恨みを呑んだ挨拶(レポート20)

勉強会レポート

 八月二十九日の勉強会は、五十三巻一六章「暗示」から一八章「八当狸」まで。解放されたビクトリア王が、バラモン二将軍を酒宴でもてなす折の複雑な心情が描写されている。

 「泥棒に家を焼かれ、家族を殺された上、自分の命を助けて貰うたのを感謝するやうな…恨を呑んで挨拶をしてゐる」(16章「暗示」)

 この挨拶から、昭和二十年十二月八日、綾部で執行された大本事件解決報告祭の出口伊佐男氏の挨拶を思い出した。『愛善苑創刊号』(4頁)にある。

 「綾部、亀岡の神苑は跡形もなく破壊」されたが、「亀岡警察署長さんの御斡旋…綾部警察署長さん等の御尽力…御理解と絶大なる御好意により神苑の地も無条件返還して頂いた」とか、「私どもの不注意の為に事件の起きましたことを神様にお詫びしたい」など。六年八月間の投獄や十六名の獄中死等、治安維持法無罪で証明された当局の不当弾圧も、まるでなかったかのような(へつら)い感のある言葉の数々である。

 「当局を恨む気持は毛頭無い」と言いつつ、出口伊佐男氏の挨拶も、まさにビクトリア王と同様「恨みを呑んだ」ものであったろう。

 しかし、挨拶に見える当局の再弾圧に対する怯え・警戒感が、聖師伝(昭28・4)から、当局が弾圧の口実とした出口聖師の昭和三年三月三日のみろく下生の事実を抹消し、出口聖師を救世主とは言わず、単に瑞霊と記した「大本教法」を制定し(昭27・4)、また「愛善苑立ち上がりから聖師を救世主と言わない約束」(昭29・11土井靖都)という出口聖師の御神格隠しの反映として、三代さまを伊都能売御霊に祀り上げる(昭29・10全国主会長会議)ような信仰の変容をもたらし、元京都府特高課長の反大本原稿を掲載(昭和29)させた『現代人』の編集者宇佐美龍堂を大本総長に迎え(昭57・2)、「聖師様の御偉業は幻」(昭59開祖大祭)と弾圧側の勝利宣言を言わしめ、出口榮二先生の全役職をはく奪し(昭56・9)、そして、出口直美さまを教嗣から外す(昭57・5)という大本第三次事件を招いたものと考える。

 なお、伊佐男氏に挨拶をさせたのは二代さまで、出口聖師は終始無言であったことが、同号に記してある(25頁)。大本第三次事件が起きることを見越した上で、伊佐男氏への全幅の信頼が出口聖師の無言にあったことを信じたい。 

 出口伊佐男氏が、挨拶の中で「天の試練、神様の試練として、どうしても経なければならなかった道」と言った大本事件は、今も続いている。

 五巻(26章「艮坤の二霊」)に、勉強会でも出た「地獄の釜の蓋」を野立彦命が開いて、地球の中軸なる大火球・根底の国に落ちて種々の艱難辛苦をなめた正しき神々を地上に救い、神々が、多年の労苦に洗練されて天授の真霊魂に立替わり、美わしき神人と生まれて神業に参加する話がある。我々もこうした神人となり、事件解決のため活動してまいりたい。    

         (令4・8・31)
〔『愛善世界』令和4年10月号掲載〕

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