真剣な祝詞奏上(レポート8)

勉強会レポート

 「呑めよ騒げよ一寸先は(やみ)よ (やみ)の後には月が出る」。国祖大御神御隠退の混乱のなか、大蛇(おろち)の悪霊と金狐の邪霊に憑依され驕慢甚だしいウラル彦が謡うこの歌に、皆が踊り狂う(第5巻第19章「旭日出暗」)。これに、新型コロナウイルスの新規感染者が過去最多を日々更新するなか、五輪のメダル獲得に沸いた日本の様子が重なって見える。そうすると、感染拡大と五輪について「人流は減少している。心配はない」と断言した(7月27日)菅首相がウラル彦に重なってしまう。

 ウラル彦は悪霊に憑依されているが、第五十巻から出てくる妖幻坊は、八岐大蛇の片腕で肉体を有する兇霊そのもので、獅子虎両性の妖怪である(第六章「玉茸」)。また、現実に、兇徒界の妖霊が、出口聖師御昇天の後、「聖地へ浸入」(錦の土産 大正癸亥旧十月十三日)するとある。

 七月二十六日、第五十二巻の第五章から第七章までを勉強した。第五章「森の怪」には、この妖幻坊の眷属たちが出て来る。大蜈蚣を使って悪行を働こうとしたが、日の出神によって妨げられている。

 今回特に考えさせられたのは祝詞奏上についてである。第七章「玉返志」で、お菊が鯛の骨を喉に立てた娘のために、天津祝詞を奏上して祈願をしている。それが、「熱湯(ねっとう)の汗を流して一生懸命の祈願」である。その(こう)は顕れないが、お菊は「モウ此上お祈りをしようものなら、息が切れる所でしたワ」と言っている。御祈願はかくも真剣に行うものとは驚きである。

 そして、お菊に代わったお千代が、娘の背中を「天の数歌を歌うてポンポンと二つ叩いた拍子に」水晶玉が飛び出す。実はこの娘は狸で、喉にあったのは鯛の骨ではなく、イクから奪った水晶玉であった。

 第四十四巻にも、祝詞奏上で汗をかくという治国別の言葉がある。「天津祝詞を一回奏上しても、身体中が厳寒の日でもビシヨぬれになるのだ。(しか)(なが)ら、若い時の千遍よりも今の一遍の方が効能があるのだから、不思議だよ」(第八章「熱と光」)。そして治国別が言霊の神力を顕す。天津祝詞を奏上し、「面影も見分けかねたる(やみ)の森を晴らさせ玉へ天地の神」と歌うと(やみ)が明けて行く。出口聖師も蒙古で「天に向かって『ウー』と大喝」されると暴風雨が止んでいる(入蒙記第二五章「風雨叱咤」)。

 治国別は「(ことば)は万物の根源だ。造物主だよ」と言い宣伝歌を歌う(第八章「熱と光」)。大本宣伝歌集の「二六 光と熱」に挙げてある。

 天地の太初(はじめ)(ことば)あり (ことば)は神と共にあり

  (ことば)は即ち神なるぞ 万物これにて造らるる

 …(ことば)といふは聖言ぞ 聖言即ち神真ぞ

 この神真は主の神に 存し玉へば主神より

 現はれ(きた)る光なり 光は主神の神真ぞ

 高天原にて一切の 力を(たも)つは神真ぞ

         (令3・8・9)
〔『愛善世界』令和3年10月号掲載〕

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