(62)なお開祖のご苦労に報いる―大本神諭と霊界物語の一体性―

「愛善世界」誌掲載文等

○人間味ある開祖を感じる

 開祖ご昇天百年記念大本大祭の前日の平成三十年(二○一八)十一月二日、出口なお開祖のご足跡を福知山市内にたどった。今から六年前になる。(『愛善世界』誌平成三十一年一月号「開祖様のご足跡をたどる隣地研修会」以下参考)

 我々は、なお開祖のお姿を、いつも厳格にされているお写真の中でしか知らない。福知山の街中を回った時、この街中の饅頭屋や呉服店になお開祖が奉公されていたと思うと、若い娘として働いておられたお姿が、急に現実味をもって浮かんで来た。

出口なお開祖

 また、なお開祖が、ご生涯の最後にお参りをされた庵我神社を参拝した。この神社のある場所は、なお開祖が、出口家に入る前に結婚の約束をされていた林助さんの出身地である。

庵我神社 平30.11.2

 加えて、なお開祖が、林助さんは「本当の身魂の夫」だと語られたという。これらから、生涯林助さんへの思いを抱いておられた人間味あるなお開祖を感じる。

○なお開祖のご因縁

 なお開祖の産土(うぶすな)神社である一宮(いっきゅう)神社(じんじゃ)も参拝した。なお開祖はこの神社を大切にされ、「寄附者名」の碑に「出口なを」の御名が刻まれている。

一宮神社  平30.11.2
「出口なを」の御名の碑

 ところで、この一宮(いっきゅう)神社が大本神諭に出て来る。

「艮の金神の仕組(しぐみ)はチト大きな事が経綸(しぐみ)て在るぞよ…(なを)氏神(うじがみ)、福知山の一宮(いつきう)大明神でも、直の因縁御存知無くて…産土様でも御存知無い仕組」   (『大本神諭』明治三十二年旧七月二十九日)

 一宮(いっきゅう)神社の産土の神であっても、なお開祖のご因縁はわからないとある。一体、なお開祖のご因縁とは何か。

○なお開祖を亀鑑(かがみ)とする

 なお開祖のことが最初に大本神諭(愛善世界社版)に出て来るのは、明治三十年(月日不明)である。

「出口(なを)世に落とし大望(たいもう)な御用()したぞよ」  (『大本神諭』明治三十年 一集二九頁)

 大望な御用をさせるために世に落としたという。さらにこうある。

「出口(なを)と言ふ人、昔から此の世の変り目に御役に立てる身魂で在るから、苦労(ばか)りが()して在るぞよ。神威発揚時代に成れば、神の信頼(ちから)に致す取り次ぎで在るぞよ。此の直は昔からの苦労()ふものは、此の世には先づ無い苦労致した直で在るぞよ。此の世の苦労が一番軽いので在るぞよ。此の直は此の世の亀鑑かがみと致す身魂で在るぞよ。此の人を見て神の御用を(きい)て下されよ」(『大本神諭』明治三十年 一集三六頁)

 なお開祖を「神威発揚()時代()」になれば神の信頼(ちから)にするとして、この世にない「昔からの苦労」をさせて「此の世の亀鑑(かがみ)」としたなお開祖を見て御用をせよと、我々に言われている。

○稚姫君命の天則違反

 なお開祖の御霊(みたま)(わか)(ひめ)()(みの)(みこと)である。

「艮の金神国常立尊、若姫岐美尊変性男子の()(たま)が出口の神と現はれて、(なを)の肉体()りて、明治二十五年からガンジリ巻にしてをいて、辛い御用を()したぞよ」(『大本神諭』 明治四十三年旧四月十八日)

稚姫君命登天之像

 霊界物語や神霊界にも示されている。 

「大本の神諭は、国祖大国常立尊、(げん)(れい)と顕現し、稚姫君命、国武彦命等の精霊に(その)神格を(みた)し、さうして天人の団体に籍を有する予言者なる出口開祖の肉体(きた)し、大神の直々(じきじき)の御教を伝達されたもの」    (四十八巻九章「罪人橋」)

「その根元を開かれたのが変性男子の身魂である。すなはち大国常立尊と稚姫君命と、惟神真道弥広大出口国直霊主命の三神一体の厳の御魂の大活動」     (神霊界 大正九年一月十五日号)

 この稚姫君命が規則破りであり、その罪穢(めぐり)を取り御用を勤めるために、苦労をしたとある。

規則破りた稚比売岐美命御霊(みたま)慚愧(ざんぎ)を、出口直に十分(さら)さして、罪穢(めぐり)を取らして、二度目の世の立替の御用を機嫌善く勤めさして(もら)ふて、規則破りた(とが)しめを(ゆる)して貰い、因縁の深い身魂であるよつて、これ(だけ)苦労がありた」(『大本神諭』明治四十一年旧六月八日)    

慚愧(ざんぎ)=自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること〕

 その規則破りが、色慾(いろ)の道の過ちであることが道のしおりで明かにしてある。 

「稚姫君命はいたずらの罪をおかせり。すなわち色慾(いろ)の道にてあやまり。この世の乱るるはこの色慾いろの道なり。その罪のあがないのために、幾度もこの世に来たりて苦しみを受けられ、ついに心をあらためて、出口の神となりたまえる」(『道のしおり』明治三十七年十月三十日)

 さらに具体的に、その経緯が霊界物語に示されている。天則違反の稚桜姫命は幽界へと行かされた。

「国治立命は…『夫婦の戒律を破りたる(ごく)(じう)(ざい)(あく)(しん)なり。天地の規則に照し、天稚彦、稚桜姫命は、すみやかに幽界にいたり、幽庁の主宰者たるべし』と厳命された…天より高く咲く花の…地獄の釜の(こげ)(おこ)し、三千年の、忍びがたき苦しみを受けたまう」 (二巻四六章「天則違反」次も同)

 なお、出口聖師は幽界修業の折、幽庁の王と会われているが、なお開祖に会われた時、そのお顔を思い出されている。

冥界(めいかい)にきたりて大王に対面…教祖をはじめて拝顔したときに…大王の()(かほ)を思ひ出さずにはをられなかつた」 (一巻七章「幽庁の審判」)

 また、稚桜姫命の相手玉照彦は城内の露と消える。

玉照彦は…『われは厳重なる規律を破り、天則に違反し…滅びむとす』…城内の露と消えた」

○玉照彦は言霊別命

 この稚姫君命に天則違反をなさしめた玉照彦の名前。厳霊・玉照姫と並ぶ錦の宮の神柱、瑞霊・玉照彦の名前となぜ同じなのか、以前からずっと不思議に思っていた。

「錦の宮の太柱…玉照彦の神柱、瑞の魂と現はれ玉ひ、玉照姫の神柱、厳の魂と現はれ玉ひ」 (五十五巻一四章「春陽」)

 今回、インターネット上の霊界物語検索サイト『王仁DB』で検索してみた。すると仮の名ではあるが、玉照彦は言霊別命だとあったので驚いた。

玉照彦は言霊別命の仮名(かりな)なり」 (三巻三八章「四十八滝」)

 言霊別命は素盞嗚尊の分霊とか、玉照彦は伊都能売之御霊とある。そうであれば、みろくの大神であり、出口聖師へとつながる。

「素盞嗚尊は其分霊言霊別命を地中に隠し、少彦名命として神業に参加せしめ」 (二十二巻一章「玉騒動」)

玉照彦様は遠き未来に於てミロク神政成就の神業に参加遊ばす尊き伊都能売之御霊」 (十九巻一六章「玉照彦」)

「五拾弐歳を以て伊都能売御魂弥勒最勝妙如来)となり」 (入蒙記八章「聖雄と英雄」)

出口聖師

 なお、三巻の前の一巻にも玉照彦が出て来る。邪神の扱いであるが、はたしてそうか。

 「大八洲彦命は大足彦、玉照彦を両翼となし…大八洲彦命と見えしは武熊別の変身であり、大足彦以下の正神と見えしは彼が部下の邪神」(一巻四五章「玉黄玉の行衛」)

 さらに、二巻で城内の露と消えた玉照彦が三巻で現れるのはどういうことか。この解決が十巻(一五章)「言霊別」にある。今回、この原稿を検討している時、『愛善世界』誌令和元年七月号に掲載されていた。

 章題が「言霊別」だが、言霊別は文中には出て来ない。しかし、言霊別のことを言っているように思える。

「太古の神人が中古に現はれ、また現代に現はれ、未来に現はれ、若がへり若がへりして、永遠に霊即ち本守護神、即ち吾本体の生命を無限に持続する」(十巻十五章「言霊別」)

 実際、言霊別は一巻から、梅公と名を変えた七十二巻に至るまで登場している。

言霊別命の化身にして、照国別の従者と(へん)()したる梅公宣伝使」   (六十七巻「総説」)

○神諭に裏付けが

 言霊別命=玉照彦=みろく様が、稚姫君命に天則違反をさせたことに通じるものを、大本神諭に見つけた。ミロク様が、女に(へん)()た稚姫君命に苦労をさせたとある。

「此の方の御魂は、ミロク様が苦労致す身魂に、こしらへて御居(おゐ)でました、(ほか)には無い御魂で在るから、此の方の半分の御魂を女に(へん)()て、変性男子の御魂に致して、是程これほど長い艱難(かんなん)を今に(させ)、今度の大望な御用に使うたぞよ」(『大本神諭』大正五年旧三月二十八日)

 また、善のままでは経綸(しぐみ)を邪魔をされるから、あえて天則違反をさせて(とが)(にん)にしたとある。

「天と地との先祖が初発(しよぱつ)から善一つで続かしたら邪魔を致すのが世の根起(もと)から()く判りて()るから、我が子には天の規則を破らして天の咎人(とがにん)()をいて、(なに)()調(てう)(はう)の無い地の先祖を世に落して、時節の経綸(しぐみ)()せて()いでなされたのじや。」(『大本神諭』大正五年旧六月十日)

○大望な御用とは

 ところで、あえて天則違反をさせての大望な御用とは、一体何だろうか。かつて「出口なお開祖と初稚姫」(『愛善世界』誌令和二年十月号)の中で書いた。

人間なるものは自然界をして霊界に和合せしむる方便即ち和合の媒介者なること」(四十七巻二一章「跋文」その二)

 人間は、自然界と霊界を和合する媒介者として、高天原の根底や基礎となるべきものであるが、

(かく)の如き尊き人間が、其内分を神に背けて、高天原との連絡を断絶し、却て之を自然界と自己とに向けて、自己を愛し、世間を愛し、其外分のみに向ひたるにより、従つて人間は其身を退けて再び高天原の根底となり、基礎となるを得ざらしめたるによつて」 (四十八巻一〇章「天国の富」)

 そうならないので、なお開祖にその和合の大望な御用をさせたというのである。

「大神は是非なく、(ここ)予言者なる媒介天人を設けて之を地上に下し、其神人をもつて天界の根底及び基礎となし、又之によつて天界と人間とを和合せしめ、地上をして天国同様の国土となさしめ給ふべく、(じん)(しん)なる(けい)(りん)を行はせたまうたのである。この御経綸が完成した(あかつき)を称して、松の代、ミロクの世、又は天国の世と云ふのである」(四十八巻一〇章「天国の富」)

○御教えを腹に納める

 なお開祖ご昇天後、国祖の大神が出口聖師に懸かられて出されたのが伊都能売神諭である。その中に大本の役員を注意したものがある。なお開祖を鏡とせず、世間並みのやり方に逆戻りをしているとある。

 当時の役員を指しているのであろうが、我々信徒・宣伝使は、世間並みの見方や世間体を気にするのみではなく、大神の御教えを、まずしっかり腹に納めることが、我々人間のためにご苦労をされたなお開祖に報いる第一歩だと思う。

出口直を鏡に出して世の立直しの()り方が致して見せて在りたなれど…誰も楽な方へ行き易いもので在るから、今の大本の中の役員()り方は、薩張(さつぱ)精神が緩みて(しも)ふた、世間並の()り方に(さか)(もど)致して()るぞよ」 (『伊都能売神諭』大正八年新一月一日) 

(令6・9・30記)

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