②第三次大本事件と私

「愛善世界」誌掲載文等

◆はじめに

 私は、昭和五十一年三月の出口京太郎氏総長就任の挨拶を、万祥殿で聞き、後に、京太郎氏が昭和五十五年五月五日に王仁三郎を襲名するという話も聞いた。聖師様の「ご神格」をご理解できなかったのだろうか。

 昭和五十七年五月の教主継承者変更反対の全国信徒大会に参加した。

 同年六月、当時、大本山口本苑の青年部長であった私は、全国青年部長会議において、本部側の信仰を青年に押しつけようとする当時の本部青年部長M氏を非難・揶揄した文書を、信徒大会での教主継承者変更反対の決議書を表紙として、M氏の面前で配布した。

 当然、直ぐに回収を命ぜられたが、その後、全国に発送した。これが、私の第三次大本事件とのかかわりの初めであった。     

◆四代教主継承者変更

 教主継承者変更の経緯が、信徒連合会平成十七年六月発行の資料「なぜ栄二先生は提訴されたか」にまとめられている。

 当初、四代直美様の教主継承の変更はしないと言われていた三代様が、昭和五十七年五月二十六日、聖地を離れた大阪での総代会で、唐突に教主継承者変更の決定をされた。

 その総代会の様子が、昭和五十七年六月の本部愛善苑誌に掲載されているが、当時の総長宇佐美龍堂氏が、三代様にマイクを突きつけた写真は極めて異様である。

 その後、教主継承者の変更はしないと再び発言されるなど、三代様のご発言には相当の揺れがみられる。

 「三代の長女直美の生れしより大本四代の基礎固まれり」との聖師様のご意志に背いて教主継承者を変更した本部執行部は、その根拠を「地上に二人といまさない高い神格に満たされた三代様のご指示は、神様のご指示によるもの」と同愛善苑誌に掲載した。

 「高い神格」という文言を用いて、教主継承者変更の責任を三代様お一人に負わせたが、聖師様のご意志に背くということは、三代様の「ご神格」が聖師様のそれにまさっていることになってしまう。

 M氏もまた、青年部長会議において、三代様を「いずのめのみたま」とか「現界的主神」と説明した。

 しかしその後、「代々の教主様が最高責任者」、「代々の教主様に現界的絶対を持たしていただく」と言い換え、「高い神格」を代々教主様まで拡大した。

  霊界物語で「主神」という文言は、「真に」「依信すべき根本の大神は幽の幽に坐します」「宇宙の主神」(第六十三巻第四章「山上訓」)と使われている。

◆焚(ふん)書妨害

 更にM氏は、聖師様が、ご自身の著書が焼かれたことに対して、次のように語られたとして、「代々の教主様が最高責任者」であることの裏付けとした。

 「焼かれたことに立腹したが、開祖様時代、法身みろく神業の中の絶対権力者は開祖様で、いくら素晴らしいことを言ってもだめだ。神様がそういう人を使われて燃やされた。今は反省している」

 木庭次守氏編の『新月の(かげ)』(下巻―八幡書店 一三三頁)に、次のような記載がある。 

『開祖の時代に王仁が書いたのが神様のお気ざわりになって焼かれた。王仁の時代は〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇だ。信仰の対象となるものを書いたのが気ざわりになったのだ。開祖時代は開祖を中心とし、王仁の時代は王仁を中心とし、二代の時代は二代を中心とするのが主一無適の信仰である』(昭和十九年正月)

  また、「米川清吉さんの奥さんが、聖師様に按摩をされていたときに、聖師様から聞いた」との話もあるが、いずれも如是我聞で、聖師様の著作ではない。

 なお、「中心」という文言を「最高」と置き換えるのは無理がある。

  一方、聖師様はどう書き残されているのだろうか。

  霊界物語の第一巻第九章「雑草の原野」や歌集『百千鳥』の「(ふん)書妨害」及び歌集『東の光』に、聖師様の著書が焼かれたことが載っている。

 それらには、著書を焼いた役員を「鬼」「(うじ)虫」「(まが)」と酷評され、しかも、末代名前が残るよう、役員の名前の一字が記されているほどの徹底ぶりである。

 聖師様の著書が焼かれたのは、明治三十六年と三十八年の二回あるが、聖師様は『百千鳥』の中で、「明治三十八年は最大困苦を嘗めた」と述べられ、また、当時の役員に対して、半狂乱者と評し、その信仰を「筆先ばかりを丸呑み」にした迷信家であると激しく批難されている。更に、「蛆虫のあやまり言葉を信じまし吾れに反抗の筆先書かすも」とも詠まれている。

  この様子だと、聖師様は著書を焼かれて随分立腹されたと思う。M氏は「反省」と言うが、聖師様は何を反省されたのだろうか。 

◆七人の女神

 今年一月、NHK教育で、「民衆宗教」として大本が取り上げられ、広く世の中に紹介されたことは、大変喜ぶべきことであった。

 放送後、私は一般視聴者として「大本の特徴とは何ですか」と本部に電話してみたところ、職員は即座に「代々の教主様に神様がお降りになることです」と答えた。そこで「ところで、今の五代様には、どのような神様がお降りになるのですか」と問うと、言葉に詰まってしまった。

 「七人の女」で始まる明治三十六年旧十一月二十九日付けの大本神諭には、「日の大神、(てん)(しょう)(こう)大宮(たいじんぐう)、稚姫君命、竜宮の乙姫、未申の金神、金勝要の大神、木の花咲耶姫」と七人の女神様のお名前が出てくるが、聖師様の「ご神格」をどうみればいいのだろうか。

◆天のミロク様が地上に降臨

 大本の出現の経緯は、「國祖」が「余りに厳格剛直にして、混沌時代の主管者としては、実に不適任」であるため、「撞の大神は、」「國祖を艮へ退去す可く厳命」され、「時を待って爾を元の主宰に任じ、且つ我は地に降りて汝が大業を補助す可し」との、『神代の神誓神約を実行すべく』、『天のミロク様』が『地上に降臨』され、「再び地上の主権を附與」された「國祖國常立之尊の補佐神と成り」、『瑞の霊魂の宿った変性女子の肉体をお使』われ、あるいは、“大神は自ら地に降り、その神格によって精霊を充たし、”“天国の福音を宣伝したまふにいたった”と示されている【注】ところである。

  つまり、国祖の輔佐神として「天のミロク様」が地上に降臨され、その「神格」によって精霊を充たされている。さらに歌集「言華」において、

高天(たかま)より使命を帯びて降りたるひとは此の代の生神なるらむ

久方の雲井の空を後にして地に降りたる身魂は神なる

天地(あめつち)(にく)(たい)(じん)を世に現じ人間界に交りて経綸(しぐみ)

只独り只吾ひとり天津神の御手代となり世を洗うなり

と示されていることから、聖師様の「ご神格」が、降臨された「天のミロク様」のものであると理解している。 

 【注】「 」は太古の神の因縁〔大正七年一月十五日〕、『 』は神霊界〔大正九年一月十五日号〕、“ ”は霊界物語第四十八巻第十二章「西王母」

 

◆おわりに

 三代様の歌集、『()()(さくら)』(昭和二十九年)と『西王母』(昭和三十九年)には、教団内におけるお辛さを詠まれたものが多々ある。                                           

吾がことをロボットと噂されゐるを知らざらむ厳しき手紙今日は受けたり

働きて食えよ教主の値打なしと奉仕者らしきが手紙寄越しぬ

吾が夫に面会して帰りゆく人あり吾を見ながら知らぬ顔して

吾が知らぬ(あいだ)に面会をきめられしことにこだはりしばらくをりぬ

側近に悩みし吾を思いつつうつたへて来し()の手紙読む 

苦しきこと多き此頃世を厭ひし西行法師の心思ひぬ

夫と一生を睦びて過ぎし人の歌淋しくなりてアララギを閉ず

  この六月、東京本部次長となられたM氏に電話をし、三十年前の無礼な文書を詫びた。森氏は私の誠意を認め、そして「出口信一先生とは友達だった」と語られた。

◆第三次事件の萌芽

 この稿を書き終えようとした頃に、I氏から送っていただいた資料に大変驚いた。昭和二十九年十月二十九日の主会長会議で、当時の総長出口伊佐男氏が次のように発言されていた。全く知らなかった。

 「三代教主は過去の開祖、聖師、二代様の一切の御神格を現在に継承体現せられ、更に三代教主としての御神格を加え四魂揃うた御魂であらせられる。即ち三代教主こそは生きた開祖様であり、聖師様であり、又二代様であり」

 伊佐男氏は聖師様の側近中の側近である。当時、三代様の「ご神格」をどうしても引き上げなければならない事情が、教団内にあったのだろうが、今にしてみれば、大変残念なことである。第三次大本事件の萌芽と思える。

(平25・9・29記)
〔『愛善世界』平成25年11月号掲載〕

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