⑰パインタラ事件後80年目の台風
 ~数運は天運と相合す~

「愛善世界」誌掲載文等

                   藤井 盛

○平成十六年台風六号

 平成十六年(二○○四)、戦後初めて六月に兵庫県に台風が上陸した。

 この台風六号は、二十一日午後一時に神島付近を通り、亀岡の横を抜けて、午後二時に綾部上空、そして午後三時に冠島・沓島付近を通り抜けている。六月では、統計を取り始めた昭和二十六年以来最強の台風であった。

 冠島・沓島と神島は、艮の金神と坤の金神のご隠退の島であり、また、綾部と亀岡は大本の両聖地である。しかも注目すべきは、台風襲来の日と同じ、ちょうど八十年前の六月二十一日にパインタラ事件が起きている。

 この事件は、大正十三年(一九二四)に出口王仁三郎聖師が、『錦の土産』で、

 「東亜の天地を精神的に統一し、次に世界を統一する心算なり。事の成否は天の時なり、煩慮を要せず、王仁三十年の夢今正に醒めんとす」

と宣言されて入蒙し、廬占魁とともに兵を進めたものの、張作霖のためパインタラ(今の通遼)に追い込まれ、銃殺の刑に遭わんとされた事件である。

「パインタラ事件」大正13年(1924)6月21日
聖師は左から二人目
《平成16年台風6号経路図》2004.6.21

 「入蒙に対しては今日、正反対といっていいほど評価が分れている」(出口和明著『出口王仁三郎入蒙秘話』)とあるが、入蒙では、聖師の掌中にキリストの釘の聖痕が現れ(『入蒙記』9章「司令公館」)、また「衆生済度の為め更に蒙古に降り、活仏として、万有愛護の誓願を成就し、五六七の神世を建設す」(同8章「聖雄と英雄」)などとあり、入蒙が救世主たる聖師の救世のご経綸の一環であったことは確かである。

○入蒙八十年目

 今年から五年前の平成二十六年(二○一四)は、聖師の入蒙から九十年目に当たった。

 『愛善世界』誌ではその特集が組まれ、二月号には、同誌の昭和五十九年(一九八四)十月号で出口栄二先生が書かれた「聖師様ご入蒙の意義②」が再掲され、入蒙六十年目の「甲子(きのえね)の年」に、大本信徒連合会が団体として最初の入蒙が許されたことが記されてあった。

 この「甲子の年」が、「三革」のうちの「革令」に当たるということが、次号の二十六年三月号の出口信一先生の講話録「霊界物語に学ぶ①」で説明されている。講話録はその後、平成二十六年に『救世(ぐせい)(みふね)に』として出版された。

 (こよみ)干支(えと)(十(かん)十二())の中で「三革(革命・革令・革運)」の年には、天地の変動があると言われ、革命辛酉(かのととり)の大正十年に第一次大本事件が起き、また、革令甲子(きのえね)の大正十三年に今回取り上げた入蒙がなされ、革運戊辰(つちのえたつ)の昭和三年には、聖師がみろく下生を宣言されている。

 《三革》(いずれも旧2月12日)

 〈革命〉大正10年〔辛酉〕第一次大本事件

 〈革令〉大正13年〔甲子〕入 蒙

 〈革運〉昭和3年〔戊辰〕みろく下生

 しかも、それぞれ事が起きたのが、いずれも旧二月十二日である。信一先生は「聖師は本当に天運のままに人生を生きられた」と述べられているが、信一先生が「三革」に気づかれ講話をされたのが、入蒙からちょうど八十年目に当たる平成十六年(二○○四)であったことも興味深い。そして、台風六号の襲来は、この年の六月二十一日である。

 入蒙の六十年目以降、十年ごとの節目で入蒙に関係した物事が起きている。

 大正13年(1924)聖師入蒙
 6月21日 パインタラ事件

 昭和59年(1984)入蒙60年目
 団体での入蒙 信徒連合会が初

 平成16年(2004)入蒙80年目
 信一先生「三革」講話
 6月21日 台風6号襲来

 平成26年(2014)入蒙90年目
 『愛善世界』入蒙特集
 『救世の船に』出版

○型の大本

 大本神諭には、「世界へ善と悪とのかがみを出す大本であるぞよ」(明治30・旧1・9)、逆に「大本には世界のことが写るから、大本の中の様子を見ておりたら、世界のことの見当が、あきらかに分かりて来るぞよ」(大正6・旧2・9)と、大本が世界の型となることが示されている。

 また、これを証するかのように、大本第二次事件と太平洋戦争がちょうどリンクしている。

 第二次大本事件開始の昭和十年十二月八日の六年後の昭和十六年十二月八日に太平洋戦争が始まり、また、大本事件と戦争の期間(九年九月間)や出口王仁三郎聖師が事件で拘束された期間と日本が占領された期間(六年八月間)が一致している。

 また、昭和九年七月二十二日の昭和神聖会発足の六年後の昭和十五年七月二十二日に、戦時体制を整備した第二次近衛内閣が発足し、綾部・亀岡の両聖地が接収された昭和十一年四月十八日の六年後の昭和十七年四月十八日には、本土が初空襲を受けている。

 大本の弾圧が戦争につながることで、日本人の戦没者が三百十万人(日中戦争を含む)になったり、また、細かく空襲の日にまで及ぶということを考えると、改めて、大本というものの存在の重さを感じる。

事件で破壊された「月宮殿」
20年3月10日 東京大空襲 
《初空襲は17年4月18日》

○日本は世界の胞衣(えな)・祖国(おやくに)

 以上を「時間」に関する大本と日本との関係とすれば、次は「空間」に関する日本と世界の関係である。

 「日本国土の形状をなしてゐる竜の形は、元の大国常立尊が、竜体を現じて地上の泥海を造り固めてゐられた時のお姿同様で‥すべて大神の御肉体である」(『霊界物語』1巻21章「大地の修理固成」)とか、四国がオーストラリア大陸、九州がアフリカ大陸、北海道が北米大陸、台湾が南米大陸、本州がアジアユーラシア大陸のそれぞれ胞衣だと示されている(同6巻25章「金勝要大神」)。

 また、大本神諭には

 「初発に修理(こしら)へた国、元の祖国(おやくに)であるから、世界中を守護する役目」(大5・旧11・8)

 とあり、日本の存在もまた重い。

○神の黙示

 これらの「時間」と「空間」に関して、聖師の著作『大本略義』(大正5年9月)に次のように示されている。(注:必要箇所のつなぎ合わせ)

 「天之御先祖様‥は霊力体の総本体である。

 霊と体とは、天之御中主神が、その絶対一元の静的状態から動的状態に移らるる時に、必然的に発揮せらるる二元の呼称である。時間、空間の観念が起って来るのは、少くとも(この)神の本体から、霊と体との相対的二元が顕われてからの事である。

 神典で云えば、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神皇産霊神(かむみむすびのかみ)の二神が顕現して、活動を起されてからの事である。此神の活動を縦に考察する時に、時間という観念が起り、又之を横に考察する時に、空間という観念が起る。活動がなければ、時間もなく、空間もない。」

 つまり、霊と体が顕れて時間・空間が生まれたということ、つまり、天祖・天之御中主神が、時間と空間、つまり時空を生み出した神であるということである。

 大本略義には、さらに「神の黙示」と題して、今の「三大学則」が示してある。天地の真象、万有の運化、活物の心性を見て、真神の体、力、霊魂を思考することが、真神を「悟る種」になると示してある。

 「活限を開いて素直な心で対すれば、悟りの種は随時随所に充満して居る。それが即ち神の黙示であるのだ。

 〈神の黙示〉   
 一、天地の真象を観察して、真神の体を思考すべし。一、万有の運化の毫差なきを見て、真神の力を思考すべし。
 一、活物の心性を覚悟して、真神の霊魂を思考すべし。
 吾々は実に此活経典に対して、真神の真神たる所以(ゆえん)を悟る事に努力せねばなるまい」

 八十年前のパインタラ事件のあった日と同じ日に、艮坤二神のご隠退された冠島・沓島と亀岡・綾部の両聖地を通り抜けた台風は、私にとって、時間と空間を生み出した「神の黙示」であり、また「悟りの種」となり得るものである。

○多賀谷紫(ゆかり)さんの「悟りの種」

 ところで、私はかつて、大本山口本苑の多賀谷紫さんに、台湾時代のインタビューをした(『愛善世界』平成27年7月号掲載「台湾時代の思い出」)。

 その中に、第二次大本事件でご苦労されるなか、「型の大本」のとおり、昭和十六年十二月八日に太平洋戦争が始まり、涙を流されたお話【註1】、さらに、爆弾が自宅近くに落ちたものの聖師の像が身代わりとなって母と妹が助かったお話【註2】があるが、それらは多賀谷さんにとっては、偶然の出来事ではない。

 それぞれが、多賀谷さんにとって「神の黙示」であり、「悟りの種」として、多賀谷さんの信仰の礎となっている。

 【註1】昭和十六年十二月八日に開戦となったとき、その日が大本が弾圧を受けた十二月八日と同じ日でしたので、十二月八日だと言って、父も母も泣きました。大本は型が出ると言いますが、ほんとに型が出ました。

 【註2】家のすぐ前の道路には十キロ爆弾も落ちました。しかし、飛行機が去った後、‥二人(母と妹)とも‥じっと立っていました。

 その時、家にあった聖師さまの観音像が、胸のところから真二つに、ぴーっと割れていました。やっぱり、身代わりになっていただいたのだなあと思って、涙が出ました。

 このように、私どもは神様から助けていただいていますので、大本からは絶対に離れられないのです。

○数運は天運に相(あい)合(がっ)す

 大本と提携関係にあった道院の昭和十三年に出た壇訓という神示で、聖師は「数運は天運に(あい)(がっ)す」る者と示されている。【註3】

 特にパインタラ事件に関しては、出口和明先生が説明されたように、パインタラ事件前日までの聖師の蒙古滞日数の百二十六日が、第一次大本事件での聖師の獄中日数と一致することや、百二十六の数字が、聖書ダニエル書第七章で、獣が支配する時の間に一致している。【註4】

 【註3】老祖訓 昭和一三、二、一八。於瀋陽道院

 道を修むる者は、必ず艱辛を()て、始めて能く以て道果を證する也。数運は天運と相合す。尋仁(じんじん)は化世の大責を負う者、必ず数運と天道の輪轉に(したが)い、以て世間諸劫の障を受くる也。(『神の国』昭和二十六年十二月号 土井靖都「数運は天運と相合す」)

 【註4】蒙古滞在 奉天後 大正一三・二・一五~六・二  

 第一次事件獄中 大正一〇・二・一二~六・一七

 聖書ダニエル書第七章二五「彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手に渡される」   

 従って、台風六号の襲来日が、パインタラ事件の日と一致することも、聖師に関わる数運が天運と合致した一つの事柄と考えることも不思議ではない。たまたま日付が符合・一致した「偶然の出来事」とは、どうしても思えないのである。

 永久(とことわ)に救世主神として聖師のご神霊のご活動があることを信じる者として、天地の我々の目に見える形で、今なお、まさに生きた神として大神のご活動があることを実感できるのは、我々の信仰のいかに励みに、勇みになることだろうか。

○台風六号は天地の祓い清め

 ところで、台風六号の「神の黙示」が示すものは何だろうか。私は天地の潔斎を思い浮かべる。天地の潔斎は、天津祝詞や神言でいう祓戸四柱の大神の働きであるが、その大仕上げは速佐須良比売(『霊界物語』39巻「大祓祝詞解」)、つまり素盞嗚尊(同10巻29章「言霊解三」)であり、聖師の御霊(おみたま)である。

 素盞嗚尊たる聖師がパインタラで事件に遭われて八十年後のまさにその日、台風六号により神島と冠島・沓島及び綾部、亀岡の大本の聖地が祓い清められたのである。「型の大本」と言われているのであるから、大本の祓い清めは、日本の祓い清めとなり、そして世界の祓い清めへとつながって行くことになる。

 八十年前の蒙古と現在の日本の時空をリンクさせ、大本を、日本を、世界を祓い清め、そして救っていこうとなされる救世主神・神素盞嗚尊大神のご神業のスケールの大きさに、改めて感嘆せざるを得ない。

        (平28・10・19記)
〔『愛善世界』平成31年3月号掲載〕

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