藤井 盛
聖師さまの側近であった大国美都雄先生は、山口県山口市の出身です。この度その生家があった場所を探してみました。
大国美都雄先生の生家が山口市にあった。
私の家から十キロメートル先の山口市大内矢田という所にかつてあり、大深家と言った。
〇大国先生の生家はどこに
ここ最近、大国先生が語られたことに確証を得て、二つの文章を書いた。
一つは大本信徒連合会『大本教学』第十一号掲載の「軍備に関するお示しについて」。これに、聖師が第二次大本事件を誘い込まれたとする大国先生の話を入れた。
もう一つは、愛善苑『神の国』平成二十八年二月号掲載の「大峠と信仰」。これにも、「爆弾が一発くらいは落ちるかも」と聖師が言われたという大国先生の話を入れた。
何か助けていただいているようで、大国先生のことが気になり始めた。
三十年前だったか、先生の生家の大深家があった場所を教えられ、お墓の掃除にも行ったことがあるのだが、家もお墓も場所が思い出せなかった。
まず、大内矢田の近くに住む友人に聞いた。三月に大本山口本苑に来られた出口三平さんともその地域を車で回ってみた。また、地域史に詳しい方にも聞くなどしたが、わからなかった。
〇お墓に参る
大国先生が、その著書『真偽二道』の中で、家の周囲のことを書かれている。萩往還という旧街道沿いにあったとか、近くに大内小学校があったなどとある。
四月初めの夕方、その旧街道を車で走った。思い出した。おおそうだ、この店の所だったと。
屋敷跡はないが、三十年前、住所を教えられて訪ねた場所である。友人に聞いてみると、墓地がその近くにあるという。家に帰り、ゼンリンの地図を見ると、確かに墓地があった。
翌日の夕方、墓地を訪ねた。大深家の墓は道沿いで、墓石になんとか「大深」と読むことができた。おはぎとお酒とお花をお供えして拝んだ。
なかに、昭和三年二月十三日と刻まれたお墓があった。大国先生のお母さんのお墓である。真偽二道に「十三日、遂に浩三の母はこの世から去って行った」(146頁)とある。赤いカーネーションを供えた。
〇九十二歳の恩師が近くに
ところで、実は、この墓地に行くのに、一本前の道に間違って入ってしまった。と、そこは、私の小学生時代の恩師の家であった。そして、恩師が立ち話をしておられた。お墓参りをした後、恩師の家にお邪魔をした。三十年ぶりであった。
恩師は大正十二年十二月八日生まれの九十二歳であった。明治二十九年三月二十六日生まれの大国先生とは二十七歳年下になる。現在も華道を教えておられ、お元気であった。
「昔、このあたりにあった大深家をご存知ですか。お墓はありましたが、お屋敷が、あのお店の所にかつてあったと思いますが」と尋ねたところ、恩師は知っておられた。
「そのお店は昔からある。大深家はそこではない。こっち側のお店からそのお店に向かって行ったあたり」と言われた。かつてそこには、家が三軒並び、その真ん中が大深家だったとのことである。
真偽二道には、大深家は毛利家の隠れ城塞で(37頁)、その門先には大きな松があった(36頁)とある。恩師は「それはそれは大きい松の木が三本、街道沿いにあって、往還松と呼ばれていた。今でも目に浮かぶ」と言われた。まさにそこに大深家があった。
ただ、大深家についてはそれ以上の話はなかった。専ら、大深家の隣にあったかつての毛利家家臣の屋敷に一人残ったお婆さんが、上品だが、「おまえらあー」と人を見下していたという、幼いころの思い出を何度も語られた。
〇聖師が霊で大深家を見られて
ところで、聖師が、この大深家を霊で見られた様子を、大国先生や先生の養女、春栄さんが語られている。 (出口三平さん聞き取り)
「聖師さまが、じーと霊で見られ、『大国、よう潰れたな』と言われ、うようよといくさばかりしている霊の中で浮かび上がった大国先生が、大深家の救世主だと聖師さまが言われた」
「聖師さまは『家の因縁を、祓ひ給へ、清め給へをせにゃ、お前の家は、さらに苦しい目にあう。ちょうど今まで、神さまが地獄の底から上がってきた如く、みんなの因縁あるものが、一応どん底におちたのが今度あがつてくるんだから、一応そういう精算せんならん』と言われた」
○因縁の二つの意味
聖師は、「家の因縁」とか「因縁あるもの」と言われているが、「因縁」の言葉の使い方には、①「罪業」及び②「神との縁」の二つの意味合いがあると考える。
①「罪業」的な使い方
◇ 大本神諭
「前世の因縁が皆ある…我が身に罪科がある」 (明治三十一年旧三月二十四日)
「此の罪科を償らぬと、思ふ如うには行かぬから」 (明治三十一年旧正月三日)
◇ 霊界物語
万公『沢山な妖怪や毒蛇が焼き亡ぼされてゐるでせう。これは皆テームス家の祖先が作つた罪業の化生した悪魔で厶いますよ。又此万公は貴方の祖先代々に苦しめられた憐れな人民の霊が凝結して万公となり、此世に生れ来たものです。私はそれ故どうしてもテームス家の後を継いで此テームス家の財産を人民に平等に分配し罪を亡ぼさねば、舅殿を始め祖先の罪は赦されますまい』
(第五十五巻第一二章「霊婚」)
②「大神との縁(えにし)」的な使い方
◇ 大本神諭
「艮の金神の大本は、三千世界の大洗濯を致す尊い所であるから、何程金銀を積んでも、身魂に因縁無くては出来ん世話であるぞよ」
(明治三十三年旧八月十一日)
◇ 霊界物語
「まづ世に落ちたる正しき神を一度に岩戸を開き、地獄の釜の蓋を開いて救ひたまひ、世界改造の神種と為し給う」
「大神に因縁あるものは、…どうしても一種微妙の神の縁の絲に繋がれて、その信仰を変ふることはできない」
(第五巻第二六章「艮坤の二霊」)
因縁を自覚した信仰を
祖先の罪業や自分自身の前世からの罪業。あるいは、神代からの大神様との縁。そういった過去からの因縁のもとに、今の我々があるということを自覚することは、我々の信仰のあり方を、改めて、見つめることにつながるのではないだろうか。
これを、今回、大国先生の生家を探すなかで感じることができた。ありがたいことである。
ところで、もし、私がお墓への道を間違えなかったら、しかも、恩師が立ち話をされていなければ、恩師と会うことはできなかったわけで、従って、大深家について、その位置を正確に知ることはできなかった。奇遇に思う。大国先生に導かれたのだろうか。
(平28・4・12記)
〔『愛善世界』平成30年4月号掲載〕
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