教碑「神は万物普遍の霊にして 人は天地経綸の大司宰也 神人合一して茲に無限の権力を発揮⦿」。人のヒは神霊、トは留まる。⦿は主神のス。主神の神霊を宿した出口聖師。
この教碑は、本宮山建立の昭和六年以前の大正十二年十二月、すでに本宮山に伏せて置かれている。そして、翌十三年が入蒙。
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大12・12・9本宮山に伏せた「教碑」
大13・2・13入蒙
大13・6・21パインタラで「辞世」
昭3・3・3みろく大祭
昭6・9・8本宮山「教碑」「辞世」建立
昭6・9・18満州事変勃発
昭7・3・1満州国建国
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昭和三年三月のみろく大祭時にも教碑は建立されず、昭和六年、入蒙・パインタラでの辞世の歌碑と並べて建てられた。なぜか。「辞世」で歴史に刻まれた入蒙が、その後の満州事変や満州国建国へとつながるからではないか。

「よしや身は蒙古のあら野に朽つるとも日本男子の品は落さじ」 (三四章「滝口の難」)
大正十二年に弥勒最勝妙如来となられて臨まれた入蒙で、出口聖師はキリストの聖痕など救世主の証をされた。さらに昭和六年、教碑で「主神」の御霊であることを明確に示された。
「宇宙の本源は活動力にして即ち神なり」(六十七巻六章「浮島の怪猫」)
宇宙の活動力たる主神による経綸がこの時代を選んで行われ、大本弾圧を型にした日本の敗戦まで至る。教碑建立の十日後の九月十八日、満州事変が起きる。「今度の満州事変といひ‥神界の経綸が実現の緒についた」(昭和七年二月、大本瑞祥会第五回総会)と出口聖師が言われている。
そして、昭和七年三月の満州国建国に出口聖師は祝電を送られ、また、出口聖師の子供と言われる大石ヨシエ氏を遣わされている。
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十二月二十三日の勉強会は、入蒙記三十六章「天の岩戸」から三十九章「入蒙拾遺」を経て、入蒙余録まで。
入蒙余録の「蒙古建国」のお歌の中に、近衛隊に入隊したなお開祖の次男清吉の娘蘿龍が出て来る。
「わが父は蘿の身にしあれば蘿清吉とぞ名乗りゐたりき」
「この蘿龍三千余騎を従へて別働隊となりて働く」
なお、お歌に「わが父は張作霖の奸計にあざむかれつつ殺されにけり」とあるが、『入蒙秘話』(出口和明著)には「確実に昭和十四年までは健在であった」(一八四頁)とある。
(令6・12・24記)
〔『愛善世界』令和7年2月号掲載〕
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