一大王国の建設(レポート35)

勉強会レポート

 私は車の中で、自分が拝読した霊界物語の録音を聞いており、今朝は六十六巻を聞いた。その序文に「六十七巻として蒙古入りの真相を」「いよいよ六十八巻となり」とあることから、入蒙記は当初、六十七巻として発刊される予定であったことがわかる。

 また、六十六巻が蒙古入り後(「序文」大正十三年十二月十八日付)であることもわかるが、この序文に気になる箇所があった。

「無抵抗主義の三五教が軍事に関する行動を執るのは、少しく矛盾のやうに考へる人もあらうかと…混沌たる社会においては、ある場合には武力を用ふるの止むなき場合もあり…阿弥陀如来でさへも、慈悲を以て本体としながら、右の手にて折伏の剣を()ち、左手(ゆんで)には摂受(せつじゆ)の玉を抱へて、衆生済度の本願を達せむとしてゐる」

 三五教が軍事行動も執るとある。実はこの序文と同じ内容が、出口聖師の入蒙に関するお歌の中にある。

「喇嘛寺の塔上に立ちて指揮すればわが軍兵はよく戦へり」

「四五十の戦死者残して敵兵はあなたの谷に退却をなす」

「愛善の道説く身ながら戦の庭に立つよを憂しと思へり」

「折伏の剣は阿弥陀も持てるてふこと思い出して自ら戦ふ」

「左手には摂受の玉をかかへつつ右手に折伏の剣握りて立てり」

   (第十一歌集『山と海』(昭和八年六月発行)昭和七年九月「蒙古の月」)

 六十六巻の序文が、蒙古における銃撃戦を踏まえたかのような印象を受ける。

 二月二十六日(月)の勉強会は、入蒙記の四章「微燈の影」から七章「奉天の夕」まで。この中に基本フレーズ「一大王国の建設」がある。

「蒙古の大原野に一大王国を建設し()い」(四章「微燈の影」)

「蒙古に新彊(しんきやう)に王国を建設」 (五章「心の奥」以下も)

「蒙古に一大王国を建設」  

「宗教的、平和的に蒙古を統一し、東亜聯盟(れんめい)実現の基礎を(たて)て」   

「我皇国存立の為、東亜安全の為、世界平和の為に、我国が率先して天与の大蒙古を開拓」 (六章「出征の辞」)

  一大王国の建設は、結果的に満州国建国につながって行くのではないかとの感想を、私が述べた。すると、確かに満州国執政溥儀(ふぎ)を、出口聖師は日本に迎えようとされたが、当時の複雑な社会情勢の中で何とも言えないとの発言があった。

 四章「微燈の影」に、隆光彦が支那五大霊山の一たる泰山に登り、曲阜の孔子廟に詣でたとある。私も二十年ほど前、妻と泰山と孔子廟に行った。泰山の道教の寺院にお参りした時、道士が中から出て来て、妻を選んだかのように渡した虎の石細工が、今も家に残る。 

(令6・2・29記)

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