㊼身に添う神々さま ―木花姫(このはなひめ)に学ぶ―

「愛善世界」誌掲載文等

○念彼観音力(ねんぴかんのんりき))

 平成二十八年八月、妻の亡くなった両親の分骨のため、日蓮宗総本山の身延山久遠寺にお参りをした。妻の母親の希望であった。私は久遠寺の広いお堂で観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)を唱えた。経文には「(ねん)()(かん)(のん)(りき)」が十三回も出て来る。「(ねん)()(かん)(のん)(りき)」を何度も繰り返し、両親に霊界での御幸はいがあらんことを、観音様にお願いした。

身延山久遠寺    (平28.8.11)

 観音経は他の宗派でも唱えられるが、観音経の一部が霊界物語四十八巻(三章「観音経」)に出て来る。

 真観()清浄() 広大()智慧観 悲観()及慈()         

 常願常瞻仰 無垢清浄光 慧日破諸闇

 能伏災風火 普明照世間 悲体戒雷震

 慈意妙大雲 樹甘露法雨 滅除煩悩炎

 諍証経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力

 衆怨悉退散 妙音()観世音() 梵音()海潮()

 勝彼()世間音 是故須常念 念々勿生疑

 観世音浄聖  於苦悩死厄 能為作依怙〔四十八巻三章「観音経」〕

 また、出口王仁三郎全集(一巻「伊都能売」、『神の国』大正一五年九月号)にも観音経が出ている。上記経文で「観」の付く真観()清浄()観 広大()智慧観 悲観()及慈()観が「厳之御魂」。同じように「音」の付く妙音()観世()音 梵音()海潮()音、勝彼()世間音が「瑞の御魂」とあった。

 加えて、瑞の御霊は「観音即木の花姫神」一名「伊都能売神」とある。同様のことが霊界物語六巻(二四章「富士鳴戸」)にもあり、観世音菩薩は木花姫だとのお示しである。

「智仁勇の三徳を兼備して、顕幽神の三界を守らせたまふ木花姫の事を、仏者は称して観世音菩薩といひ、最勝妙如来ともいひ、観自在天ともいふ」〔六巻二四章「富士鳴戸」〕

 なお、出口聖師が、穴太寺の観世音菩薩を幼少より信仰されていたことが、六巻(二四章「富士鳴門」)にある。平成三十年一月、私はこのお寺をお参りした。

穴太寺 (平30.1.28)

「霊山高熊山の所在地たる穴太の里に、聖観世音を祭られたるも、神界に於る何彼(なにか)の深き因縁なるべし。瑞月は幼少の時より、この観世音を信じ、かつ産土の小幡神社を無意識的に信仰したるも、何彼(なにか)の神の御引き合はせであつたことと思ふ」〔六巻二四章「富士鳴戸」〕

 また、木花姫を最勝妙如来ともいうとあるとおり、熊本県山鹿市「瑞霊苑」にある観音様を、出口聖師は「弥勒最勝妙如来」【注1】と名付けられておられる。

【注1】YouTubeチャンネル藤井盛 大本講座「杖立・御手代歌碑と山鹿・みろく神像」

〇木花姫

 身延山にお参りをした日の夜の宿泊が、富士山(ろく)の山中湖で、翌日、富士山登山口まで登った。

富士山登山口 (平28.8.12)
富士山  (平26.9.15)

 この富士山の頂上には、このはなめのみことを祭神とする富士山本宮浅間大社の奥宮がある。頂上の奥宮までは行っていないが、二年前の平成二十六年九月、その本殿に参拝している。

富士山本宮浅間大社(平26.9.14)

 さて、この富士山本宮浅間大社のことか、富士浅間神社の祭神、木花咲耶姫命の天使が、出口聖師を高熊山修業に導いておられる。

「明治卅一年如月(きさらぎ)の九日、富士浅間神社の祭神、木花咲耶姫命の天使、松岡芙蓉仙人に導かれて、当山に自分が一週間の修業を命ぜられた」〔一巻一章「霊山修業」〕

 この木花咲耶姫も木花姫の現れで、木花姫は五六七大神の御活動をされ、万有を済度されるとある。

木花姫の神様も矢張り五六七大神様の一部又は全部の御活動を遊ばすのだよ。又天照大御神と顕現遊ばすこともあり、棚機姫と現はれたり、或は木花咲耶姫と現はれたり、観自在天となつたり、観世音菩薩となつたり、或は蚊取別、蚊々虎、カール、丹州等と現はれ給ふ事もあり、素盞嗚尊となる事もあり、神様は申すに及ばず、人間にも獣にも、虫族にも、草木にも変現して万有を済度し給ふのが五六七大神様の御真相だ」〔四十巻六章「仁愛の真相」〕

○怪女と現れる木花姫

 しかも、いろいろな神様に顕現され、「人間にも獣にも、虫族にも、草木にも変現」されるとある。たとえば、十五巻(一三章「神女出現」)では怪しげな女に変現されている。真っ裸の集団が消えた後に現れる女である。ここの箇所を、長谷川洋吉さんの「霊界物語に親しむ」(15)(『愛善世界』誌令和五年七月号)から引用する。

 ストーリーの展開が早く、とても面白い箇所なので、ぜひ拝読願いたい。私のYouTubeチャンネル藤井盛でも配信している【注2】。

 ◇一三章/…高国別、男女の集団を追う。怪しい女と問答し陥穽(かんせい)に。

 ◇一四章高国別、再び女と問答。木花姫命の化神と知る。地底の岩窟へと誘う男の声。

 ◇一五章高国別、女神と奮戦し落命。地底の天国を彷徨し亀彦…愛子姫と会う。木花姫神の神勅あり、現界へ戻る。高国別…愛子姫と結婚する。

 ◇一六章/亀彦らは…女神の導きで高国別を救いに来たと語る。ウラナイ教蠑螈別に捕らわれ岩窟の奥で苦しむ浅子姫…も救出。〔「霊界物語に親しむ」(15)〕

 結果的に、高国別は木花姫に導かれて愛子姫と結婚し、また、岩窟の浅子姫らの救出に一役を買う。しかし興味深いのはその過程である。高国別は怪女と化けた木花姫から紐で首を締められ、また、人々の命と須佐之男之尊の命の選択を迫られ、(けん)を腹に立てんとまでするなど、さんざんな目に会う。たとえ、高国別が天照大神の五男神の一人、活津(いくつ)彦根(ひこねの)(かみ)であっても、一人前の宣伝使に育てるための木花姫の愛のムチであるのか。

 一方、高国別が、木花姫の本当の姿に接したときの描写は美しい。

「『いやもう梅花の春陽に会うて一度にパツと開く如く爛漫たる桜花の如く心の(やみ)は開けました。貴神は天教山に坐します木花姫の命様』と両手を合せて拝跪する。(たちま)ち空中に微妙の音楽聞え、馥郁(ふくいく)たる梅花の香、鼻に迫る」〔十五巻一四章「奇の岩窟」〕

 怪女は一例である。木花姫の御神名の出て来る巻数が、霊界物語(天祥地瑞を除く)の八割(六一/七四巻、石川県阿良田浄さんの調べ)に及ぶことが、その多彩な変現ぶりの現れである。また、馬にもなってしゃべられる。こうしたユーモアをお持ちなのが木花姫である。ひょっとすると、我々の周りの草や木も木花姫の変現であるかもしれないと思うと、とても親しみを感じる。

「馬『馬鹿だな、俺は木花姫の分霊だ、観音だ。すなはち馬頭観音様だよ』」〔十四巻五章「風馬牛」〕

 いろいろと変現され、人々をお救いになる木花姫を思うと、身をそこまで低くされるのかという驚きが生じる。人は、プライドが邪魔をするのか、あるいは自愛のためか、恥ずかしいのか、他人のため、世のために身を落としたり、身を捨てたりすることがなかなかできないものである。

 人々のために身を尽くされる木花姫から学び、信仰者、特に教えの宣伝使として、神様のため身を捨てる覚悟で御神業奉仕に努めなければならないと思う。必ずや木花姫は我々の身に添い、厚い御加護をいただけるものと信じる。

【注2】YouTubeチャンネル藤井盛 

          

○御神格で包む

 また、ある時は、木花姫が御自身の御神格で直接人を包み、御神業をさせておられる場合もある。木花姫の御神格に包まれた伊太彦は、自分が優美になったことに気がつかない。ブラヷーダはこうした伊太彦に求婚する。ここもまたユーモラスで、私の好きな場面である。

「伊太彦はスダルマ山の(ふもと)において(しば)らく(かむ)(がかり)状態となつてより(には)かに若々しくなり、体の相好から顔の色まで玉のごとく美しくなつてしまつた。これは木花姫命の御霊が伊太彦に一つの使命を果さすべく、それについては大変な大事業であるから御守護になつたからである。しかしながら伊太彦は自分の顔や姿の優美高尚になつた事は気がつかず、依然として元の蜴蜥(とかげ)(づら)であると自ら信じてゐた」 〔六十三巻五章「宿縁」〕

○身に添う神々さま

 霊界物語には、人々の身に添い、身魂を鍛え御神業をさせたり、あるいは命の危険から救う神々が木花姫以外にも登場する。()(での)(かみ)(こと)(ひら)(わけの)(かみ)、獅子に乗った時置師神(ときおかしのかみ)などである。竜雲を説き諭して改心させる北光神(きたてるのかみ)もその一人かもしれない。

〔日の出神〕日の出神が全身を包み、直接、宣伝使の身体に御神力を与える。清彦は火の玉の光を浴び、日の出神の姿と変じている。

此方(こなた)に向つて飛び来る火の玉あり、清彦の前に墜落するよと見るまに、清彦は闇中に光を現はして、立派なる日の出神少しも違はぬ容貌と化したり〔八巻六章「火の玉」〕

〔琴平別神〕王女チンリウ姫は、乳母アララギらの裏切りにより満潮で没する島に流される。膝まで水につかる絶対絶命の中で大亀の琴平別神に救われる。信仰心のなかったチンリウ姫は、大亀の背に乗り故郷イドムの国に進むうち、アララギらへの感謝や大神への信仰心が芽生える。

「この亀は神の使(つかひ)わが生命(いのち)何怜(うまら)委曲(つばら)に救いたるはや」〔八十一巻一六章「亀神の救ひ」〕

〔時置師神〕宣伝使が危急存亡に陥った時、必ず獅子に乗った時置師神が現れる。木花姫の変現なのかもしれない。

「敵は目に余る大軍、あはや三人の命は風前の灯火(ともしび)と云ふ危機一髪の際(にはか)に聞ゆる獅子の唸り声山岳も崩るる(ばか)りであつた。此声に敵は(ふる)(をのの)き思はず知らず大地に耳を押つけて(しやが)んで(しま)つた。見れば巨大なる獅子に時置師神(またが)つて居る。玉国別はこれを見て思はず知らず両手を合せ、『木花咲耶姫命様、有り難う(ござ)います』と感謝の涙に(むせ)ぶ」〔四十三巻一二章「双遇」〕

〔北光神((あめ)()一つの神)〕セイロン島の王妃ケーリス姫を(たぶら)かして、王の地位を奪わんとした妖僧竜雲が、北光神の御諭しで改心する。北光神は竜雲の身に添い、身魂を救う。宣伝使の活動は、救い主の神素盞嗚尊へとつながる。

「悪逆無道の振舞を致しました竜雲で(ござ)います。只今歌で申し上げました通り三五教の宣伝使天の目一つの神の御訓誡やサガレン王様の御仁慈に依つて、曇りきつたる身魂を救はれ」 〔四十一巻九章「蓮の川辺」〕

○八雲琴演奏者に添われる出口聖師

 昨年十一月、愛善荘で興味深い話を聞いた。ある八雲琴の先生が整体に通っていると、「いつも先生といっしょに来られる方がいる」と整体師が言ったとのこと。先生は一人だというのであるが。

 整体師は大本の関係者ではなかった。ある時、整体師が出口聖師の写真を見て、「この人がいっしょに来ていた」と言ったというのである。世間には天眼通の開けた方がいる。

 出口聖師は、八雲琴を終始奨励され、田中緒琴初代家元を綾部の月光閣に住まわせ、その門に「神伝八雲琴指南」の看板を掛けさせておられる【註3】。整体師の話は、八雲琴に携わる者に、出口聖師の厚い御守護があるという心強い証となる。

【註3】『おほもと』誌昭和三十六年六月号「八雲琴と共に四十余年 田中緒琴」

〇山越のみろく

 整体師の話を聞いた日、帰りの京都駅に、永観堂の国宝「山越阿弥陀図」の展示の垂れ幕が掛かっていた。太陽か月を背に負い、山間から阿弥陀如来が上半身を現し、左手を上げているものである。臨終の際に阿弥陀如来が迎えに来るという、来迎図である。

山越阿弥陀図  (国宝 永観堂)

 この「山越阿弥陀図」と同じ構図が、出口聖師の「山越みろく」である。その写真を私は持っている。出口聖師は瑞の御霊であるから、背に負われているのは月であろう。上半身を現され、左手を上げておられる。頭の髪型もぼつぼつとした()(ほつ)で、明らかに山越阿弥陀図を意識されたものである。

山越みろく扮装聖師 (昭和8年10月21日)

 パロディのようだが、決してけっしてそうではない。「阿弥陀如来は自分だ」という出口聖師のお示しに他ならない。みろく様の下生たる出口聖師が、「おまえたちの帰幽の際には、必ずみろくのワシが迎えに来てやる、安心せい」という力強い言霊が聞こえる。現界のみならず、死後、霊界でも迷わないようにと、人類愛善新聞にいつも御自身の写真を載せられていたことに通じる。

 なお、我が家には出口聖師自筆の御神体がある。左右から迫る山の様子が「山越みろく」に似ている。御神体の中央のお山と出口聖師が重なってしまう。

○主神とその顕現たる厳瑞二霊の来迎

 山越阿弥陀図に戻る。阿弥陀如来の左右に控えている((きょう)())のは、観音菩薩と勢至菩薩である。浄土真宗では、それぞれ慈悲と智慧を司る菩薩だと説明している【註4】。大本的に言えば、愛善と信真を司る厳瑞二霊の御神格ということになる。

 臨終に際して、阿弥陀如来とこれら二菩薩が来迎するということになるが、霊界物語(五十五巻「序文」)でも同様に、主神の大国常立大神とその顕現たる日の大神と月の大神【注5】の来迎が示してある。

大国常立大神日の大神月の大神は神を愛し神を理解し信真の徳に充たされたる者を天界に救ふべく()と高き神人を率ゐて霊肉脱離の際に来迎し直ちに宝座の前に導きて」〔五十五巻「序文」〕

 五十五巻「序文」の構成自体、仏説無量寿経をベースにしたものと思われるが、この部分についても同様である。

「菩提心を(おこ)して…専ら無量寿仏を念じ、もろもろの功徳を修して…衆生、寿(いのち)の終わる時に臨んで、無量寿仏、もろもろの大衆とともに、その人の前に現われ…七(はな)の中に」          〔仏説無量寿経下〕

【註4】板東性純著『浄土三部経の真実』慈悲のはたらきを具現化し、人格化したのが観音菩薩。智慧のはたらきを具現化し、人格化したのが勢至菩薩

【注5】厳の御霊日の大神、瑞の御魂月の大神は、主の神即ち大国常立大神の神霊の御顕現にして、高天原の天国にては日の大神と顕はれ給ひ、高天原の霊国にては月の大神と顕はれ給ふ。〔六十三巻四章「山上訓」〕

○家族の身に添う神さま

 下の娘が一、二歳の頃、二階の急な階段からごろごろと落ちた。下はコンクリートである。コンクリートに落ちる間際に、ちょうど帰って来た父親が娘を受け止め、大事に至らなかったことがある。

 また、私も大酒を飲んで、危うく転けそうになった時、道路のポールを掴み、頭を打たずに済んだことがある。頭を打って寝たきりになる人が、年間五千人いるというのを、テレビで見たことがある。

 記憶がおぼろで点々とする中で、今でも鮮明に覚えているのは、ポールを掴もうとした時に、上から加わったもの凄い力である。左手の人差し指から薬指にかけての三本の指の手のひらの第二関節のところの皮膚が裂けるほどである。特に、縫うほどになった中指の骨にはひびが入った。

 ひびが入るほど強く、自分の手でものを叩くことは普通ない。あの力は自分の力ではなかったと今でも思っている。娘の時も、またこの時も神様が我々の身に添い、危難を救っていただいたと信じている。

 なお、妻は六十歳の若さで亡くなった【注6】が、平成二十七年から亡くなる二十九年までの三年間、夫婦で実に十五回の県外旅行をした。これらの旅行は、これまで書いて来た教えや信仰に関するいくつかの文章の(かて)ともなっているが、夫婦としての最後の三年間への、我々の身に添う神さまからの素敵なプレゼントであったと思う。

【注6】『愛善世界』誌平成二十九年十二月号「妻の昇天と『お取次』」ホームページ霊界物語勉強室https://reikaimonogatari.jp ㊶妻の昇天と「お取次」

(令和5・2・23記)

(『愛善世界』誌令和五年九月号掲載)

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