(67)神聖歌劇になった七十九巻―言霊の力―

「愛善世界」誌掲載文等

○天祥地瑞口述の時代

 天祥地瑞の口述が始まったのが昭和八年旧八月十五日。終わったのが翌昭和九年八月十五日で、この十一年後の昭和二十年八月十五日に太平洋戦争が終わる。この時期、歌で綴られる天祥地瑞の口述に合わすかのように、全国に歌碑が建立されている。また、昭和九年七月二十二日、昭和神聖会が発会し、以降、各地方にもその支部が発会する。昭和神聖会発会の六年後の昭和十五年七月二十二日には、近衛第二次内閣が成立し、日独伊三国同盟の締結や大政翼賛会発会など、戦時体制へと進んで行く。

八月十五日

 ところで、昭和十年二月二十一日の地恩郷での歌碑除幕式と二月二十四日の昭和神聖会徳山支部発会式との間の二月二十三日、出口聖師が山口線で我が家の前を通っておられる。その十三年後の昭和二十三年二月二十三日が、我が家の祖霊復祭の日である。

山口線のSL

○神聖歌劇の公演

 第二次弾圧事件勃発の昭和十年十二月八日を前にした十月二十八日、神聖歌劇の二回目が綾部の五六七殿で公演されている。この神聖歌劇は弾圧当日の十二月八日、島根別院でも公演されている。出口聖師が早朝、当局に拘束された後、夜七時よりとどこおりなく行われている。

昭10.10.28 五六七殿 神聖歌劇
昭10.12.8 島根別院 大祭・歌祭り・神聖歌劇が行われた。

 なお、神聖歌劇で公演されたのは、天祥地瑞七十三巻(子の巻)一章「(あま)()(みね)()()の神」と七十九巻(午の巻)一章「湖中の怪」~七章「相聞一」である。七十九巻は、国津神と人面竜身の(たつ)(がみ)(ぞく)の物語。竜神族(たつがみぞく)は頭部と両腕は人と似ているが、肩部(けんぶ)から下は太刀(たち)(はだ)の竜身で、(じう)(ぞく)である。

 (たつ)(がみ)(ぞく)は人間となることを望み、国津神の女性、麗子(うららか)をさらい竜宮島に連れ帰る。妹の麗子(うららか)を探して竜宮島に渡った艶男(あでやか)を、(たつ)(がみ)(ぞく)の女性らは恋い焦がれる。七十九巻には、艶男(あでやか)を恋い焦がれる(たつ)(がみ)(ぞく)の女性らの歌が長々と続く。

「風吹かば露やこぼれむ花散らむ  早く()()らへ一本(ひともと)(しら)(はぎ)」(八章「相聞二」)

「時じくに(こと)(たま)放つ(こと)(だき)の それに増して清き君はも」(一一章「瀑下の乙女」以下も同)

一夜(ひとよ)さのつゆの(なさけ)をたまへかし  伊吹の裾野に咲く(をみ)(なへ)()よ」

「どこまでも(この)()(ごゝろ)の届かねば  鬼となりても君悩まさむ」

 なお、神聖歌劇の場面は、兄艶男(あでやか)()()(つち)の神の助けを得て、竜宮島の(おと)(ひめ)(がみ)となった妹麗子(うららか)と再会するまでである。

 ところで、この物語には「主の大神の(おん)(はな)とつたはり来る伊吹山」が出て来る。伊吹山と比叡山が面する琵琶湖は、天照大神と素盞嗚尊の誓約(うけひ)の舞台であり、それぞれの御霊から出た五男神と三女神は、初めて人体を具備した神である(『皇典釈義』二十三節「人類出生の始め」)。(たつ)(がみ)(ぞく)が、人間となることを望んだことに通うところがある。

伊吹山 平25.12.22

 また、この琵琶湖の周囲には、艶男(あでやか)を助けた塩土(しおつち)()(おきな)を祀る塩津神社もあるが、日本書紀には山幸が塩土(しおつち)()(おきな)の教えにより海宮(わたつみのみや)に行き、妻となった豊玉姫が竜となって子を生む話がある。子は神武天皇の父親(巻第二神代下)。大本神諭にも「龍宮の乙姫殿を見て皆改心をいたされよ」(大元・旧八・一九)とか、霊界物語にも、七巻二二章「竜宮の宝」や二十五巻三篇「竜の宮居」などの箇所がある。

 これらが七十九巻の竜宮島や(おと)(ひめ)(がみ)との関連があるとすれば、興味深いところである。

竜宮海(手前沓島と冠島の間)令2.7.7

○言霊の力

 霊界物語を、声を出して一巻拝読するのに八時間かかる。また、歌で綴られた天祥地瑞を、節をつけて歌うと十二時間になる。特に相聞歌が多い七十九巻は、私の録音では十三時間かかっている。

 相聞歌が続く七十九巻を聞きながら、一番の盛り上がりを感じたのが十二章「樹下の夢」である。竜身の燕子花(かきつばた)に対して宣る艶男(あでやか)の言霊に、燕子花(かきつばた)の全体が人身へと変わる。

「『わが言霊に力あれ わが言霊に光あれ。 わが宣らむ(いく)言霊の幸はひに 乙女を(また)き人とせよかしわが肌に添へる乙女の(やさ)姿(すがた)

神の子となれ人の子となれ 紫に匂へる妻の燕子花(かきつばた)

まことの人と()れさせ給へ (ひと)(ふた)()()(いつ)(むゆ)(なな)()(ここの)(たり)

(もも)()(よろづ)の神、憐れみ給へ、救はせ給へ』

 ()く七日七夜間断なく艶男(あでやか)宣れる言霊に、不思議や燕子花(かきつばた)の全体(たちま)人身と変じ、荒々しき太刀膚の影もなく、全身餅の如く(はだ)細やかに全く人身と生れ変りける」  (一二章「樹下の夢」)

 なお、神聖歌劇の公演で、出口聖師は七十三巻(一章「天之峯火夫の神」)では、(あま)()(みね)()()の神の役をされているが、この七十三巻(一章)には、言霊により宇宙が創造されたと示してある。

「大虚空中に一点の(ほち)忽然(こつぜん)と顕れ初めて⦿()の言霊生まれ出で、⦿の言霊こそ宇宙万有の大根源にして、遂に⦿は極度に達してウの言霊を発生せり。ウの活動極まりてアの言霊を生めり。ウは降っては遂にオの言霊を生む。七十五声の神を生ませ給ひ、至大天球(しだいてんきう)を創造した」 (七十三巻一章「天之峯火夫の神」要約)

 また、七十九巻(総説)には、我が国が言霊の幸はふ国で、日本人の声は直音で清明円朗だとある。

「我国を言霊の幸はふ国と言ひ、言霊の助くる国と言ひ、言霊の明らけき国と言ひ、言霊の治むる国とは言ふなり」。(七十九巻総説次も同)

「外人と我日本人との音声言語を比較するに、外人の声はすべて濁音、半濁音、拗音(えうおん)、促音のみにて、又鼻音(びおん)ンを用ふるもの(すこぶ)る多く、日本人の声は直音のみにして(但し今日の人の声は此限りに非ず)清明円朗にして、各声確然たる区別あり」

 そして、出口聖師は、天祥地瑞の口述をされながら、言霊の幸はふ日本の各地に、昭和八年から十年までの間、三十三基の歌碑を建てておられる。

東北別院歌碑(昭7.11.22建立)

○意外な結末

北原白秋の有名な歌。

「君かへす朝の(しき)(いし)さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ」  (『北原白秋歌集』岩波文庫)

 踏まれて(しき)(いし)が返るのと、君を家に返すことが重なる。さくさくと舗石を踏む音が、林檎を噛む音を連想させ、噛んで立つ香りのように雪よ降れと言う。みごとに女性への思いを詠んでいる。

 しかし、隣家の女性を愛した白秋は獄に繋がれ、思いをより直接的に歌った相聞歌がくりひろげられる天祥地瑞七十九巻の結末も、罪へとつながる。

 人身と変わった燕子花(かきつばた)は、竜宮島を出て艶男(あでやか)の国津神の地、(みな)(かみ)(やま)(かむ)(やかた)で子供を産む。しかし、人身でいることは苦しく、川で竜身であるところを艶男(あでやか)に見られてしまう。そこへ、艶男(あでやか)を慕い渡って来た竜身の三女と争いになる。川は増水し国津神に被害が出て、艶男(あでやか)も川に沈んでしまう。凄惨な場面である。

四頭(しとう)竜神(りうじん)互に(まなこ)(いか)らし、一人(ひとり)艶男(あでやか)を奪はむと…格闘を続け、竜体より流るる血汐(ちしほ)は、濁水に和して…水量(みづかさ)は日に日に増さり…低地に住める(くに)()(かみ)(たち)住家(すみか)を流され、生命(いのち)を奪はるる者多く」(七十九巻二三章「二名の島」以下も同)

 そこへ()()(しろ)(がみ)(あさ)(ぎり)()()の神が「(りう)(りやう)たる音楽と共に」(くだ)って来られる。

「われこそは()大神(おおかみ)()(こと)もて 御樋代神と(くだ)り来つるも」

「神の子の御魂(みたま)を持ちて(けもの)なす姫を (めと)るは罪とこそ知れ」

また、天地の乱れが鎮まるのも、朝霧比女の言霊である。

「『(ひと)(ふた)()()(いつ)(むゆ)(なな)()(ここの)(たり) (もも)()(よろづ)()()(よろづ)

風も()()げ雨も降るな 雲よ退(しりぞ)(ない)(ふる)止まれ 

これの()(くに)()の神の 依さし給へる御樋代神の

()()に鎮まる(すが)()なり 雨はれ国はれ雲はれよ

(よし)の島根は今日よりは 黄金(こがね)花咲く()す国と

宣り直しつつ開くべし ああ惟神々々

わが言霊に力あれ      (いく)言霊に光あれ』

と宣らせ給ふや、さしも烈しかりし雷鳴は鎮まり…安静の昔にかへりしこそ畏けれ」

 朝霧比女は、艶男(あでやか)燕子花(かきつばた)の間に生まれた竜彦(たつひこ)に国の将来を任せることとして物語は終わる。

 「(うづ)の子よ(めぐ)しき()()(なれ)こそは 国の柱よすくすく育てよ」

 (令7・2・24記)

〔『愛善世界』令和7年4月号掲載〕

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