聴覚で証覚を円満ならしめる(レポート29)

勉強会レポート

 八雲琴の家元・田中緒琴(初代・二代)親子が弾く「(あき)(かぜ)(ふり)」へのアクセスが、私のYouTubeチャンネル藤井盛で四千回を超えた。綾部の方から、とてもいいテープを送っていただいたお陰である。

 二代家元が主旋律を弾く「本手(ほんて)」。「(かえ)()」という相の手(と言うべきか)を初代家元が弾く。「本手」に「替手」が絡み、音の華やかさと空間的深みが増す、という印象。

 昨年十一月、綾部で、私は初めて「替手(かえで)」との一対一の「本手(ほんて)」の稽古をした。音の掛け合いにいささか興奮した。この六月、第八回目の大本山口本苑での八雲琴の合宿研修会でも、「替手」を入れた祭典曲の練習が重点的に行われた。

 最奥の天人は、視覚でなく、聴覚でその証覚を円満ならしめるとある。

「最奥の天人は視覚によらず、必ず其聴覚によつて、即ち宇宙に()(まん)せるアオウエイの五大父音の音響如何によつて、其証覚をして益々円満ならしむる」(五十巻二章「照魔灯」)

 また、宣伝使(あや)(はる)(わけ)の出現に合わせ、美妙の音楽が流れる。きっと琴の()も。

「美妙の音楽聞え、美はしき三十前後の天人が現はれ来りぬ」「四辺に芳香薫じ、(りう)(りやう)たる音楽の()(しき)りに聞え、此伏家の周囲には(もも)の天人が隊を成して取巻いてゐる」(五十六巻九章「我執」)

 六月二十六日の勉強会は、五十四巻一八章から二一章まで。ビクトル山の神殿落成の祝歌が続く。その中で神観が説かれる。刹帝利は神々の名を上げて歌う(一八章「真信」)。

◆元津御祖の神=大国常立の大御神、◆豊国主の大御神、◆天津日の御国を統べる=神伊邪那岐の大御神、◆月の御国を統べる=神伊邪那美の大御神、◆厳の御霊=国治立の大御神、◆瑞の御霊=神素盞嗚の大御神、◆大地球(くぬち)の御魂=金勝要の大御神、◆海を統べる=(おほ)(わだ)()()の神、◆天教山に現れる=木花姫の大御神、◆日の出神

 また、宣伝使の治国別は、神々が主の神に帰一することを歌う。

◆大国常立の大神=霊国では月の大神と現れ、天国では日の大神と現れる。

 これは「天国に於ては大神様が日輪様…霊国に於ては大神様は月様とお現はれ」(四十七巻二○章「間接内流」)のとおり。さらにこれは「真に敬愛し尊敬し依信すべき根本の大神は、幽の幽に坐します一柱の大神()()(六十三巻四章「山上訓」)という幽の幽神へとつながる。

 天人が音楽とともに現れることに及ぶのか、一八章「真信」には音楽用語が多く並ぶ。パストラル(牧歌)、カンタビールナ(歌うように)、ブレスト(急速なテンポで)ロンド(輪舞曲)、アダヂオス(緩やかに)等々。

 七五調の長歌や短歌で発せられる祝歌は、まさに聴覚で受け取るもの。我々の証覚を円満ならしめる。

 なお、「互いに声で歌にしてやりとりをすれば、歌に感情がのる」といういい感想が勉強会であった。     

(令5・6・30記)

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