(84)神島開き百十年(その二)―出口聖師の御神格をしっかり確認する―

「愛善世界」誌掲載文等

〇出口聖師の御神格の認識への懸念

 五代教主出口直子さまが、令和八年の年頭ごあいさつで、神島開き百十年の年に当たり、出口聖師の御神格を確認することを強調されている。

『愛善世界』
令和8年1月号

「今年は神島開きから百十年の記念の年…聖師様のご神格をしっかりと確認させていただき」

 教主さまの「しっかりと確認」という言葉は重い。ご懸念をお持ちなのだろうか。「出口聖師の御神格を、正しく認識してください」という教主さまの信徒の皆さんへの強い願いを、私は感じる。

 実は、出口聖師ご自身が、ご自身の御神格についての信徒の誤りに、不快感を大きな声で表された記録が残されている。第二次大本事件で出獄された出口聖師の身のまわりを、御昇天まで七年間お世話をされた三浦玖仁子さんが、その時の様子を書き残している。

 自分に神さまが懸かっているのではない、自分は神さんだと、強く出口聖師は言われている。

中矢田農園での出口聖師
昭和17年12月27日

 「昭和八年ころ…穹天閣(きゅうてんかく)に参上した時…ある年配の婦人が…聖師さまのことを―神さまが懸かられて云々―と言われた…すると、それまでご機嫌良くお話になっていた聖師さまのお顔が急に険悪になり…大きな声で、『わしが神さんや…神さまが懸かられて云々と言うが、わしが神さんや』と叫ばれ…私は、こわくて震え上がった…昨日のように覚えて…ふだんは神さまをお隠しになっておられますが、ヒョイヒョイとご神格をお示し下さいました」

 (『花いろいろ 出口王仁三郎聖師側近七年の記録』―昭和六十年五月三日 天声社発行 二五~二六頁)―

『花いろいろ』 三浦玖仁子著

〇出口聖師を「御(み)霊(ひ)代(しろ)」と呼ぶ誤り

 出口聖師が険悪になられるほど大事なことなので、神さんたる出口聖師と国祖が懸かられる開祖との御神格の違いを、改めて整理しておきたい。

「国常立尊の大神霊(だいしんれい)は精霊界にまします稚姫君命の精霊に御霊(おんみたま)を充たし、予言者国照姫の肉体に来らしめ」         (入蒙記一章「水火訓」)

 国祖が、開祖の御霊(おみたま)稚姫君の精霊と肉体の御名(みな)国照姫に神懸かりされるということである、これを別の表現で、開祖は国祖の御霊代(みひしろ)とも示されている。

「稚姫君命の霊性(れいせい)の御霊代」(天祥地瑞七十三巻「総説」)

 一方、出口聖師には、開祖のような神懸かりはなく、出口聖師ご自身が、肉体をもたれたみろくの大神の本体ということが示されている。

「瑞の御霊の大神は…若返り若返りつつ…肉体を以て宇宙の天界に出没し、無始無終に其の経綸を続かせ」  (天祥地瑞七十三巻「総説」)

天祥地瑞 73巻

「伊都能売神と顕現し、大宇宙の中心たる現代の地球(仮に地球といふ)の真秀良場(まほらば)に現れ、現身(うつせみ)をもちて、宇宙更生の神業に尽し給ふ世とはなれり」  (七十三巻一二章「水火の活動」)

 つまり、もし出口聖師を、みろくの大神の「御霊代」 とか「神懸かり」とか呼んでいるとすれば、それは誤りということになる。

 みろくの大神たる出口聖師は、常に我々とともにおられる。もし仮に今も、出口聖師を「御霊代」と呼んでいる人がいれば、三浦玖仁子さんが書かれたように、その人を険悪なお顔で大声で叱っておられたり、あるいは、次のお歌のように憐れんでおられるに違いない。

「瑞霊を神の憑(うつ)りし肉体と誤解せる人憐(あわ)れなりけり」    (言華『神の国』昭和三年七月号以下同)

「人間の姿現じて世に出(い)でし誠の人は神の顕現」   

「久方の雲井の空を後にして地に降りたる身魂は神なる」

歌集『言華』

  なお、大正五年十月五日(旧九月九日)、神島で国祖のお示しが出たが、出口聖師のみろく様たる御神格がわからなかった開祖に対しても、出口聖師は、綾部出発より四日間沈黙されるという態度をとられている(出口三平氏 平二八・九・一一 東方弥勒主会勉強会「沈黙から再現する神」)。

「みろくさまの霊はみな神島へ落ちておられて、坤の金神どの、素盞嗚尊と小松林の霊がみろくの神のおん霊で…みろくさまが根本の天のご先祖さまであるぞよ」 (『大本神諭』大正五年旧九月九日)

〇皇道大本信条はカモフラージュ

ここまで、出口聖師は「御(み)霊(ひ)代(しろ)」ではないと説明して来たが、実は、出口聖師を「御霊代」と表記したものが、昭和八年の「皇道大本信条」にある。

 皇道大本信条は大正八年と昭和八年に出され、大本の神観などが示されており、現在の「大本教法」に構成が似ている。

 国祖が開祖に懸かられることが、大正八年と昭和八年の皇道大本信条に示してある。特に昭和八年のものは、先に示した霊界物語のお示し(入蒙記一章「水火訓」)に類似している。

―皇道大本信条 昭和八年―

「第八条…①国祖大国常立尊が②稚姫君命の精霊に御神格を充たし、③皇道大本開祖を御霊代として」      (大本七十年史下巻 一三六頁)  ※註 ①~③は筆者が付記

大本七十年史 
下巻

 ところが、この昭和八年の皇道大本信条には、大正八年にはなかった出口聖師への豊雲野尊の神懸かりが出て来る。しかもその構成は、開祖への国祖の神懸かりの表現を模したものとなっている。

「第九条…①豊雲野尊が②神素盞嗚尊の精霊に御神格を充たし、③真如聖師を御霊代として」 ※註 ①~③は筆者が付記

 第八条と第九条について、①国祖が豊雲野尊に、②稚姫君命が神素盞嗚尊に、③開祖が聖師にそのまま対応したものとなっているが、出口聖師を、開祖と同様に神懸かりとすることが誤りであることは、これまで述べて来たとおりである。

 もう少しつけ加えれば、豊雲野尊と神素盞嗚尊はみろくの大神として同体神であり、豊雲野尊が神素盞嗚尊に懸かるということはありえないことである。

「神素盞嗚尊の聖霊…坤金神豊国主命と現はれ…五拾弐歳を以て伊都能売御魂(弥勒最勝妙如来)となり」      (入蒙記八章「聖雄と英雄」)

「豊国姫の大神は神素盞嗚の大神と現はれ給ひ」  (六十三巻一章「玉の露」)

 ちなみに、伊勢神宮のホームページに御(み)樋(ひ)代(しろ)に関する説明がある。

「御((み)))樋(((ひ)))代((しろ)))木(ぎ)とよばれる、御神体をお納めする御器を奉製するための檜」

 つまり、御(み)樋(ひ)代(しろ)とは御神体をお納めする御器となるが、これを御霊代の語源とすれば、出口聖師を「ミロク様の御(み)霊(ひ)代(しろ)」と呼ぶことは、出口聖師のミロク様たる御霊(おみたま)を無視し、出口聖師をミロク様の御霊を納める器、単なる物入れにするという大変御無礼なことになる。

御(み)樋(ひ)代(しろ)木(ぎ)の伐採(伊勢神宮「御(み)杣(そま)始(はじめ)祭(さい)」)

 では、なぜこうした「御霊代」という表現を、大正八年にはなかったものを、昭和八年の大本皇道信条にあえて入れられたのか。この皇道大本信条に、天皇を現人神にした条項があることで推測が立つ。

―皇道大本信条 昭和八年―

「第四条…皇上陛下が…世界を知ろし召さるる至尊至貴の現人神に坐ます」

 第二次大本事件は、天皇の日本の統治権を出口聖師が奪おうとしたという言いがかりで、当局が大本を弾圧したものである(判決文を後段に掲載)。

 この第四条において、天皇を現人神に持ち上げて、出口聖師ご自身については、あえて御霊代という神懸かりの表現をとって卑下することで、弾圧を回避しようとした、つまりカモフラージュとして「御霊代」の表現を用いたものと考える。

 なお、出口聖師こそ、肉体をもった神であり、本来、現人神というべきである。

「万世一系の天皇を奉戴する大日本帝国の立憲君主制を廃止して、出口王仁三郎を独裁君主とする至仁至愛の国家建設を目的とせる大本と称する結社を組織…昭和3年3月3日…みろく大祭を執行…大本教義に基き我国体を変革することを目的とする結社を組織し」   〔第一審判決〕原文カタカナ 

『大本襲撃』判決文353頁

〇神島開きは出口聖師の五六七(みろく)の御用

 大正五年十月(旧九月)神島渡(と)島(とう)があり、その後大正七年十一月に開祖が御昇天された後の大正七年十二月、 「五(み)六(ろ)七(く)の世が参りたぞよ」とのお示しが、伊都能売神諭(二十三日)に出た。また「撞の大神様ミロク様が、肝心の世を治め遊ばす経綸(しぐみ)となりたのを、五六七の世と申す」とも示された。

 ミロク様が治める世が、五六七の世ということで、加えて、大正五年の神島開きが、出口聖師の五六七の御用であったと示されている。

「五六七の神政は大正五六七(みろく)三ヶ年の間に、神界の仕組(しぐみ)を現(あら)はし」「五六七の御用を致さす、変性女子の身魂に、大正五年五月五日辰(たつ)の年午(うま)の月に、火(か)水(み)島(じま)の五六七の神を祭らせ」

『伊都能売神諭』

 なお、神島開きが、ミロク様たる出口聖師の五六七の御用であることは、次の神島開きの経緯のとおりである。あたかもミロクの大神たる出口聖師の自作自演である。また、お示しにある大正五年旧五月五日は、神島発見の日に当たる。

三・一九 金竜海工事竣工 〔→大八洲が神島とそっくり〕

四・五(旧三・三)聖師、橿原神宮、畝傍山に参拝〔→武内宿禰(=小松林=五六七神)の神懸かりにより神島を探す事となる(徳重高嶺氏日記昭六・一・八)〕 

四・一三 聖師の左頬より神島形の玉石

五・一○ 武内宿禰(=五六七神)神懸かりのお軸 〔→神島がなにわ(=瀬戸内)にあることを示す〕

六・五(旧五・五)神島発見(村野・谷前氏)

六・二五(旧五・二五)神島開き(渡島一回目)〔→聖師が豊雲野尊の和魂(にぎみたま)賢(さ)和田(わだ)姫(ひめの)命(みこと)(=五六七神)に女装〕

九・八 聖師、神島の神宝の持ち帰り(渡島三回目)〔→二十二巻一八・一九章にある初稚姫と玉能姫が神島に埋蔵した神宝を、聖師が持ち帰る〕

十・四(旧九・八)~七(旧十一)聖師、綾部出発より四日間の沈黙。〔→ミロク様たる聖師の御神格を悟らぬ開祖への意思表示〕

十・五(旧九・九)聖師がみろく様の大本神諭(渡島四回目)〔→未申の金神、素盞嗚尊と小松林(=武内宿禰)の霊が五六七神の御霊(おんれい)〕

 なお、ミロクの大神様について、『神霊界』随筆にこうある。

「至仁至愛の神、世界万民を平安無事に安楽に暮さして下さる神様の総称…天之御中主大神の別称…此神の全霊徳の完全に発揮されたる天照皇大御神も乃(すなは)ちミロクの大神様」(『神霊界』随筆 大九・一・十)

神島の石碑

〇ミロク様たる出口聖師の御神徳

 三浦玖仁子さんの『花いろいろ』にある出口聖師に関する御神徳話を、いくつか紹介する。

◇霊界物語に関して

 (一) 霊界物語を拝読すればご内流をいただき、魂も出口聖師の側にいる。

「わしの言うことは全部『霊界物語』と、神霊界(→伊都能売神諭、随筆)に言い尽くし…読んで…血となり肉となって…ご内流となって…物語を読む人は…魂はわしの側にいる」  (七○~七一頁)

 (二) 中有界に迷う霊が霊界物語を聞きに来て、天国に救われるので、声を出して拝読する。

「聖師さま…山水荘にお泊まり…ご就寝の時…霊界物語を拝読…誰もいるはずのない二階から…人がおりてくる足音…私の横に…座る気配…聖師さまは…あれは中有界に迷っている霊が、物語を聞きにきた…物語を聞いて…天国に救われるのや…声を出して読め」            (七一~七二頁)

◇戦争に際して

   (一)満州に出征の際、出口聖師から腹帯に拇印を押してもらい、体を手で撫でていただいた。戦場で背中が熱くなり、どう行動すればいいかわかり、無事、日本に帰ることができた。

「聖師さま…鎮魂の姿勢…霊を入れ…満州は修羅の巷(ちまた)になる…腹帯に三十八カ所も『惟神霊幸倍ませ』と祈りを込めて拇印…身体一杯を両手で撫でて…弟…日本に帰りたい…とにかく南に走った…何か変わったことがあると、背中が熱くなり、自分のとるべき行動がハッキリして…無事…日本に帰る…聖師さま…神さまの力で帰らしてもらった」    (一二○~一二二頁)

出口聖師ご使用の御膳と食器

 なお、私も昨年六月、毒蛇に咬まれたが、夢に出て来られた出口聖師に全身に指圧をしていただき、大事に至らなかった(『愛善世界』令七年八月号)。

(二)爆撃の中を、出口聖師が可愛がっておられる犬のシロが現れ、安全地帯に導いてくれた。

「聖師さま…沖縄の信者…空襲の時…シロに救われた者があるはず…婦人が急に泣きだし…猛爆撃の時…八方火の海…大神さま、惟神霊幸倍ませ…唱え…どこからともなく一匹の真白い犬がとんできて…こっちだ、こっちだ…言わんばかりに…先に走ってゆく…気がついてみると安全地帯に出て」    (一二二~一二三頁)

 なお、山口本苑でも爆撃の中、出口聖師の観音像に助けられた方がいる(『愛善世界』平二七年七月号)。

(あとがき)

 六月二十五日、神島に渡り、「神島開き百十年記念祭典」に幸いにも参拝することができた。教主さまをはじめ祭官の皆さんは、雨に打たれながらミロクの大神にお仕えされた。

「雨の中祭具の数々手渡しで神島祭典準備が進む」   (藤井 盛)

 ところで、今回、神島に関する三回目の文章を書いたが、これまでと同様に新たな発見があった。資料を探す中で、十年以上も前にいただいていた三浦玖仁子さんの『花いろいろ』を、偶然開いた。私はいつも、こういう不思議、まさに神様からのご内流に依って、文章を書いているように思う。  

 なお、ご内流(内覚)がある状態が「神心」とある。

「其方が覚り得たと思つたら大変な間違であるぞ、皆神さまの御神格の内流に依つて、知覚し、意識し、証覚を得るものだ」 (四十七巻一○章「震士震商」)

 「愛と善との徳に居(お)り 信(しん)と真(しん)との光明に 浸りて真誠(まこと)の智慧(ちゑ)を享(う)け 天より来たる内覚(ないかく)の 恵(めぐみ)に在るぞ神心」(五十五巻一六章「幽貝」余白)

(令和8・7・8記)

〔『愛善世界』令和8年9月号掲載〕

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