⑦軍備に関するお示しについて

「愛善世界」誌掲載文等

一 はじめに

 戦後七十年の今年、現在、国会で安全保障関連法が審議されているが、そこでは、日本の軍備のあり方について、中国との軍事的バランスや憲法解釈の中でのみ議論されているように感じる。

 では、一体、大本の教えでは軍備についてどう示されているのか、大本の神様を信仰する者の立場から考えるべきではないかと思い、霊界物語などから関係箇所を抜粋し、私なりの考えをまとめてみた。

 ところで、大本七十年史の編纂に当たられた安丸良夫氏が、
 「日本近代史上における大本教団の位置と意味は、複雑な対抗関係のなかにおかれたきわめて多義的なものなのだから、それをうまく整理して一貫した歴史叙述を実現することは、とても難しい課題」(※1)
と言われている。戦前の昭和神聖会の活動などの理解しづらさからだろうが、このあたりも含めて取り組んでみた。

※1 宗教文化は誰のものか ー『大本七十年史』編纂事業をめぐってー永岡 崇
《抜粋》〔『日本研究』No.47(2013)〕

二 軍備に関するお示しの分類

 霊界物語などからお示しを抜粋し、これらを並べてみると三つに分類できる。すなわち、(一)武備を撤廃した平和的なもの、(二)武備を保持しつつ平和的なもの、そして(三)武備的なものである。

(一)武備を撤廃した平和的なもの

 ① 「有形的障害たる戦備などを取り除き、世界平和を来たらす」ことが、軍備に関する基本的な考え方と思われる。

第六十四巻上 第五章 「至聖団」
 先づ第一に神の子神の生宮たる吾々は、世界にあらゆる有形無形この二つの大なる障壁を取り除かねばなりませぬ。有形的障害の最大なるものは対外的戦備《警察的武備は別》と国家的領土の閉鎖とであります。又無形の障壁の最大なるものとは、即ち国民及び人種間の敵愾心だと思ひます。又宗教団と宗教団との間の敵愾心だと思ひます。

 ②「武装的平和は地獄の行方(やりかた)」とあることから、軍事的抑止力を強めようという今回の法案は、地獄のやり方ということになる。

第四十七巻  第一章 「アーク灯」
 他人の国土を占領したり、或は大資本家が小資本家を押倒したり、大地主が小地主を併呑したり、沢山の軍人を抱へて、武装的平和を高唱したりしてゐるのは、皆地獄の行方だ。

 ③「軍備ほどつまらぬものはなし」とか、「大砲小銃造り(しのぎ)を削る浅ましさ」、「言向け和はせ」、「剣も太刀も用なき御代」、「兵戈(へいくわ)用なく」、「日本の軍備がなくなったのは世界平和の先駆者」などは、軍備を完全否定している。

道の栞〔明治三十七年〕
・軍備なり戦いは、みな地主と資本主とのためにこそあるべけれ。
・世の中に戦争くらい悪しきものはなく、軍備くらいつまらぬものはなし。

第六巻 第五〇章  「大戸惑」
 世人害なふ剣太刀 大砲小銃や(やじり)まで  
 造り足らはし遠近に (しのぎ)を削る浅ましさ

第十二巻 第二九章 「子生の誓」
 ここで一つよく考へなければならぬ事は天照大御神のお言葉に、『言向け和はせ』と書いてありますが、言葉を以て世界を治めよといふことになります。

第六十一巻 第一六四
 三 劔も太刀も大砲(おほづつ)も  (いくさ)(ふね)武夫(もののふ)
 用なき御代にかへしまし

第六十七巻 第五章 「浪の皷」
神仏無量寿経
 天下和順し、日月清明、五風十雨、時に順ひ、十愁八歎なく、国土豊かにして、民衆安穏なり。兵戈用なく、善徳を崇び、仁恵を興し、努めて礼譲を修む。

吉岡発言 朝日新聞〔昭和二十年十二月三十日〕
 いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者としての尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。

(二)武備を保持しつつ平和的なもの

 ①「武術は摂受のため」で、「折伏のためではない」としている。

第十二巻 第二二章 「一嶋攻撃」
 深雪姫様は、尚武勇健なる女神に在す故にまさかの時の用意に武を練つて居らるるのであらうよ。武術は決して折伏のためではない、摂受のためだ。悪魔を払ひ万民を救ふ真心から出でさせられた御神策に違ひないワ

 ②「剣は鞘」に納めたまま、「剣の威徳」により怯ぢ怖れしめて帰順させるとしている。

第十二巻 第二三章 「短兵急」
 天下の神人が心に潜む曲津軍を、剣の威徳に依つて怯ぢ怖れしめ帰順せしむるの神器なれば、弓は袋に、剣は鞘に納まり返つて、総ての敵に臨むべく部下の将卒にも此旨厳しく伝へられよ

(三)武備的なもの

 ①「東洋の主となる」とか、「戦争を以て戦争の惨害を悟らしむる」、「曲神の襲来に備へ武器を作る」、「心の曇った曲神には宣伝歌は透徹せず、金剛杖で突進する」など、武力を認めている。

道の栞〔明治三十七年〕
・悪魔を亡ぼして、支那、朝鮮を従へ、東洋の主となるは日の本の将に行なうべき務めにして、天津神の大御心なり。

第八巻 第三九章 「言霊解一」
 軍国主義の親玉の異図を破滅せしむる為に、大戦争を以て戦争の惨害を悟らしむる神策であります。

第十一巻 第二四章 「顕国宮」
 神須佐之男大神は十握の剣を数多作り供へて、曲神の襲来に備へむため天之目一箇神をアルプス山に遣はし、鋼鉄を掘らしめ数多の武器を作る事を命じ給へり。

第四十巻 第七章  「文珠」
 されど心の曇り切つたる曲神には、宣伝歌の力も充分に透徹せず、敵は命限りに攻め来る。(略) 金剛杖を上下左右に唸りを立てて振り廻しながら、敵に向つて突撃し

 ② 第二次弾圧直前に出版された「惟神の道」には、「大理想は道義的統一で武力的統一ではないが、非常時には武器による国防が必要」とある。

皇道大本の信仰〔昭和九年五月〕 
「日本の建国の大精神、大理想はどこまでも道義的統一であって、武力的統一でない」が、「神国が完全に樹立されるまでは、国を守る上において武器が必要」で「武器を完全に備えることは国防の第一義」。「非常時日本のために」「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジて起たなければなら」ず「これまでの宗教がともすると、現代の国家を無視したり軽視したりするのは大なる欠陥」

三 皇道大本

(一)「皇道」という言葉が、「万世一系」「皇統」「皇上陛下」などとともに、大日本修斎会会則(明治四一年)や皇道大本信条(大正八年)、皇道大本信条(昭和八年)、昭和神聖会声明等(昭和九年)、天祥地瑞(昭和八年)に用いられている。

(二)これらの会則や信条では、天皇を讃えるのと併せて大本本来の教えが示されてある。その教えは、後になるものほど詳しくなっており、昭和神聖会の綱領の最後には「人類愛善」が掲げられている。

(三)弾圧直前に出された天祥地瑞では、天皇を一層讃えるとともに、「非常時」が特に強調されている。

皇道大本信条(昭和八年)
第一条 我等は天之御中主大神が、一霊四魂、三元八力の大元霊にして (略)
第二条 我等は天照皇大神が、全一大祖神の極徳を顕現せられ (略)
第三条 我等は皇孫命(すめみまのみこと)が天照皇大神の御神勅に拠り (略)
第四条 我等は我皇上陛下が万世一系の皇統を継承せられ、惟神に主、師、親の三徳を具へて、世界を知ろし召さるる至尊現人神(略)
第五条 我等は丹波国綾部本宮が金甌無欠の皇道を世界に宣揚 (略)
第六条 我等は国祖大国常立尊が、天照皇大神の神旨を奉戴して、世の立替  (略)
第七条 我等は豊雲野尊が国祖の大神業を継承し、至仁至愛の全徳を発揮し (略)
第八条 我等は国祖大国常立尊が稚姫君命の精霊に御神格を充たし、皇道大本開祖を(略)
第九条 我等は豊雲野尊が神素盞嗚尊の精霊に御神格を充たし、真如聖師を御霊代 (略)
第十条 我等は皇道大本神諭の垂示に依り、敬神、尊皇、報国の実行を期する (略)
第十一条 我等は各自の肉体が、神の容器にして、天地経綸の衝に当るべき (略)
第十二条 我等は天地の祖神を奉斎し、感謝祈願の誠を尽して(略)生きては地上の真人(略)
第十三条 我等は各地の産土神と各家の祖霊及び各人に賦与せられたる守護神 (略)

天祥地瑞 第七十七巻 序 文
 斯かる事態にある皇国日本の真精神と、天壌無窮の皇室の尊厳とを普く国民に示現し、以て非常時に直面せる同胞に対し迷夢を醒まさしめむがために、茲に『天祥地瑞』の神書を著はしたる次第である。

四 型の大本

(一)大本にあったことが日本にあるという「型の大本」を証明するものとして、第二次大本事件と太平洋戦争の期間の一致がよく言われる。  
 これを言い換えると、つまり、戦争が「型の大本」を証明しているというか、もし戦争がなければ「型の大本」は証明されなかったことになる。

(二)しかも、大本の型が写っている戦争期間の終期であるサンフランシスコ平和条約の調印及び発効の日が、出口王仁三郎聖師ご昇天後であることから、聖師ご昇天後も大神様のご経綸は、厳然として続いているということになる。

(三)また、大本と満州との関係が非常に強いことがわかる。
 大正十三年に聖師が入蒙の折詠まれた「よしやみは蒙古のあらのに朽るともやまと男の子の品は落とさじ」の歌碑が、大本教旨などとともに、昭和六年九月十八日、満州事変勃発の一週間前の九月八日に本宮山に建立されている。
 加えて、昭和七年四月十五日、聖師の命を受けた大石芳枝女史が、満州国の溥儀執政夫人に人類愛善会への入会をお願いされている。
 満州事変からやがて日本は戦争に突入していくが、このように大本と満州及び戦争との関係は非常に強い。            

大本関係年表(※2)
大本関係年表説明図(※3)

五 大本の理解のしづらさ

 大本七十年史編纂に当たられた方々の大本に対する見方に触れた論文(前掲※1)についての感想である。                    

 (一)大本では、「天皇崇拝」と「異質の神話に立つ変革の主張」が行われたと村上重良氏が言われているが、これは、皇道大本信条において、天皇の礼讃と大本本来の教義が並んでいることに符合する。

 村上重良 「大本教の基底にある民衆的性格は、教義として天皇崇拝を強調しながらも、天皇制とその神話にたいする、異質の神話に立つ変革の主張として、支配階級のはげしい憎悪の対象となった」 (一三八頁)

 (二)「聖師さまは満州事変はいいと言われている」との鈴木良氏の発言に対し、「その点は或程度の屈曲とみている。しかし(戦争の絶対否定の)根本精神は一貫している」と栄二先生が答えられているが、満州をどう考えるか、やはり難しい。
 また、上田正昭氏が「大本教というのは完全右翼ですよ」と言われているのには驚く。

出口栄二 大本は一貫して戦争は絶対否定されている。 

前島不二雄 そんなことはない。聖師さんは肯定されている。

鈴木 良 満州事変はいいといわれている。

出口栄二 その点は或程度の屈曲とみておる。しかし根本精神は一貫している。     (一四八頁)

 昭和神聖会は、右翼団体と連携しながら海軍軍縮条約廃止運動や天皇機関説排撃運動などを行い、安丸良夫によるならむしろ「政府の運動を先どりしている」ものであった。上田はつぎのようにいう。

 神聖会運動が非常に立派なものであったとは思っていない。つまり神聖会運動は現象的運動としてこの時点で意義があるのだけれども、また大本教義とフアッシズムとは相違点・対立点を持っているというけれども、それも共通の側面もあるという事はふまえた上でないとね。

      (中略)

 しかし大本の思想が最後の立証段階で問題になるということはやはりそれをめぐってしまったら全然あかんわけです。大本教というのは完全右翼ですよ。               (一五五頁)

六 対外的戦備の撤廃

 (一)今回このように整理してみて、一番強く感じたのは、大本は戦争との関わりが非常に強いということである。戦争を抜きには語れない「大本」というものの「重さ」を強く認識した。

 (二)さて、軍備について、不要、必要、さらに必要だが使わないという、すべてのパターンがお示しにあるわけだが、これらを整理するのに思い当たるものがある。それは、物語第十一、十二、十五巻にかけて示された素盞嗚尊と天照大御神との「誓約(うけひ)」及び「天の岩戸の変」である。

 (三)自分の国を盗るのではないかという素盞嗚尊への天照大御神の嫌疑を、「誓約(うけひ)」により、互いが厳の御霊、瑞の御霊であるという形で晴らすこととなるが、そのなかで起きた「天の岩戸の変」での騒動の罪を、素盞嗚尊が負われることとなる。
 この間の具体的な動きが物語に示してあるが、領土拡大を図ろうとされる天照大御神(第十二巻第二五章「琴平丸」)や天照大御神の五男神による素盞嗚尊の三女神への攻撃(第十二巻第二三章「短兵急」、第二四章「言霊の徳)、また、曲神襲来に備えた素盞嗚尊の武器製造への着手(第十一巻第二四章「顕国宮」)など、軍事的な事柄を多く含んでいる。

 (四)そうして、こうした経緯から導き出されたことが、第十二巻第三十章「天の岩戸」に示されてある。一つは、みろくの世に天の岩戸を開くのは「七十五声の言霊」だということ、また一つは、素盞嗚尊が救世主として罪人の犠牲となる「贖罪者」となることである。これらの救世の基本的なあり方やその方法である。
 つまり、軍事的要素は、救世の経綸のプロセスとして御霊を証しするなかで、一時的には必要とされるものの、最終的には救世の経綸は「言霊」や素盞嗚尊の「贖罪」によりなされていくということである。 

(五)この「言霊」による救世の経綸が、「劔も太刀も大砲(おほづつ)も用なき御代」(第六十一巻第一六四)〔前掲2㌻上段〕おける「警察的武備は別」とわざわざ明記された「対外的戦備」の撤廃(第六十四巻上第五章「至聖団」)によりなされていくのである。

(六)さて、聖師は、

 わが(たま)は神素盞嗚の生御魂(いくみたま)
   瑞の神格に充されてあり (※4)

と、ご自身が「贖罪者」である神素盞嗚尊であることを詠まれている。
 そうしたなか、みろくの大神さまが、あえて太平洋戦争へと突入する時期を選ばれたかのように昭和三年三月三日に下生されるのである。つまり、みろくの大神様が、神素盞嗚尊つまり出口王仁三郎聖師として「みろく下生」されるのである。

 (七)そうして、昭和十六年の太平洋戦争の型として大本は昭和十年に第二次弾圧を受けるが、聖師が神素盞嗚尊の「贖罪者」としてのお役を果たされたとすれば、大本の型が写った先である戦争の罪を、聖師が弾圧という形で受けられたと見ることができる。
 言い換えれば、日本は敗戦で武装解除となるのであるから、日本の型たる大本が弾圧されることによって日本が武装解除されたということになる。つまり、大本の弾圧の「犠牲」によって日本の軍備撤廃がなされたと見ることができる。
 ちなみに、大本が弾圧されたから日本が負けた(※5)との聖師の言は、これらに通じるものがある。
 また、聖師自らが事件を誘い込まれていた(※6)と考えると、自らが「犠牲」となる「贖罪者」たる救世主のお役を果たそうとされる神素盞嗚尊のお働きがより明瞭になってくる。

 (八)戦争で多くの人々が「犠牲」となったが、一方こうした大本の「犠牲」の上に「言霊」によるみろくの世が開かれていくのだとすると、聖師の吉岡発言における軍備撤廃論が一層説得力を増してくる。

 「いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれてゐる。本當の世界平和は全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある」(朝日新聞 昭和二十年十二月三十日)

※4 第四十一巻第一六章「三番叟」余白歌

※5 大国美都雄著「真偽二道」戦時下から終戦へ
  「馬鹿なことじゃ。ワシを押し込めて戦争しても勝てるものではない。…第一、天地の主神を祀っている大本を叩きつぶし、ワシ等を獄屋に入れておいてどうして勝てるものか」

※6 大国美都雄著「最後の神劇」(二) 「愛善世界」誌平成二十七年二月号   
 「来るものは来るでしょう。聖師さまは、来るように、来るように仕向けていられる傾向がある。いくらブレーキをかけても意表に出て誘発するような態度をとられる。困ったことです」 

七 あとがき

 私は大学生のとき、綾部での節分大祭での祭官奉仕の帰路に、吉岡発言のあった鳥取県の吉岡温泉に立ち寄り、「ああここに聖師さまが入られたのだな」と思いつつ岩風呂に(つか)った覚えがある。

 聖師は、昭和二十年十二月八日の事件解決報告祭の直後の十二月十日から翌二十一年一月六日までの一月近くを吉岡温泉で静養されている。多い日は湯に四回も入られ、また、ぬるい湯を好まれたとのことである。聖師はさぞ、六年八月にわたる獄中生活のお疲れを癒やされたに違いない。

 十二月二十八日、聖師は朝日新聞鳥取支局の織田正三記者と長時間座談されている。約七十行の記事以外の多くの具体的内容があったはずだという。聖師はまた「本当の火の雨はこれから降る」とも語られている。織田記者は聖師を「人格的に立派な人、人をひきつけ、人を動かす人」と後日、よく話していたとのことである。(※7参考)

 さて、満州問題や皇道などはよく理解できないままであるが、今回、軍備不要論を、厳瑞二霊の誓約(うけひ)や型の大本、救世の経綸などを用いて、私は信仰者の観点から組み立ててみた。

 こうした仮説は、一般社会からは受け入れられがたいものかもしれない。また、現在もなお「非常時」で、軍備が必要とされる時代だと思えるかもしれない。さらに「剣の威徳で怯ぢ怖れしむ」ともある。

 しかし、昭和二十年八月十五日に日本の軍国主義が崩壊したからこそ、その年の十二月二十八日になってようやく、「対外的軍備を取り除く」(第六十四巻上第五章「至聖団」)という聖師本来の教えを、吉岡温泉で外部に対してお伝えになられたのだと思う。そしてまた何より我々には「対外的軍備を取り除く」「神の子神の生宮」としてのお役目がある。

※7〈聖師・吉岡発言〉秘話 碑にからむ明暗のドラマ 岡崎弘明 「おほもと」誌昭和五十年十一月号

                 (27・8・26記)
〔『大本教学第11号』(平成27年12月8日発行)掲載〕

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