㊶妻の昇天と「お取次」

「愛善世界」誌掲載文等

 私の妻は、平成二十九年十月三十日未明、六十歳で亡くなりました。

 妻は膵臓ガンの治療で再入院していました。亡くなる前日に、妻の様子が急におかしくなりましたので、夜は上の娘が病院で付き添いました。

 すると夜中三時に、娘から病院に早く来るよう連絡がありました。急な血圧低下などがあったというのです。また、私への連絡の後も、妻の呼吸が止まりそうになりましたが、「お父さんが来るよ」と言うと持ち直したそうです。

 私が、下の娘、それと二人目の孫とともに三時四十分に着くと、妻は私の方をはっきりと向き、目を合わせました。そして、私は直ぐに「お取次」を始めました。

 お取次は、妻の膵臓ガンがわかってから、ずっと毎朝行ってきたことです。入院してからも、家から遠隔お取次を行い「これからお取次と大神様へのご祈願をするよ」とメールをすれば、「わかりました」と返事がありました。

 天の数歌と天津祝詞が済むとともに、妻は目を閉じました。呼吸も落ち、本当に眠るようにすっと息を引き取りました。三時五十分でした。心臓が四時ちょうどに止まりました。

 私と娘二人が見守るなか、何ら苦しむことなく、安らかに天国へ昇天していきました。

 妻は、明らかに、私と下の娘が来るのを待っていました。そして、我々夫婦と娘二人は揃って、きちんと現世での最後の別れを互いに交わすことができました。

 妻の千枝は、未信徒の家から嫁いできました。それが、率先して神様を拝むようになり、人生の最後まで一生懸命神様にすがっていました。

 今回よくわかったのは「お取次」とは、決して病気直しのみではなく、神様に取り次ぐこと、神様にまみえるよう取り次ぐこと、信仰を持たすよう取り次ぐことだということ。そういうことが、本来、宣伝使として行うべき「お取次」ではないか、そんなふうに思うようになりました。

 しかも、それが、最期の場面で、昇天するのを妻が、私や娘たちが揃うのを待ち、また、私がその妻を、神様に取り次ぐといったことをまざまざと「証し」のように見せられたことは、私や娘たちにとっても信仰的確信につながり、また、妻もその役割を理解したものと思います。

 招魂式に薬剤師の友人が来ていました。

 今回、妻の膵臓ガンがわかってから、いろいろと相談をし、手術の是非など彼の助言によるところが多くありました。

 その彼が言うには、医師が手術ができると判断した場合、普通十キロ痩せて骨と皮だけのガリガリになる、そして二、三年、苦しみ回るものだということでした。確かに医師も手術後は十キロ痩せると言っていました。

 ところで、亡くなる前日の午前中、医師は、明日、つまり、結果的に亡くなった日になりますが、血液検査をして、腫瘍マーカーの数値などを見ようと言っていました。 

 つまり、腹水が溜まり、妻はきつそうにはしていましたが、経験ある医師の目からしても、早急な死の予測は全くなかったということです。

 確かに妻は、亡くなる日の前日の午後三時ごろから、亡くなった翌日午前四時までの約半日間は、結構苦しがっていました。しかし、その意識はかなり朦朧としたものになっており、意識がはっきりしたなかでの苦しみの認識ではなかったと思います。

 どういう医学的メカニズムで死に至ったのかはわかりませんが、妻の苦しみは、通常、膵臓ガンで考えられる過酷な苦しみとは、期間的にも程度的にもほど遠い軽さであったということです。これは、病気に対しての「お取次」の直接的なおかげだったと思います。

 また、愛善荘から「おひねり」を二回ご下付していただきました。膵臓ガンがわかり手術をした時と再入院して急に体にむくみが出た時です。妻は亡くなる前日から容体が悪化しますが、その前日に最後の「おひねり」を妻は自らいただいています。

 こうして、その死に顔は、今までどおりの若さを保ち、しかも穏やかに微笑みさえも浮かべているようなきれいなものでした。

 ところで、女房の母親も膵臓ガンで逝きました。五年前です。

 母親が自宅で寝込むようになってから、妻は毎週、山口から岩国までの約百キロを、自分で車を運転し、私に代わって母親に「お取次」をしました。当時私はうつ病で、それはそれは体がきつくて起きていることもできず、横になったまま岩国行きに付いて行っていました。

 その母親もそう痩せることもなく、一言もきついとは言いませんでした。また、最後に入院しましたが、点滴が血管に入らなくなって、その処置をするためのものでした。

 しかも、母親は亡くなる一時間前に看護師に水が欲しいと頼み、おいしいおいしいと言って飲んで、次に看護師が見回ったときには事切れていたそうです。

 妻は、母親のこうした苦しみのない闘病の有り様を見ていましたので、「お取次」の効果を身をもって知っていました。ですから、「お取次」を受けることへの期待感を大きく持っていたと思います。それは無論、早くよくなりたいというものだったと思いますが、いつも真剣に、私の「お取次」を受け、そして一生懸命に瑞の御霊の大神様に祈っていました。

 私との出会いで神様を知り、また、大本の信仰を得た妻の一生は大きな意味があったと思います。

 そして、現界でのお役を早々に終え、その霊体を肉体で成長させて故郷なる天国へ帰って行きました。私は、人生の目的をいつも人の前でそう話していますが、今後は実感を持って話すことができます。ただ、妻が亡くなったのは四日前です。やはり当然のことながら、妻との現界での別れは、悲しくもあり、寂しくもまた、つらくもありますが。

   生きている最後の温もり妻が胸に手を当て最後のお取次をなす

長野県皆神山での妻と私(平27.9.13)

〔平29・11・4 記〕

〔『愛善世界』平成29年12月号〕

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