①霊界物語と私

「愛善世界」誌掲載文等

 私は自分の声で録音した霊界物語を、病気で苦しい時に、布団の中で聴きました。

 私は、かつて自分が録音した霊界物語を、癌末期の叔父に聞かせました。亡くなりはしましたが、信仰が霊界物語中心へと変わり、性格もずいぶん明るくなりました。

 また、録音のコピーをHさんにも差し上げましたが、その一部をIさんの入院中の奥さんが聴かれて、喜ばれたとの話も聞きました。同じく録音のコピーを差し上げたNさんは、毎日これを聴き、生活のリズムをとっているとのことでした。

 人には録音コピーを差し上げるものの、私自身、最近あまり聴いていませんでした。しかし、苦しんでいる或る時、すがる思いで聴きました。ところが、そのとき聴いた箇所は、人々が生き埋めになる場面でした。

 病気が上向き、その箇所を調べると、第三十四巻にありました。お愛など生き埋めとなった人々が、八人の童子によって救われるところでした。

 しかし、私は病気で苦しんでいた時、その救いの箇所まで聴くに至るどころか、生き埋めへの恐怖感さえ抱きました。〞癒されるどころか、ますます苦しくなる。こんなに恐ろしいのなら、もう聴きたくない″とまで思いました。

 またその後、この話をTさんに話したところ、あなたがそういう生き埋めの状態に置かれていたのだろうと言われました。
 そういう箇所を偶然に聴いたのかも知れませんが、物語により、苦しみがより増幅されたかのように感じました。しかし霊界物語には、最終的に、その苦しさから必ず救われることが示されてありました。苦しみがあって、初めて神様の救いの有難さを知るということでしょうか。私自身、今は病気がかなり良くなり、元気を回復しつつあります。神様にとても感謝しています。

 今回のことで、霊界物語に示された苦しみと救いが、私にとってリアルで現実味のあるものになりました。

『霊界物語』第三十四巻第一八章「三人塚」

  ―生き埋めの場面―

三公『云はして置けばどこ迄も図に乗る(あく)(たれ)()!』

と云ひながら、拳骨を固めて滅多矢鱈(やたら)に打ち据ゑる。お愛は打たれたまま痛いとも(かゆ)いとも云はず黙言(だま)つて縡切(ことぎ)れて仕舞つた。

与三『もし親分、とうとう(くたば)つて仕舞ひましたよ。惜しい事をしたものですな』

三公『何惜しくても仕方がない。他人の花と眺めるよりも、三公嵐が吹いて無残に散らした方が、未練が残らなくていいわ。オイ愚図々々して居ると何が飛び出すか知れやしないぞ。(ついで)に今来た奴も(かね)(こう)も、息の根を止めて穴でも掘つて()けて仕舞へ』

 与三公はお愛の体を撫でて見て、
与三『ヤアまだ(ぬくみ)がある。何と()い肌だな。まるで()きたての餅のやうだ。虎公が惚れやがつたのも無理はない。親分一寸(ちょっと)来て見なさい。此世の名残にお愛の肌を一つ撫でて見たらどうですか。余り悪い気持もしませぬぞ』

三公『馬鹿云ふな早く兼と旅の奴とを()けて仕舞へ。オイ皆の乾児(こぶん)共此処に穴を掘れ』

と下知する。勘州を始め数多の乾児共は、携へて来た色々の得物をもつて土を掘り三人の縛つた体を穴の中へ放り込み、上から土をきせ、寄つて(たか)つて足でどんどんと地固めをし、其上に沢山の石を拾つて来て積み重ねて仕舞つた。

三公『アハヽヽヽとうとう三人とも果敢(はか)ない事になつて仕舞つた。オイ皆の奴、水でも手向(たむ)けてやれ。水が無ければ貴様の燗徳利から小便でも出して手向けるのだな。アハヽヽヽ』
と豪傑笑ひをして見せる。数多の乾児は各自に裾を引きまくり、寄つて(たか)つて小便を垂れかける。

―救われる場面―

‥‥黒姫は泣き叫ぶお梅を労はり乍ら、(あわただ)しく塚の前に(はせ)寄り、背中よりお梅を(おろ)し、一生懸命の金剛力を出して、口に神号を称へ乍ら巨大な石に手をかけ、押せども突けどもビクとも動かぬのに落胆し、涙をタラタラと流し乍ら、一生懸命に天津祝詞を奏上し初めた。

 此時丸木橋の(たもと)に現はれた三尺ばかりの八人の童子、何処ともなく出で来り、巨大なる石を(まり)を投げる様に軽さうにポイポイと取り除け、四五間先へ投げつけて了つた。さうして又もや白煙となつて童子の姿は見えなくなつた。黒姫は感謝の涙に(むせ)びつつ一生懸命に土を掻き分け汗みどろになつて掘りだした。見れば三人の男女が一緒に枕を並べて埋められて居る。黒姫は心の(うち)にて神助を祈り乍ら、三人の身体を掘り上げ青草の上に寝かせ、手早く(いましめ)の繩を一々解き、天の数歌を歌ひ上げ、三人の蘇生を祈つた。

 お梅は其の間に黒姫の水筒を取り谷水を汲み来り、三人の口に含ませた。お愛は『ウン』と一声叫ぶと共にムツクリと起き上り、お梅の姿を見て嬉し気に、
『ア、お前は妹のお梅であつたか。ようまあ無事で居て下さつた』
と飛びつく様にする。お梅は嬉しげに、
『姉さま、嬉しいわ、三五教のをばさまが助けて下さつたのですよ。お礼を申しなさい』

〔『愛善世界』平成25年4月号掲載〕

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