宇宙の本源は活動力(レポート43)

勉強会レポート

 教碑「神は万物普遍の霊にして 人は天地経綸の大司宰也 神人合一して茲に無限の権力を発揮⦿()」。人のヒは神霊、トは留まる。⦿()は主神のス。主神の神霊を宿した出口聖師。

 この教碑は、本宮山建立の昭和六年以前の大正十二年十二月、すでに本宮山に伏せて置かれている。そして、翌十三年が入蒙。

大12・12・9本宮山に伏せた「教碑」

大13・2・13入蒙

大13・6・21パインタラで「辞世」

昭3・3・3みろく大祭

昭6・9・8本宮山「教碑」「辞世」建立

昭6・9・18満州事変勃発

昭7・3・1満州国建国

 昭和三年三月のみろく大祭時にも教碑は建立されず、昭和六年、入蒙・パインタラでの辞世の歌碑と並べて建てられた。なぜか。「辞世」で歴史に刻まれた入蒙が、その後の満州事変や満州国建国へとつながるからではないか。

本宮山の教碑(向かって一番右)と歌碑(一番左)

「よしや身は蒙古のあら野に()つるとも日本(やまと)男子(おのこ)(しな)は落さじ」 (三四章「滝口の難」)

 大正十二年に弥勒最勝妙如来となられて臨まれた入蒙で、出口聖師はキリストの聖痕など救世主の(あかし)をされた。さらに昭和六年、教碑で「主神」の()(みたま)であることを明確に示された。

「宇宙の本源は活動力にして即ち神なり」(六十七巻六章「浮島の怪猫」)

 宇宙の活動力たる主神による経綸がこの時代を選んで行われ、大本弾圧を型にした日本の敗戦まで至る。教碑建立の十日後の九月十八日、満州事変が起きる。「今度の満州事変といひ‥神界の経綸が実現の緒についた」(昭和七年二月、大本瑞祥会第五回総会)と出口聖師が言われている。

 そして、昭和七年三月の満州国建国に出口聖師は祝電を送られ、また、出口聖師の子供と言われる大石ヨシエ氏を遣わされている。

 十二月二十三日の勉強会は、入蒙記三十六章「天の岩戸」から三十九章「入蒙拾遺」を経て、入蒙余録まで。

 入蒙余録の「蒙古建国」のお歌の中に、近衛隊に入隊したなお開祖の次男清吉の娘()(リウ)が出て来る。

「わが父は(ひかりかづら)の身にしあれば()(シン)(キツ)とぞ名乗りゐたりき」

「この()(リウ)三千余騎を従へて別働隊となりて働く」

なお、お歌に「わが父は張作霖の奸計(かんけい)にあざむかれつつ殺されにけり」とあるが、『入蒙秘話』(出口和明著)には「確実に昭和十四年までは健在であった」(一八四頁)とある。

(令6・12・24記)

〔『愛善世界』令和7年2月号掲載〕

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