○神か狂(きちがひ)か
入蒙記は霊界物語特別編となる前、「王仁蒙古入記」(上野公園著)として大正十四年二月に出版されている。特に入蒙記の六章「出征の辞」から三五章「黄泉帰」までは、王仁蒙古入記の文章そのままである。
一方、王仁蒙古入記から入蒙記に転載されなかった章がある。「挙兵事情(一)~(五)」の章で、当時の政治・軍事状況を詳しく説明してある。
さらに「神か狂か」の章がある。ただし、この 後半にあるお歌は、入蒙記の五章「心の奥」後半に転載されている。この中にキリストに関わるお歌がある。
「古のエスキリストも甞めまじきその苦しみを吾に見る哉」
「神か狂か」の章の前半に入蒙の目的が語られている。
〔入蒙の目的〕
「蒙古王国の建設より延いて新彊、西蔵、印度、支那の全土を宗教的に統一し、東亜聯盟の実行を成就し、次いでロシア、西比利亜にその教勢を拡め、パレスチナのエルサレムに再生のキリストとして現はれ、欧米の天地に新宗教的王国を建設し」
こんなことを言う王仁は、はたして神か狂かと。
〔神か狂か〕
「神であらうか、魔か人か、誇大妄想狂か、二重人格か、変態心理の極致に達せる者、大怪物か大馬鹿者か、気違」
こう言われた後に、御自身の御神格を明らかにされている。
〔弥勒下生・キリスト降誕〕
「弥勒の下生。末法萬年の世を縮めて歓喜と平和と幸福とに充たされた神代の儘の黄金世界を地上に建設する弥勒如来」
「キリストの再臨。オリヲン星座から混濁せる地上を浄めて、天地萬有を安息させん為に、神命を奉じて此地の上に降誕」
なお、出口聖師が弥勒下生であり、またキリストの再誕であることの証明が、入蒙の目的の一つだと私は思っている。
「五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり、普く衆生済度の為め更に蒙古に降り」 (入蒙記八章「聖雄と英雄」)
「暗夜に日出雄の身体から黄金色の光が放射してゐたのを霊眼で認め」 (同一九章「仮司令部」)
「基督の聖痕迄も手に印し天降りたる救世の活仏」(同八章「聖雄と英雄」)
「日出雄の左の掌から釘の聖痕が現はれ、盛んに出血し」(同一五章「公爺府入」)
弥勒下生であり、またキリストの再誕である出口聖師が言われた入蒙の目的を、私は疑わない。
入蒙での遺言とされた「錦の土産」では、「東亜の天地を精神的に次に世界を統一するの心算なり」
(大正十三年正月五日)
とあるが、出口うちまる氏は出口聖師からエルサレム行きを聞いている。
「エルサレムまで行きたい…宗教連合をつくって」 (『大本七十年史資料』原稿と討議の記録)
また、同様のことを谷前清子さんも出口聖師から聞いている。
「わし、明日行くんや。しばらく帰れん…行ってみなわからんけど、わしは最後にはエルサレムに行くんや」 (『綾の機』第9号)
○霊身でエルサレムへ
大本本部の出口眞人さんが、エルサレムへの訪問を『おほもと』誌(平成十二年二月号)で報告している。霊界物語六十四巻上でブラバーザが宿泊した「カトリック僧院ホテル」に行き、感激している。
「その二階…を、私たちは今まさに目の前にしている…部屋はさほど大きなものでなく…カーテン…を開けると…オリーブ山(橄欖山)とスコープ山が見えた…確かに宣伝使・ブラバーザがここに滞在されたに違いない…その感激はひとしお」
確かに、六十四巻上にあるとおりである。
「カトリックの僧院ホテルへ…二階の一室に案内され」 (六十四巻上三章「聖地夜」)
このカトリック僧院ホテルのみでなく、六十四巻上にはその場に行かなければわからない教会や地名等が、臨場感をもって詳しく示されている。示されているものを、エルサレム旧市街等の地図に当てはめてみた。
①「現今のエルサレムの市街はアラブ、ユダヤ人、アルメニヤ人の住みて居る三ツの区域によつて仕切られて居る」(→今は四ツの区域) ②「ヘロデの門」 ③聖ステフアンの門(=ライオン門) ④「慟哭の壁(嘆きの壁)」 ⑤「汚物の門(=糞門)」 ⑥「聖セバルタン寺院(=聖墳墓教会):キリストを磔刑に処した場所」 ⑦「ダマスカスの門」⑧「死海」
その他、例えば「橄欖山の麓にあるゲツセマネの園と聖母の寺」「聖ヘレナの礼拝堂」「マヂの泉(一名マリアの泉)」「聖降誕の寺院」「乳の洞窟」「ハラム・エク・ケリフの神殿」「ヨルダン河及び死海から程遠からぬ所にエリコ」などがある。
こうした中で、何より臨場感を増すのが、シオン大学の建設場面である。
「ユダヤ人の計画したシオン大学の基礎工事は殆ど落成に近付き」(六十四巻上一一章「公憤私憤」)
実際、エルサレム・ヘブライ大学が大正七年(一九一八)に設立されている。
今回、文章を書くに当たってイスラエルの旅行ガイドを買ってみたが、イスラエル建国一九四八年以前の当時、日本にどれだけの情報があっただろうか。
霊界物語での臨場感あるエルサレムの詳細な記述は、出口聖師が霊身でエルサレムに行かれた証に他ならない。時期は、エルサレム・ヘブライ大学設立の大正七年ごろではあるまいか。
○キリストの再誕たる出口聖師
出口聖師は、御自身がキリストの再誕であることをお歌で示しておられる。
「十字架を負ひて此の代に降りたるひとは暗世の光なりけり」 (言華『神の国』昭和三年七月号)
「東方の光となりてあらはるるメシアは珍の聖地にひそめり」 (言華『神の国』昭和八年一月号)
「キリストの牧師らわれを知らずして贋キリストといふぞをかしき」(言華『神の国』昭和八年一月号)
また、六十四巻上で宣伝使のブラバーザが言う。
「既にメシヤは高砂島の桶伏山麓に再誕されて居りますよ」 (六十四巻上二章「宣伝使」以下も同)
さらに、九箇の大資格がメシアに必要との問いに、
「メシヤと云ふ人格者は目下高砂島の下津岩根に…其名はウヅンバラ・チヤンダー」
そして、宣伝歌の「大聖師」が続く。
「三千世界の人類や…救ひの御船を…神幽現の大聖師…太白星の東天に閃く如く現はれぬ」
加えて、出口聖師の誕生日十二日(七月)とキリストの復活祭の十二日(四月)が一致することにも触れている。
「十二日は聖師ウズンバラ・チヤンダーの降誕日に相当…当日は聖キリストの復活祭」(六十四巻下一章「復活祭」)
○メシヤの御教え
メシヤの御教えは霊界物語等全般にわたって説かれているが、入蒙記や六十四巻上・下に示されものを紹介する。インパクトが強い。
〔火の洗礼〕火の洗礼たる霊界の消息を示し、世界人類を覚醒せしめる。
「キリストは…再び地上に再臨して火の洗礼を施すべく誓つて昇天した」 (入蒙記一章「水火訓」)
〔国境と軍備の撤廃〕世界平和のためには、有形無形の障壁を取り除く。戦後の吉岡発言は軍備撤廃。
「有形無形この二つの大なる障壁を取り除かねば…対外的戦備《警察的武備は別》と国家的領土の閉鎖…国民及び人種間の敵愾心…宗教団と宗教団との間の敵愾心」(六十四巻上五章「至聖団」)
「本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したとき」 (吉岡発言 昭和二十年十二月三十日)
〔テルブソンの刃〕真の神に触れるには、一切を捨てる覚悟が必要。平和ではなく、刃を出すために自分は来た。新約聖書(マタイによる福音書10の34―39)や歎異抄(二章 地獄は一定すみか)の一節もあり。
「平和を出さむ為では無い。刃を出さむ為に来れり…信仰の為ならば、地位も…一切捨てる覚悟…家庭を円満に…功利心…真の神様に触れる事が出来ませうか」(六十四巻下一章「復活祭」)
〔僕の人生〕労働者から搾取する不労所得者の資本主義を激しく批判した内容もある六十四巻下は発禁となった。また、校正本では「君の仁政」が「僕の人生」に変更されている。
「僕の人生はどこにある…資本主義なる世の中は…不労所得者の賜だ…無数の吸盤で吾々の 生血を吸ふたり膏をば ねぶつて喰ふ資本主義 制度の此世にある限り 君等も吾等も助からぬ」 (六十四巻下八章「擬侠心」)
〔キリストを十字架に付けたのは〕世界を漂流していたユダヤ民族がイスラエルを建国し、軍事力を強化して、現在のハマスとの紛争に至る様をNHKで見たが、キリストを救世主と仰がず、十字架に釘付けにしたのはユダヤ民族だけでなく、全人類だとある。
なお、大本第二次事件も、キリストの再誕たる出口聖師にとって、人類の罪の贖い主としての十字架への釘付けではなかったか。
「イスラエル民族…二千六百年の間…世界を漂浪…キリストを十字架に付けた彼等の祖先の罪業の報い…は余り残酷過ぎる…人類全体…キリストを救世主と仰がなかつた…キリストの懐に帰つて罪の赦しを乞ふこと」 (六十四巻上七章「巡礼者」)
○出口聖師のエルサレム行きとは
ブラバーサはキリストの再誕と再臨について述べている。
「メシヤの再臨は世界の九分九厘に成つて、此エルサレムの橄欖山上に出現されることと確信いたして居ります。既にメシヤは高砂島の桶伏山麓に再誕されて居りますよ。再誕と再臨とは少しく意義が違ひますからなア」(六十四巻上二章「宣伝使」)
メシアは既に出口聖師として再誕されている、メシアがエルサレムに再臨されるのは「世界の九分九厘に成つて」からとある。
ところで、エルサレムでのブラバーサによる宣伝で、世界中へ救世主の名が知れ渡る。
「ブラバーサは…三五教の大宣伝をなし、其名を遠近に轟かし、数多の信者を集め…日の出島における救世主の名声は、地球上隈なく知れ渡り」(六十四巻下二二章「帰国と鬼哭」)
宣伝使の活躍で救世主の名が世界中に行き渡り、御教えも宣伝されれば、結果的に救世主がエルサレムに再臨したと同じなのではないか。
私は、入蒙を考える(その三)でこう書いた。
「出口聖師は、松陰が発揮した活動力を信徒に求めたのか、入蒙についてこう示されている。
『卑劣で柔弱で…真の勇気が』ない信徒を、『神の聖霊の宿つた活きた機関として…活動せしめむと…模範を示す為に…蒙古の大原野を…開拓すべく』 (二章「神示の経綸」)」
出口聖師のエルサレム行きの発言は、この延長線ではなかったのか。卑劣で柔弱で真の勇気がない信徒を、エルサレムで活躍したブラバーサのような立派な宣伝使とするために、あえてエルサレム行きを出口聖師は言われたのではないか。
出口聖師のその意気込みに、入蒙百年後の我々も応えなければならない。「世界の九分九厘に成つて」から再臨すると言われたメシアの御教えを、我々は勇気をもって、神の聖霊の宿った活きた機関として宣伝しなければならない。エルサレムに行った時には勿論のこと、世界に向けても。
【余録】
六十巻の「三美歌」は、キリスト讃美歌をベースにしている。御自身がキリストの再臨であることを、出口聖師が示されたものの一つと考える。
三美歌には、( )でキリスト讃美歌の譜番号が付され、歌えるようになっている(ただし、現行の譜番号とは異なる)。また、その三美歌の内容もキリスト讃美歌を受けたものになっている。
なお、『綾の機』には、大本三美歌が楽譜とともに載せてある(楽譜は『綾の機』第47号)。
これを、キリスト教系短大に行った妻が持っていた讃美歌と照らし合わせてみたところ合致した。
妻が生きていた時に、讃美歌を歌うのを聞いたことはなかったが、孫たちに幼児向けの曲を歌っていたのは聞いた。
「幼児向けの曲に合わせて妻歌う孫に聞かせる声はソプラノ」 (「愛善歌壇」平二八年七月号)
(令6・3・21記)
コメント