〇全国青年部長会議での資料配付
直美様の教嗣変更の不当性を訴えられた徳重高嶺氏の「生きている大本の神話」が、『愛善世界』誌(令和八年四月号)に再掲された。
「天津定めの御因縁の判らぬ、役員信徒によって、直美様が教嗣にふさわしいとか、ふさわしくないとか答申すること自体、慢心取り違い…神明に照らして謝すべき…大本歴史にとって一大汚点」
大本本部執行部に厳しい言葉を投げておられる。
徳重氏がこの文章を書かれた後、直美様の教嗣が変更された。四十四年前の昭和五十七年五月、直美様の教嗣変更に反対する「大本の道統を守る緊急全国信徒大会」に私は参加し、その決議文を表紙にした資料を、翌六月の大本本部での全国青年部長会議で配った。
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当時、私は二十四歳。二十五歳の新婚二ヶ月の妻に資料のホッチキスを手伝わせた。未信徒の家から嫁いで来た妻は、変な人と一緒になったと思っただろう。感想を聞くこともなく六十歳で逝ってしまい、はや八年が過ぎた。
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また、資料の二頁目で「三代教主直日様が現界的主神という誤った神観を、森良秀本部青年部長が全国の青年部長に吹き込もうしたお陰で、私は、出口聖師の本当の御教えを学ぼうという気持ちになった」と書いて、森氏を皮肉った。
会議でこの資料を、森氏の面前で全国の青年部長に配った。回収させられたが、全国に送付した。森青年部長名で注意文書が来たが、反論文を出した。
当時から私の性格は激しく、思い立ったら実行してしまう。六十八歳の今も変わらないようだ。その後も、これに似たことを信仰の場のみならず、仕事の場でもやって来た。
ちょうど何かをしなければならない時期に、いつも私はそこに身を置かれる。従って、自然人と衝突せざるを得なくなる。うつ病が治って元気になった時も、妻が「またひどく(=激しく)なっている」と言ったが、きっと今でも心配しているだろう。
なお、十年前森氏に電話をし、出口信一先生の『救世の船に』を送り、森氏から礼状をいただいた。

〇四代様の正当性を裁判所が証明
平成三十年(二○一八)三月号の『愛善世界』誌に、要荘・掬水荘明渡訴訟の控訴審判決が掲載された。不思議なことに、みろく様たる出口聖師が、五十六歳七ヶ月になられた昭和三年三月(一九二八)からちょうど九十年目に当たっていた。


平成30年(2018)3月号
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〔90年目〕
昭和3年(1928)3月
出口聖師56才7月
本部の「直美様は四代教主ではないので、要荘・掬水荘から立退くこと」という提訴に対して、判決は「教主の正当性をめぐる争いは、教義上の問題。裁判での判断にはなじまない」ということで、「本部の提訴を棄却」した。
ところが、面白いことが判決文に残った。「直美様を四代教主に確定する余地があった※」と裁判所が判断したのである。
裁判所は、教主の正当性は教義上の問題で、裁判にはなじまないと言いながら、本当になじまないか吟味したところ、直美様が四代教主になっていてもおかしくなかったと判断したのである。
※直美様は「四代教主となることが確定したとみなされていたとみる余地がないとは決して言えない」
〇三十年での身魂の立替立直し
裁判には「一事不再理の原則」があり、「教主についての教義問題」では、本部は再提訴ができない。これは、五代様以降も同様と思うが、改めて「教主様の教義上の根拠」について整理しておきたい。
(一)出口聖師のお歌
教義上の根拠の一つ目は、教え主たる出口聖師のお歌である。お歌はお示しで、教義を定められた教え主のお示しは、当然、教義である。四代直美様について
「三代の長女直美の生れしより大本四代の基礎固まれり」 (日月日記「七の巻」次も同)
「四代なる直美の生れし今日よりは蘇生るなり大本内外」
というように、出口聖師は四代を明示されている。
それでは、五代直子様はどうか。直子様についてお歌がある。
「初曾孫の嬰児直子を『女王』じゃと聖師は頬をよせ給ひけり」(出口直美 昭和二十二年五月初 於瑞祥館)
出口聖師は、直子様を「女王」と言われている。「女王」から、『大本神諭』にある七人の女神のうちの天照皇大神宮、つまり天照大神が思い当たる。
「七人の女と申すのは…日の大神さま…天照皇大神宮どの…稚姫君命…竜宮の乙姫どの…未申の金神…金勝要の大神…木の花咲耶姫どの」 (『大本神諭』明治三六年旧一一月二九日)
五代とは直接、出口聖師は言われてはいないが、「女王」で、その御意思は示されているのではないか。
(二)三十年での身魂の立替立直し(教主三十年)
教義上の根拠の二つ目は、霊界物語にある「三十年での身魂の立替立直し」というお示しである。
「神諭に曰く、『三十年で身魂の立替立直しをいたすぞよ』と。変性男子の三十年の神業成就は、大正十一年の正月元旦である」 (一巻「発端」)
変性男子とは出口なお開祖である。開教の明治二十五年(一八九二)から、大正十一年(一九二二)の神業成就までが三十年。「三十年で身魂の立替立直し」となるが、なお開祖が御昇天になったのは大正七年(一九一八)で、四年足らない。
そこで、残りの四年間を出口聖師が代役をされ、国祖の大神が出口聖師にお懸かりになられて出されたのが『伊都能売神諭』である。『伊都能売神諭』は、変性男子なお開祖の神業成就には欠かすことのできない御神書である。

なお開祖御昇天の十一月六日直後に、お示しが出されている。
「艮の金神国常立尊が、明治廿五年から永らく出口直の体内を借りて、若姫君の尊と引添ふて変性男子と成りて、三千世界の世の立替の経綸を、筆先に書して知らせたなれど、後の立直しの筆先は未だかゝして無いから、変性女子の体内を籍りて是から時節に応じて書すぞよ… 大正七年旧十月廿九日、新の十二月二日、変性女子に憑りてしるしをく」 (『神霊界』大正七年一二月一五日号)
『大本神諭』は立替で、『伊都能売神諭』は立直しの筆先という位置付けがなされている。取り崩した後に、どう建て直すかということ。
〇二代様以降の三十年
なお開祖の三十年は、出口聖師が『伊都能売神諭』により補われたが、二代様以降はどうだろうか。
〔二代様について〕なお開祖の三十年の神業成就の大正十一年(一九二二)から、二代様御昇天の昭和二十七年(一九五二)までが三十年になる。
〔三代様について〕二代様御昇天の昭和二十七年(一九五二)から三十年は昭和五十七年(一九八二)。この年、三代様は出口聖師の御意思に背いて直美様を教嗣から外されたので、教主の役割を実質的に終えられたということになる。



〔四代様について〕三代様の後、実質的な教主になられた昭和五十七年(一九八二)から三十年後は、平成二十四年(二○一二)になる。
実は、これらの話は梅園浩氏が山口本苑で講話をされたものである。説明された資料の平成二十四年(二○一二)には「?」がつけてある。講話がそれ以前であったからである。
では、実際はどうであったか。平成二十四年(二○一二)の節分大祭から、直子様が四代教主御名代となられた。神言奏上の先達や御挨拶をされ、まさに、なお開祖に始まる教主の三十年ごとの積み重ねとなる開教百二十年に、直子様は実質的な神定五代教主になられたことになる。


「大本四代教主ご名代」
「開教百二十年」
なお、以上の内容を、YouTube藤井盛「大本講座 大本教主と30年」で配信している。

また、五代様の三十年後は二○四二年で、九十五歳になられる。
朝日新聞全国版の「朝日歌壇」の選者であった馬場あき子さんが、昭和三年一月生まれで現在九十八歳。生母は綾部出身で、大本事件に関する短歌も馬場さんは選んでおられる。馬場さんが九十六歳の時、私は短歌を選んでいただいた。九十五歳の五代直子様も当然、御健在でいらっしゃる。
「刈り取りの最後の稲穂の茂みから雉の子野ねずみ追われ出で来る」 (令六・一○・六入選)
〇薯蕷(とろろ)汁(じる)
十五巻八章「ウラナイ教」に、標識が『ウラナイ教の本部』の建物に田加彦らが入り、盲人らが食べている麦飯薯蕷汁を、そばから取って食べる話がある。薯蕷汁を取られた盲人らが喧嘩を始めるが、その中に盲人を真似た高姫がいる。霊界物語の主人公の一人ともいうべき高姫が、「中年増のお多福婆」で初登場する。
次の九章「薯蕷汁」では、高姫の相棒たる黒姫も初めての登場となる。
「誠の教を聴かうと思へば、目が開いて居つては小理窟が多くつて仕様がないから、みな盲目や聾ばかり寄せてあるのだ。見ざる、聞かざると言うて、盲目聾程よいものは無い。此処へ来る奴は、みな此高姫サンと黒姫が耳の鼓膜を破り、眼の球を抜いて、世間の事がなにも解らぬやうに、神一筋になるやうにしてあるのだ」 (十五巻九章「薯蕷汁」)
昭和五十七年の大本本部での全国青年部長会議で、私は、直美様の教嗣変更に反対する「大本の道統を守る緊急全国信徒大会」の決議文を配布したが、どなたかの目や耳に届いただろうか。
(令8・4・20記)〔『愛善世界』誌令和8年7月号掲載〕


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