困難な時代を選ぶ(レポート17)

夕暮れ 勉強会レポート

 四月二十五日、第五十三巻の第一○章「女丈夫」と第一一章「艶兵」を勉強した。女丈夫ヒルナ姫らが、艶めいた美貌を武器に、久米彦らバラモン将軍を籠絡する。「媚びを呈し」「恍惚」とさせ、二人の将軍をメロメロにさせている。

 ウクライナ侵略を止めない露国大統領プーチンを籠絡するような「豪胆不敵」で「天晴れな女丈夫」が現れないものだろうか。

 私の祖父はロシアに攻め入っている。シベリア出兵で、その従軍記念章も残る。祖父は明治二十九年生まれで、明治二十五年大本開教の四年後である。「世の中に戦争くらい悪しきものはなく」と道の栞に書かれたのは、日露戦争中の明治三十七年旧五月十三日である。

 大正三年から第一次世界大戦。ロシア革命に干渉したシベリア出兵が大正七年からで、祖父は二十二歳。日本は三万七千の大軍を派遣し、各国撤兵後も駐留を続け、蛮行も行っている。

 昭和十二年、祖父は四十一歳で北支事変に従軍し負傷。入院の祖父を幼い叔父が見舞っている。昭和二十年敗戦時には四十九歳であった。

 祖父の壮年期は日本の戦争時代そのままであり、大本の隆盛期も同様である。開教の明治二十五年から出口聖師御昇天の昭和二十三年までが五十六年。この間、宇宙の創造が始まり五十六億七千万年目の昭和三年三月三日、天のみろくの大神が出口聖師として下生された。大事な御経綸が、戦争の困難な時代を選んで行われている。

 大本第二次弾圧事件は、賛同者が八百万人にもなったという大本を恐れた当局により引き起こされた。昭和三年三月三日のみろく大祭で、天皇に代わって出口聖師が日本の支配者となる結社が組織されたとの口実である。

 しかし、出口聖師自らが弾圧を引き込まれたと、大国美都雄氏が語っている。

 「聖師さまは、来るように、来るように仕向けていられる傾向がある。いくらブレーキをかけても意表に出て誘発するような態度をとられる」

 〔「愛善世界」誌平成二七年二月号「最後の神劇」(二)〕     

 未決監で千座(ちくら)の置戸を負い、自らの「贖罪者」「救世主」たるを世に現し、同時に「型の大本」を用い、大本を弾圧させ軍事国家を崩壊させる。

 〔大本教学第十一号「軍備に関するお示しについて」藤井盛〕

 今も軍事国家のままなら、日本も、自由や人権が制限されたロシアのようになっていただろう。

 祖父母の結婚は大正十一年四月六日である。その前日五日に、霊界物語第十六巻第四章「夢か現か」が口述されている。三十五万年前の辛酉(かのととり)の九月八日、秋山館で神素盞嗚の大神と国武彦が対面される場面である。翌九月九日、桶伏山で三十五万年後の再会が約され、その再会により出現した大本に我が家が入信したのは、出口聖師御昇天の昭和二十三年である。

 入信のきっかけは、結核で嫁ぎ先から家に戻された祖父母の娘二人が、四日間のうちに亡くなるという不幸からである。ウクライナ侵略の惨劇も、人々の犠牲が報われるよう今後の世界に吉を産み出すことを祈りたい。

               (令4・5・17)

 〔『愛善世界』令和4年7月号掲載〕

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