…東の団体に比ぶれば、西の方は余程劣つて」
◇天人が精霊を団体に導く
天人は自らの団体に、愛をもって精霊を導こうとするが、精霊は現世の生涯と一致する団体に会うまで転遷する。
「霊国天人及び天国の天人は愛を生命…一切を広く愛す…人の肉体を離れ…精霊の為に…懇篤なる教訓…舞曲…音楽を奏し…多く…高天原の団体へ導き…天人の最高最後の歓喜悦楽」
「精霊は…現世に在つた時の生涯と一致する精霊と共に群居するに非ざれば、どこ迄も此転遷を休止せない」
○天国の団体への加入(『霊(たま)の礎(いしずゑ)』より)
天国の団体へ加入するには、神を信じ、神を愛し、善の行為を励み、霊界物語によることと『霊の礎』にある。
また、後段にあるが、地獄落ちの似而非宣伝使にならないよう私も気をつけなければならない。
○高天原の天国に上るものは、地上にある時其身内に愛と信との天国を開設し置かなければ、死後に於て身外の天国を摂受することは不可能。〔(三)以下も同〕
○天国を自ら造り且つ開くのは、神を愛し神を信じ無限絶対と合一しておかねば成らぬ。
○死後天国の歓喜を摂受し且つ現実界の歓喜生活を送らむと思ふものは、瑞の御魂の守りを受けねばならぬ…瑞の御魂の…言霊が即ち生命の清水…霊界物語によつて…永遠の生命を保ち、死後の歓楽境を築き得る。
○人間は何処までも神を信じ神を愛し善の行為を励み、その霊魂なる本体をして完全なる発達を遂げしめ、天津神の御許へ神の大御宝として還り…努力。〔(五)〕
○宣教者が…地獄落が多…い…神仏商売…為すべき事業…働かず…神仏を松魚節…似而非宗教家…地獄行きの多いものはない。 〔(六)〕
〔一筋の涙〕
二月十日に、この文章を書いてから十日後の二月二十日、母が帰幽した。
「右目から涙が一筋流れたり途切れとぎれに息する母の」
「生まれてゆ初めて母の涙見し息が止まれる三十分前に」
「流れたる母の涙を拭いてやる吾れが最後の親孝行かも」
(令8・3・1記)〔『愛善世界』令和8年5月号掲載〕


コメント