○八王子
九年前の平成二十六年九月、妻の母親の三回忌の法要で名古屋に行った。法要の後、津島市にある素盞嗚尊を祭神とする津島神社に参拝した。
津島神社は、素盞嗚尊が午頭天王【註1】とも称されることから天王社と呼ばれ、全国に三千社ある御分霊社の本社となっている。
出口聖師の御霊は素盞嗚尊【註2】であり、また、「自分は信長であり、秀吉、家康」だと出口聖師は言われている【註3】が、津島神社は、織田氏や豊臣氏、徳川氏の厚い庇護を受けている。
さらに、出口聖師の実父熾仁親王の有栖川宮家の祈祷所ともなっており(以上、津島神社ホームページより)、出口聖師とも関わりの深い神社である。
その摂社の中に、元は「八王子社」と称された八柱社があった。素盞嗚尊と天照大御神の誓約により生まれた素盞嗚尊の三女神と天照大御神の五男神の八柱の神を「八王子」としている。
八王子は十二巻にも出て来る。瑞の霊と厳の霊に通じる記述となっている。
「三女の霊に対して、この五柱の命を五男の霊とも申します。之を仏教では八大竜王と唱へまして、京都の祇園では八王子というて」(十二巻二九章「子生の誓」)
なお、三女神と五男神は以下のとおり。(番号は筆者が入れた)
〔三女神〕①多紀理姫命(尚武勇健の神)=深雪姫、②市寸嶋比売命(稜威直進、正義純直の神)=秋月姫、③多気津姫命(突進的勢力迅速の神)=橘姫
〔五男神〕①正勝吾勝勝速日天の忍穂耳命(不撓不屈勝利光栄の神)、②天の菩卑能命(血染焼尽の神)、③天津日子根の命(破壊屠戮の神)、④活津彦根命(打撃攻撃電撃の神)、⑤熊野久須毘命(両刃長剣の神)(十二巻二九章「子生の誓」より)
【註1】「牛頭天王は素盞嗚命の御事」(「水鏡」牛頭天王と午頭天王)
【註2】「わが魂は神素盞嗚の生御魂瑞の神格に充されてあり」 (四十一巻一六章「三番叟」余白歌)
【註3】「信長は…そう秀吉であり、同時に家康であり、三つの御魂の活動をしていた」(「月鏡」身魂の因縁)
○素尊を支える三男神
ところで、八柱社の説明板には「須佐之男命の五男三女の御子神」とある。つまり、三女神に加えて五男神も素盞嗚尊の子となるが、十五巻に、⑤熊野楠日の神を神素盞嗚尊の子とする表現がある(番号は筆者が入れた)。
「両刃の長剣の神の生身魂、⑤熊野楠日の神とは吾事なるぞ、八島主とは此世を忍ぶ仮の名」 (十五巻二二章「和と戦」。次も)
「妾は…幾代姫…父は生憎の不在なれども、妾が兄八島主父の代理として留守を致して」
⑤熊野楠日の神が八島主の名で、神素盞嗚尊が救世の拠点としたウブスナ山脈頂上斎苑高原の宮殿を守っている。
また、①正勝吾勝勝速日天の忍穂耳命も神素盞嗚尊の神政に加わっている。
「①吾勝命は…日の出別神と現はれて、神政を執り行はせ…言依別命は…日の出別神に面会し、神素盞嗚の大神のお隠宅を教へられ」(十五巻一九章「第一天国」)
加えて、④活津彦根命は、高天原を追われた素盞嗚尊の最初の理解者となり、また、尊の娘愛子姫を妻としている。
「天の岩戸の変は貴神の罪に非ず、罪は却つて天津神の方にあり」(十五巻一二章「一人旅」。次も)
「時雨の中の一人旅、実に淋しい思ひを致したるが…一人の同情者を得たり」
「貴下は高国別の宣伝使、④活津彦根神に在さずや」 (十五巻一五章「山の神」。次も)
「素盞嗚の大神の御許しを得て第一の御子たる、此愛子姫様を貴下の妻と神定め」
このように、三男神は素盞嗚尊を支えている。
○疑い深い厳の霊
ところで話が前後するが、天照大御神は、三女神の一人、①深雪姫が武芸に励む様子を見て、素盞嗚尊が国を盗りに来たのではないかと疑う。
「天照大御神は、善言美詞をもつて世の曲業を、見直し聞き直し詔り直すべき天地惟神の大道を無視して、殺伐なる武器を造り武芸を励むは弟神素盞嗚命の高天原を占領せむとする、汚き心のあるならむと、内心日夜不快の念に駆られ給ひつつあらせられた」(十二巻二二章「一嶋攻撃」)
しかし、①深雪姫が武芸に励んでいたのは、悪魔征討の準備のためであった。
「悪魔は剣の威徳に恐れ、武術の徳によつて心を改め、善道に帰順」「武術は決して折伏のためではない、摂受のためだ。悪魔を払ひ万民を救ふ真心から出でさせられた御神策」(十二巻二二章「一嶋攻撃」)
天照大御神の誤解であるのだが、元々疑い深い御性格である。
「変性男子の霊で、随分烈しい我の強いかみさま」(十二巻二五章「琴平丸」)
「霊性はお疑いが深い」(十二巻二九章「子生の誓」)
天照大御神の烈しい霊性と疑いの深さから、五男神の二人を遣わして、素盞嗚尊の三女神の二人を武力で攻撃する。
○攻撃の峻烈さ
二男神の攻撃は峻烈で、全島を焼き滅ぼし人民を虱殺しにせんとの勢いであった。
「②天菩比命とか云ふ血染焼尽の神様を遣はして、全島を焼滅ぼし」「③天津彦根命…が…竹の島の宮殿を破壊したり、人民を…虱殺に屠り殺す」(十二巻二五章「琴平丸」)
まさに天照大御神こそ、「善言美詞をもつて世の曲業を、見直し聞き直し詔り直すべき天地惟神の大道」(十二巻二二章「一嶋攻撃」)を無視していた。
しかし、二男神は二女神の柔らかな対応にアフンとして疑いを晴らす。
「①深雪姫様は案に相違の美しき瑞霊の神様であつたと云ふ事が分り、アフンとして帰られた」「サルヂニヤの①深雪姫様のやうに柔かく出られて、アフンとして帰られ」(十二巻二五章「琴平丸」)
○心の岩戸を開く言霊
①深雪姫が②天菩比命の「心の闇の岩屋戸を開く」よう言向和したところ、②天菩比命が「懺悔の念」を抱く。これは「天の岩戸開き」のテーマに迫る。つまり、天照大御神が素盞嗚尊を疑っていたということは、天照大御神が心の岩屋戸を閉めていたことになる。
「世の悉は何事も 直日に見直し聞直し 言向和し宣り直す 誠一つの一つ島…善と悪とを立別ける 神が表に現れて 疑ひ深き空蝉の 心の闇の岩屋戸を 開かせ玉へ」
「②菩比命は思ひ掛無きこの場の光景に力脱け、懺悔の念に堪へ兼て」(十二巻二四章「言霊の徳」)
また、竹の島に攻め行った③天津彦根神も、②秋月姫の天津祝詞に心を和らげる。
「荘厳なる一絃琴の音爽かに天津祝詞の声清々しく響き居る。天津彦根神は祝詞の声に心和ぎ茫然として耳を傾け聞き入りぬ。暫くにして太刀、弓矢を大地に投げ付け両手を拍つて共に神言を奏上する急変の態度」(十二巻二六章「秋月皎々」)
そして、②菩比命は素盞嗚尊の心の麗しさを天照大御神に報告した。
「菩比命の降臨によつて、須佐之男命の麗しき御心判明し、命は直に高天原に此由を復命さるる事とはなりける」(十二巻二四章「言霊の徳」)
つまり、二男神が素盞嗚尊の御霊の清らかさが証明し、結果的に素盞嗚尊を支える立場となっている。
なお、天照大御神が岩屋戸から出られたのも、②天菩比命や③天津彦根神の二男神と同様、言霊によるものとなっている。
「八百万の誠の神たちがよつて来て言霊を上げたから岩屋戸が開いたのであります…決して鏡に映つたから自分でのこのこ御出ましになつたと言ふやうな訳ではありませぬ。つまり献饌し祝詞を上げて鎮魂帰神の霊 法に合致して、一つの大きな言霊と為して天照大御神を、見事言霊にお寄せになつたのであります」(十五巻三○章「天の岩戸」)
○伊(い)都(づ)能(の)売(め)の身魂
このように、天照大御神の五男神が素盞嗚尊の心の清らかさを証明したり、また、尊の救世の御活動を支えたりしている。
つまり、厳霊・天照大御神と瑞霊・素盞嗚尊とが、実は天の岩戸開きを通じて厳瑞一体の御神業を進めておられるように見えるのだが、十五巻に、神素盞嗚尊が「伊都能売の身魂」だというお示しが出て来る。
「われこそは豊国姫神の分霊否伊都能売の身魂、神素盞嗚なるぞ」(十五巻二一章「帰顕」)
では、伊都能売の身魂とは何か。天祥地瑞七十三巻に、厳瑞二霊が接合したもの、その結果は瑞の御霊だとある。
「厳の御霊、瑞の御霊二神の接合して至仁至愛神政を樹立し給ふ神の御名を伊都能売神と申す。即ち伊都は厳にして火なり、能売は水力、水の力なり、水は又瑞の活用を起して茲に瑞の御霊となり給ふ」(天祥地瑞七十三巻一二章「水火の活動」)
これは、瑞の御霊が厳の御霊を含めて、神権を一身集めておられるというお示しに合致している。
「天地の統御神たる日の国にまします厳の御霊に属する一切の事物は残らず瑞の御霊の大神の支配権に属して居るのである。故に瑞の御霊の大神は大国常立大神を初め日の大神、月の大神其外一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまふのである」(四十七巻九章「愛と信」)
そうすると、天の岩戸開きも厳瑞一体となった伊都能売の身魂の御神業とすると、結果的には瑞の御霊による御神業の一端となる。
つまり、神素盞嗚尊による救世の御神業の活動拠点となる斎苑の館が、この天の岩戸開きの結果として定められるに至っている。
「神素盞嗚の大神は、ウブスナ山脈の頂上斎苑の高原に宮殿を造り、四方の神人を言向和し給はむと…此宮殿を本拠と定め…自らは表面罪人の名を負ひ給ひて、大八洲国に蟠まる大蛇、悪鬼、醜の神々を根絶せむと」(十五巻一九章「第一天国」)
そして、この十五巻の物語が基となり、三十九巻において、霊界物語のテーマともいうべき神素盞嗚尊による言向和しの宣伝使の活躍の物語が開始されることとなる。その宣伝使の中には五男神のうちの二神が入っている。
「茲に斎苑の館の八尋殿に大神は数多の神司を集めて、大黒主調伏の相談会を開始さるる事となつた。日出別神(吾勝命)、八島主神(熊野樟日命)…等を初め数多の神司が集まつて鬼雲彦の大黒主神を言向和すべく協議をこらされ…大黒主の館に立向ふ事となつた」(三十九巻一章「大黒主」)
《追記》
十月二十二日、家族で素盞嗚尊の三女神を祀る厳島神社をお参りした。ここには客神社として五男神が合わせて祀られ、八王子のようになっている。
また、有栖川宮家が津島神社に関係していたように、厳島神社においても、大鳥居に掛けられた扁額「厳嶋神社」と「伊都岐島神社」は、有栖川宮熾仁親王が書かれたものである。
〔令5年10月31日 記〕
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