〇撞(つき)賢(さか)木(き)厳(いず)能(の)御(み)魂(たま)天(あま)盛(さか)留(る)向(むか)津(つ)媛(ひめ)之(の)神(み)言(こと)
六年前、妻の膵臓がんがわかり、最後の旅行先となった吉野山で、妻は、子に恵まれない娘のために一生懸命祈っていた。そして、妻の思いがかない、娘は子を授かった。
その様子を『愛善世界』誌に投稿した。
「奈良吉野山にある吉野水分神社を、私は平成二十九年八月に訪れた。『みくまり』は『みこもり』となまり子授けの神ともなり、現在の社殿は豊臣秀頼により創建(一六〇五)されている。私の妻の願いがかなったのであろう、妻が逝った後に上の娘が子を授かった」(令和二年八月号「国依別宣伝使と言霊の神力」)
平成三十年五月、安産を願って、娘夫婦と私は、娘らが住む兵庫県西宮市にある廣田神社に参拝した。その年の十一月、元気に孫娘が生まれ、翌三十一年三月、初宮参りで再び廣田神社を参拝した。
それまで、私は廣田神社の祭神が「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」であることを知らなかった。以前からこの御神名を知ってはいたが、神社で祀られているのに初めて出会った。廣田神社の公式サイトにこうある。
「御主神の御名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命と申し奉り、即ち伊勢の神宮の内宮に御鎮座の天照坐大神の御荒御魂に坐しまし ―廣田神社由緒記より抜粋―」(廣田神社の御祭神と御創祀について)
〇撞の大神・五六七大神
御教えの中で、この御神名が出ているのを私が知っているのは四箇所。一箇所目が『太古の神の因縁』にある。
「天之御中主大神の御精霊体の完備せるを、天照皇大神、撞賢木厳能御魂天盛留向津媛之神言と称し奉る。是れ撞の大神なり」(大正七年一月五日)
「天之御中主大神」は主神。私たちは日頃、天津祝詞の初めで「大天主太神」と称えている。
「無限絶対無始無終に坐しまして霊力体の大元霊と現はれたまふ真の神は、只一柱在す而已。之を真の神または宇宙の主神といふ…天之御中主大神と奉称し」(六十三巻四章「山上訓」)
ところで、「御精霊体の完備せる」をどう考えるのか。参考となるお歌が出口聖師の回顧歌集『朝嵐』(第二次大本弾圧事件)にある。
「御中主神の霊徳完美せるを天照皇大神と白せり」(708)
「御中主神の精霊完備せるを天照皇大神と奉称するなり」(977)
「霊徳」が「精霊」と並ぶ。大神の霊徳が完備しているというと理解できる。
また、「是れ撞の大神なり」とあるが、伊都能売神諭に「撞の大神ミロク様」とある。
「撞の大神様ミロク様が、肝心の世を治め遊ばす経綸となりたのを、五六七の世と申すのであるぞよ」(大正七年十二月二十三日)
そして、ミロク様というと霊が素盞嗚尊である出口聖師につながって行く。
「五六七神様の霊は皆上島へ落ちて居られて、未申の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊が、五六七様の御霊…ミロク様が根本の天の御先祖様」(大本神諭 大正五年旧九月九日)
「わが魂は神素盞嗚の生御魂瑞の神格に充されてあり」 (四十一巻一六章「三番叟」余白歌)
なお、『神霊界』にある二箇所目が、これらの裏付けとなる。
「天照皇大神様は天のミロク様で、撞賢木厳之御魂天疎向津媛尊という別称の大神である…この御神名を教祖の神諭には、総合的に頭の字一字をとつて、撞の大神と仰せられたのであつて」(大正九年一月十五日号)
さらに三箇所目が、出口聖師が、第二次大本弾圧事件での御出所後の昭和十八年に詠まれたお歌の中にある。
「撞賢木伊都のみたまの大神はあやのたかまに現れましにけり」(月照山 月のかゝやき 十二 1194)
あやのたかまに現れられた素盞嗚尊たる出口聖師にとって、とても大切な御神名であったことがよくわかる。
また、出口聖師と廣田神社を直接結びつけるかのように、高熊山にある「ミツバツツジ」が廣田神社にもある。
〇天の岩戸開きとの関係
四箇所目が霊界物語六十三巻にある。ここが、天の岩戸開きに関係して来る。
「大国常立大神は 厳の御霊と現はれて 四方久方の天盛留向津媛 御稜威も殊に大日婁女貴 女神となりて諾冊の 二神の間に生れまし」(六十三巻一章「玉の露」)
実は、この箇所を引用して、私は平成二十八年十一月の大本大祭特別講座で講話をしている。講題は「天祖の降臨について」である。その内容を『愛善世界』誌で長谷川洋吉さんに上手にまとめてもらっている。
「天祖・大国常立尊と国祖・国常立のご関係、国祖が隠退ののち再現されるときに天祖が降って国祖を輔佐されるご神約、降臨されたときの形が神素盞嗚尊でありその御魂を持っておられるのが出口王仁三郎聖師であること、さらに降臨されてなされたことは①天国の福音を地上に降ろされたこと=霊界物語の口述、②罪の贖い主となられたこと、である」 (平成二十九年一月号「連合会ニュース」)
〇天祖と国祖の関係の変化
「天の岩戸開き」とは何か。私は、天祖が国祖を輔佐する、つまり、天祖が罪の贖い主・救世主となって国祖を輔佐するに至るプロセスとも考える。
六十三巻一章「玉の露」を見ると、そのプロセスが明確になる。「玉の露」の《天祖と国祖の関係》をまとめて、特別講座での資料とした。図も加えた。
資料 六十三巻一章「玉の露」(概要)
《天祖と国祖の関係》
①天祖の命を受けた国祖の神政(=君臣の関係)
②艮の金神と坤の金神の御隠退 (=夫婦の関係)
③天照大御神と素盞嗚尊の御分掌(=姉弟の関係)
④天照大御神と素盞嗚尊の誓約 (=姉弟の関係)
⑤素盞嗚尊の千座の置戸 → 救世主へ(=姉弟の関係)
⑥神素盞嗚大神の救世の活動と国武彦 (=君臣の関係)
資料 は、《天祖と国祖の関係》が、①天祖の命を受けて国祖が神政を行っていたもの(君臣の関係)が、②(夫婦の関係)→③~⑤(姉弟の関係)を経て、⑥天祖が救世主・神素盞嗚大神となって国祖を輔佐する(君臣の関係)までに至るプロセスを示したものである。
〇天(あま)盛(さか)留(る)向(むか)津(つ)媛(ひめ)の御(み)稜(い)威(ず)
このプロセスの③天照大神と素盞嗚尊の御分掌に関する部分で、天盛留向津媛が出て来る。この中に天照大御神のお生まれの過程がある。
(一)大国常立大神は 厳の御霊と現はれて
(二)四方久方の 天盛留向津媛 御稜威も殊に
大日婁女貴女神となりて
◇四方= 東西南北、前後左右 ◇久方の=「天」にかかる枕詞 ◇御稜威=神や天皇の強い御威光(御威光=自然に他人を従わせる勢い、その力) ◇殊に=とりわけ、特に ◇大日婁女貴女神=天照大神の別名(日本書記)
(三)諾冊の二神の間に生れまし
この天照大御神のお生まれの過程について考えてみる。
主神は天国では太陽、霊国では月に御顕現される【註1】が、まず、(一)大国常立大神が厳の御霊と現はれられている。
【註1】「天国の太陽とは厳の御霊の御神格が顕現して、茲に太陽と現はれ給ふのです。……霊国にては瑞の御霊の大神月と現はれ給ひ、天国にては又太陽と現はれ給ふのであります」(四十七巻一三章「下層天国」)
そして(二)の後半部分のとおり、大日婁女貴女神となられ、(三)諾冊の二神の間に生れられたというのである。
さて、この厳の御霊と大日婁女貴女神の間に「四方久方の 天盛留向津媛 御稜威も殊に」が入っている。枕詞の「四方久方の」を除くと「天盛留向津媛 御稜威も殊に」が残る。
これをどう考えるか。次の二つは同じ意味になるかもしれないが。
◇特に、天盛留向津媛の御威光、お力によって、厳霊が天照大御神になられた。
◇厳霊が天照大御神になられたことが、特に天盛留向津媛の御威光、お力を示す。
また、先に素盞嗚尊も五六七様と言った(【註2】の記述もある)。そうすると「天盛留向津媛=撞の大神=ミロク神=素盞嗚尊」となり、姉の天照大御神のお生まれに弟の素盞嗚尊のお力が作用したということになる。
【註2】「ミロクの神の化身たる 神素盞嗚の大神の」 (第四十八巻第一七章「甦生」)
《あとがき》
孫娘は現在、四歳。綾部参拝の前日に西宮の娘夫婦のところに泊まると、「じいじ、大好き」といつも言ってくれる。廣田神社の祭神でもあるみろくの大神撞賢木厳之御魂天疎向津媛命の御守護のもと、すくすくと元気に育ってほしい。
〔令5年10月16日 記〕
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