㉗ 御手代お取次のご神徳

「愛善世界」誌掲載文等

~草野一也さんと『真(しん)如(にょ)能(の)光(ひかり)』~

 福島県の草野一也さんの「御手代(みてしろ)取次(とりつぎ)のご(しん)(とく)談」についてご紹介したい。今年八月十一日(日)、瑞生大祭前日の夜、愛善荘においてお聞きした内容である。

 なお、東日本大震災の犠牲者の慰霊祭を、草野さんらが行われていることを『愛善世界』誌でご報告した【註1】。この中で慰霊祭が始まる前には体がきつくなり、終われば楽になるという体験を、草野さんが語られている。

草野一也さん(79)

 また、「御手代お取次のご神徳談」が大正時代発行の『(しん)(にょ)()(ひかり)』に掲載されている。驚くほど多くのご神徳談があるので、併せて紹介したい。

 今なお、厳然とご神徳が発揮されている「御手代お取次」の御用に、宣伝使としてもっと励まなければならないと、私は改めて思った。

 【註1】平成二十八年九月号〔東日本大震災犠牲者慰霊五年祭レポート②「震災地慰霊祭を草野一也さんに聞く」〕

草野さんの御手代お取次 ~草野さんが語られた内容~

〇肋骨(ろっこつ)のひびが消える

 私が、福島で会社経営をしていた平成二十年ころ、四十代の女性の従業員から「夫婦喧嘩をして、夫から蹴られて肋骨二本にひびが入った。全治二か月の診断書が出た」との話があったので、夜自宅に呼び、お取次をした。

 女性が、ひびが入って四日が過ぎて病院に行ったところ「ひびがない」という。医師が、前に写したレントゲン写真を持ってきて「こっちの写真には、ひびが入っているんだけどなあ。誤診かなあ」と首をひねっていたという。

 いつも私は、お取次に当たって、まず天津祝詞を上げて(みづの)()(たま)様に病気平癒をお願いする。そして、悪いところに御手代をもっていき、天の数歌を三回唱えた後に、気合いを入れることにしている。この女性の時にも、御手代を女性の脇のところにもっていき、すごく気合いを入れた。

 すると「ホッカイロを当てたのか。熱いものが走った」と女性が言った。また、別の従業員が右ひざが痛いというのでお取次をした時も同様に「ホッカイロを当てたのか」と言われた。この従業員は医者から手術をしなければならないと言われていたほどであったが、翌日には痛みが消えて、スキップをして出社してきた。

〇遠隔お取次が始まり

 宣伝使を拝命し御手代を下付されたのが平成十一年八月。平成二十三年の東日本大震災による原発事故が起きる前まで、私は福島県大熊町に住んでいた。御手代をいただいて間もないころ横浜で孫が生まれたが、お取次の始まりは、よく熱を出していたこの孫への遠隔お取次である。

 孫が熱を出すと母親から電話があった。そして「これからお取次をするよ」と電話をしてから遠隔お取次を始めた。すると、ばんばん出ていた孫の発熱が三十分くらいで落ち着いていた。二、三年間、孫のため無我夢中でこの遠隔お取次をした。

〇信仰が本気になる

 私が信仰にたどり着くまでの道のりは、けっして平坦ではなかった。

 信仰二世ではあるが、若いころは「神様がどこにいるのか」というほどで、三十五歳ごろ親と同居していた家を飛び出した。福島原発の建設工事で大型ダンプにも乗ったが、その後、会社を立ち上げた。

 長男が会社を手伝っていたが、平成七年に人身事故を起こした。この時、長男も妻も神様にすがったが、相手が回復して行くと神様の方にはだんだんと向かなくなった。

 妻は「信仰はお父さんだけ一生懸命やればいい」と言い、長男といっしょに家を出ていってしまった。信仰をしているのに家庭がばらばらになり「どうしてこうなるのか」と神様を疑うほど落ち込んだ。

 その後、宣伝使を拝命した平成十一年以後のことだが夢を見た。愛善荘のご神前で、自分の手から黄金の光がどんどん出て来る、とても鮮明な夢だった。

 長男の事故で家族ぐるみで信仰に励んだものの、結局家族が崩壊してしまった。しかし、これがきっかけで神様にすがるしかないと思い、信仰が本気になった。

御手代お取次のご神徳 ~『真(しん)如(にょ)能(の)光(ひかり)』より~

 「御手代お取次」のご神徳の実例が、大正十四年十一月から大正十五年十一月まで、十二回にわたって『真如能光』で紹介してある。

 さまざまな病気や怪我が「御手代お取次」により治癒している。また、事例のなかには、草野さんのお取次を受けて「ホッカイロの熱さを感じた」と同様、「薄く柔らかい毛で撫でられた気持ちよさ」を感じた例〔大正十五年三月五日号〕もある。   

御手代

 なお、『真如能光』のご神徳談には「お杓子で撫で」との記載が多くあるが、現在、大本信徒連合会では次のように指導している。

 「〇御手代お取次の心得について
  …患部と思われるところをよく撫でるごとくに…ただし、直接身体には触れないこと

〔大正十四年十一月十五日号〕
「三年間中風症で半身不随であったが、霊界物語を拝読し、九日間、毎日一回のお杓子のお取次で杖で歩けるようになった」など九例。

〔大正十四年十一月二十五日号〕
眼病で人の顔が見えなかったのが、四日のお取次で、一人で支部へ参拝できるようになった」など四例。

〔大正十四年十二月十五日号〕
「魚の大きな釣針が肉体に突っ込んだが、天津祝詞の奏上と祈願をし、一二回お杓子で撫でたら釣針が取れた」など十一例。

〔大正十五年一月五日号〕
  ◇お杓子にて鎮魂を奉仕する時の心得
 〇瑞御霊の大神を一心に念じること。
 〇ご神徳について疑いの念が少しでもないこと。
 〇我慾があってはならないこと。虚心坦懐であること。
 〇必ず治るとかの断言は仕方がないが、神様によくお願いしておくこと。
 〇お杓子は袋に入れ神床に奉置し、お取次の際はその上を白紙で包み、病人に触れたので取り除いておくこと。

「二三年来の神経痛が、お取次で即座に治癒した」など七例。

〔大正十五年一月五日号〕
火傷をお杓子で撫でて痛みがなくなり、きゅうりの水をつけて痕もつかずに癒った」            など二例。

〔大正十五年一月十五日号〕
 病気鎮魂の御神徳
急性腹膜炎で二三回のお取次で全治し、医師も驚いた」など九例。

〔大正十五年二月五日号〕
腹部の直径四寸大のかたまりが、瑞霊に祈願しつつお杓子で二三回撫でたら、即座になくなった」など八例。

〔大正十五年三月五日号〕
目も開けず口もきけなかったが、大神に祈願し神言奏上。紙に包んだお杓子で額を撫で瑞霊に祈願。すると眼が開き『薄い柔らかい毛のようなもので撫でているようで、何とも云えないよい気持ち』と語った」など十三例。

〔大正十五年五月五日号〕
 聖師「之は飯をすくふ杓子では無いぞ、世を救ふ杓子じゃ。痛い者があったら撫でゝやれ、癒るぞ、そらやろう」
「中指が腫れるひょう疽の強い痛みがあったが、瑞霊に祈願し、お土を塗った上を御手代で撫で、霊界物語を聞いて全快した」など五例。

〔大正十五年五月十五日号〕
  (霊験実話)
「眼病で片眼失明。聖師のご拇印で祈念したらが飛び回ってご拇印の箱に止まり、朧げに見えるようになった」など五例。

〔大正十五年五月二十五日号〕
「八歳の男の子の高熱と頭痛が、瑞の御霊へ祈念し御手代で二回撫でて癒った」など八例。

 

〔大正十五年七月五日号〕
母乳が出なかったが、聖師のご拇印での祈念と御手代での祈念で母乳が授与された」       など五例。

〔大正十五年十一月五日号〕
腸チブスで体温四十度三分で危険状態となったが、十一回のお取次で快癒した」など十二例。

《参 考》

① 御手代の由来等

 〔『真如の光』大正十五年六月十五日 出口王仁三郎聖師ご教示『宣伝使の心得』(みいづ舎)〕

「大本において大正十二年以来御手代として杓子を信仰堅実なる信者に渡すことに神定されたのも、未申の金神瑞の大神が、丁度(しゅうとめ)が嫁に権利を譲渡すると同様に治病一切の神権を譲って下さると云う御経綸であって、杓子の拝戴者は実に神の殊恩に浴したる人と云うべきものである。御手代の神力無限なる理由は実にこの意義から特別の御神護あるものと察することが出来るのであります。
 又盃や茶碗、拇印なども御手代の一つであって、杓子と同様の御神護あるべきものであります」

② 発動への対処

〔大正十五年十一月八日 宣伝使会合に於て 出口王仁三郎聖師ご教示『宣伝使の心得』(みいづ舎)〕

問  御手代を頂かしておる間に発動して来た場合にどうしたら宜しいものでございましょうか。

御答 それは鎮めておいたらよい。それを問答をして白状さしてしまうと、その精霊が、人間の体中に入っておるということに気がついてその人を殺そうとするものである。…この事は霊界物語【註2】に書いておいたと思います。

【註2】
(すべ)て人間は精霊の容器であつて、此精霊は善悪両方面の人格を備へてゐるものである。(しか)して精霊が(かか)り切つた時は、其人間の肉体を自己の肉体と信じ、又(その)記憶や想念言語迄も、精霊自身の物と信じてゐるのである。

…而して精霊には正守護神と副守護神とがあり、副守護神なる者は人間を憎悪する事最も劇甚にして、其霊魂と肉体とを併せて之を亡び尽さむ事を願ふものである』
  〔霊界物語第49巻第9章「善幻非志」〕

       (令元・12・20記)
〔『愛善世界』令和2年3月号掲載〕

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