明治三十七年頃の出口聖師のお歌がある。
「吾が書きし五百六十七冊の著書は残らず蛆虫焼きたり」(歌集「百千鳥」)という霊界物語一巻(「発端」)にある「旧役員の反抗」に関するものである。
出口聖師はよほど悔しく思われたのであろう、同巻(九章「雑草の原野」)に「平、中、木、後、田、竹、村、与、藤、井」という彼らの名前の一部を残されるほどである。
今回から五十四巻の勉強が始まった。この巻に至ってもなお、社会はおろか、大本内部の者らの霊界物語への無理解ぶりが述べてある。口述開始から二年後の大正十二年のことである。
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「取るに足らざる悪言となし」「暗迷なる眼識によつて身魂相応の解釈」「永年大本に出入し乍ら大本の主義精神の主要点が分らない」「霊界物語は譬ば砂利の山と評し」「大本幹部たりし識者に容れられず」「人間の盲目と無鉄砲には呆然」(以上「序文」)「地方によると、役員や信者に読まれない所も沢山ある」「変性女子の遊戯的作物として軽視」「一回も本書を手にしない方々が在る」(以上「総説」)
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愛善苑として戦後再発足後も、当局の再弾圧を恐れて、焼かれた著書の冊数五百六十七にもちなむ出口聖師のみろく下生たる御神格は意図的に隠され、現在の「大本教法」(昭和二十七年制定)においても、厳霊と瑞霊が単に並記され、みろく下生は表には出されないままである(レポート20)。また、五十四巻「序文」末尾で「アヽ日暮れて途いよいよ遠しの感に打たれざるを得ない」と出口聖師が嘆かれているが、我々は拝読とともに、霊界物語を世に広めてまいらねばならない。
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一方、「序文」で、霊界物語の神書としての意味が、改めて示されている。
「神代に於ける神々の神示」「宇宙開闢の真相」「神明の摂理」「筑紫の不知火の海に投ぜられた太古神代の事跡の一部を口述編纂」「万民救治のために明示」「深淵微妙の真理」「弥勒胎蔵の神意」「神智と苦集滅道の本義」「霊界現界の消息を明かにし、諸人が死後の覚悟を定め、永久に天国浄土の悦楽に入るべく、仁慈の神の御賜」「大は治国平天下の道より、小は吾人が修身斉家の基本」「全巻皆神より見れば金玉の文字」
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また、「総説」では、加えて霊界物語の表現についても述べてある。いささか難しいが、こうした雰囲気を霊界物語で味わいたい。
「大本の信仰に対し現代を救ふの道として止むに止まれない場合が差迫つた為に神勅によつて編述」「予言的精神に充たされ」「所在形式美を尽して朝日に輝く雲の様に虹色を呈して虚空に架つてゐる程の覚悟を以て進んでゐる」「人間の感情そのものが自ら流れ出た言葉に、惟神の詩韻が現はれる」「石が地に落ちる様に、何事もなく単純に、率直に、自然に洩れ出づる」「凡て現はれ出たものの根底には、必然なるものが潜んでゐる」
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二章「日出前」まで進んだ。前五十三巻のビクトリア国の物語が続く。ビクトリア王が見た悪夢により、王子らが殺されかけるというショッキングな内容で始まっている。
(令4・12・2)
〔『愛善世界』令和5年1月号掲載〕
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