五月三十日の勉強会は五十三巻一二章「鬼の恋」から一三章「醜嵐」まで。カルナ姫は、その美貌で二人のバラモン将軍を恋の虜となし、二人の中に葛藤を起こさせる。思惑どおり、二人は軍刀で斬り合いを始める。
これと似た話が毎日新聞「ウクライナの別の視点」にある(4・18)。『文芸春秋』五月号のエマニュエル・トッド氏の論文を紹介。「米英はロシアの侵攻が始まる前から、ウクライナへ大量の高性能兵器と軍事顧問団を送り込み、『武装化』を促していた」。米英が二国の戦争を煽ったというのか。米国の兵器企業が旧式兵器の在庫を一掃したとの記事もあった。
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一三章「醜嵐」の余白歌。「いたつきの身は今朝も亦もの食わず臥して祈りぬ人の世の為」。出口聖師の病の話が三鏡にもある。世人の病を聖師は苦しみをもって御身で受けておられる。
「方々から祈りの声が聞えて来る、と同時に、手が痛くなつたり、頭が痛んだり、腹が痛んだりして来る…『御手代』が沢山出ていつた今日では、其声…フシヤフシヤフシヤと聞えて来る。…体は苦しくなる一方である。『御手代』さんを誰にやつてくれ…と頼むけれど…さう容易くは出せないのだ、皆我身にかかつて来るのであるから」
(水鏡「祈りの声が聞える」)
「楽な日とては一日もない。いや長い年月の間にたつた三日あつた。其時二代が生きるか死ぬかの苦しみをした。王仁の代理をして居たのだ」
(玉鏡「天地への義務で生きて居る」)
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入蒙記に、キリストの十字架上の釘の聖痕が聖師の掌に現れ、盛んに出血したとある(一五章「公爺府入」)。つまり、聖師の救世主・贖い主たる証拠は肉体上に示されるということで、贖いも、聖師の御身肉体の苦しみをもってである。
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聖師が未決監から家族へ当てた手紙(永岡崇・日沖直子編『第二次大本事件獄中書簡資料集』)にも、病のことが出て来る。まさに千座の置戸を負われる獄中で、贖い主として世人の病を御身で受けておられる。
「七十八日間食慾欠乏し身体非常にすいじやくした…約九十日入浴もせず運動もせずずいぶんやせて骨が出てそこらがさわるといたいです」 (昭12・5・15)
「歯がいたみ通しです 而て頭が非常にいたみフラフラします」 (昭12・6・29)
「父も満二年ぶりで運動と入浴を許されるまで身体か恢復しました」 (昭14・3・1)
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また、手紙には、三代さまへの心配が多々出て来る。
「此頃朝野は少し神経こうふんしてゐるやうですから充分の注意を頼みます」 (昭11.7.5)
「朝野は綾部に居ないのか去ル七月五日から一度も返事をして呉れぬので心配してゐる」
(昭11・9・1)
一方、三代さまも病身の聖師を案じておられる。
父重態の報をうけとり大阪刑務所にゆきたれど
「老父の病室に入るを許されず蠅にてあらば飛びてゆかむを」 (歌集「ちり塚」)
(令4・6・9)
〔『愛善世界』令和4年8月号掲載〕
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